第十一話 命令違反の代償
戦場では、正しい選択が生き残るとは限らない。
むしろ逆だった。
正しい選択をした人間ほど死んでいく。
仲間を助けようとした兵士。
民間人を庇った兵士。
撤退命令を無視して負傷者を回収した兵士。
そういう人間から先に死ぬ。
だから戦争は残酷なのだ。
善人を守らない。
正義を保証しない。
努力を報わせない。
それでも人は時に正しいと思うことを選んでしまう。
その結果がどうなるか分かっていても。
◇
捕虜収容所地下区画。
鉄格子の開いた牢獄には怒号と混乱が渦巻いていた。
共和国軍捕虜たちが次々に外へ出る。
だが誰も喜んではいなかった。
現実を理解しているからだ。
助かったわけではない。
ここから脱出しなければ意味がない。
そして三十名以上の捕虜を連れて敵地を突破するなど不可能だった。
全員を救う方法はない。
その事実だけが冷たく横たわっていた。
レオは状況を見渡していた。
地下通路。
出入口は二つ。
敵は確実に包囲を始めている。
収容所全体が警戒態勢に入った以上、あと数分でここは帝国兵に埋め尽くされるだろう。
判断する時間は残されていなかった。
その時、一人の老兵が前へ出た。
共和国軍軍曹。
年齢は五十を超えている。
頬には古傷。
髪には白いものが混じり始めていた。
長い戦争を生き延びてきた兵士の顔だった。
「若い連中を連れて行け」
低い声だった。
騒がしかった地下区画が静まり返る。
「軍曹……」
誰かが呟く。
老兵は振り返らない。
ただレオを見ていた。
「俺たちが時間を稼ぐ」
その言葉に数名の捕虜が前へ出る。
全員年長者だった。
古参兵。
傷だらけの兵士たち。
彼らもまた理解している。
全員は助からない。
だから誰かが残らなければならない。
戦争では珍しくない判断だった。
だが理解できることと受け入れられることは違う。
「そんなの駄目です」
カイは思わず声を上げていた。
老兵がこちらを見る。
その目は不思議なほど穏やかだった。
「若いな」
苦笑する。
「それでいい」
「全員で帰りましょう」
「無理だ」
即答だった。
迷いがない。
長年戦場を生きてきた人間の答えだった。
「俺たちは歩くのもやっとだ」
周囲を見る。
確かにそうだった。
捕虜たちは痩せ細っている。
まともに走れそうな人間は半分もいない。
この状態で全員を連れて逃げれば、誰一人助からない可能性が高い。
だから選ぶしかない。
残酷だが。
それが戦場だった。
◇
遠くで銃声が響いた。
一発。
二発。
三発。
敵兵が近付いている。
時間切れだった。
老兵は帝国製ライフルを拾い上げる。
弾倉を確認する。
銃身を撫でる。
その仕草は妙に自然だった。
まるで長年連れ添った相棒に触れるように。
「家族はいるか」
不意に聞かれた。
カイは一瞬戸惑う。
だが答えた。
「妹がいます」
「そうか」
老兵は頷く。
少しだけ笑った。
「なら帰れ」
その笑顔が忘れられない。
死地へ向かう人間の顔には見えなかった。
むしろ安心したような顔だった。
やるべきことを見つけた人間の顔だった。
◇
レオは黙っていた。
決断している。
だが納得はしていない。
そんな顔だった。
彼もまた人間だった。
命令より仲間を優先する男だ。
そんな男がこの選択を好むはずがない。
それでも。
選ばなければならない。
「軍曹」
レオが言う。
老兵が振り返る。
短い沈黙。
そしてレオは敬礼した。
真っ直ぐに。
共和国軍将校として。
一人の兵士として。
老兵も敬礼を返した。
周囲の捕虜たちも次々と敬礼する。
誰も言葉を発しない。
言葉にしたら崩れてしまいそうだった。
だから敬礼だけだった。
兵士同士の最後の挨拶だった。
◇
脱出が始まる。
若い捕虜たち。
歩ける者たち。
ノアの兄もその中にいた。
少年の名前はルークだった。
ノアより五歳年上。
帝国軍侵攻の際に家族とはぐれ、そのまま捕虜になったという。
今の彼は酷く痩せていた。
だが目だけは死んでいない。
妹へ会うという目的が残っているからだろう。
カイはそんなルークを支えながら通路を進んでいた。
背後では銃声が激しくなっていく。
老兵たちが戦っている。
命を削って。
時間を稼いでいる。
その事実が胸を締め付けた。
◇
地下搬入口へ到達した時だった。
爆発音が響く。
地下通路全体が揺れた。
天井から砂埃が落ちる。
帝国軍が手榴弾を使い始めたのだ。
追いつかれる。
そう思った瞬間。
無線機からミラの声が聞こえた。
『レオ』
短い通信だった。
だが緊張感があった。
『大隊規模だ』
空気が凍る。
『収容所周辺を包囲し始めてる』
レオの表情が険しくなる。
最悪だった。
想定以上に敵の反応が速い。
収容所そのものが重要施設だったのだろう。
帝国軍は本気で動いている。
『急げ』
ミラが続ける。
『あと十分もない』
通信が切れる。
静寂。
誰も何も言わない。
言う余裕がなかった。
◇
地上へ出た瞬間、夜風が頬を打った。
収容所全体が騒然としている。
探照灯が闇を切り裂く。
兵士たちが走る。
車両が動き始める。
警報が鳴り続けている。
帝国軍は完全に臨戦態勢へ移行していた。
そしてその混乱の中で、ミラの狙撃が響く。
乾いた発砲音。
監視塔の兵士が倒れる。
別の狙撃。
警備兵が崩れる。
まるで死神だった。
敵が顔を上げた瞬間に撃ち抜かれる。
逃げ場がない。
だからこそ脱出路が生まれていた。
「走れ!」
レオが叫ぶ。
全員が走る。
捕虜たちも。
カイも。
ルークも。
生きるために。
帰るために。
だがその時だった。
背後から一際大きな爆発音が響く。
地下施設側だった。
老兵たちのいた場所。
振り返る。
炎が上がっていた。
黒煙が空へ昇っている。
何が起きたのかは分からない。
だが。
理解はできた。
もう二度と会えない。
それだけは。
嫌になるほど理解できた。
カイは歯を食いしばる。
涙は出なかった。
泣いている余裕などなかった。
ただ走る。
走り続ける。
彼らが繋いだ命を無駄にしないために。
そしてその先で待つ少女のもとへ帰るために。
だが第七小隊はまだ知らない。
帝国軍が投入した追撃部隊の中に、一人の異常な指揮官がいることを。
そしてその男が、後に彼らの運命を大きく変える宿敵となることを。




