Box.5 一ノ瀬 リブ
翌朝。
「……」
「…………」
「………………」
目を開けた瞬間、腹が減った。異常なくらい。昨日はほとんど食べていない。学校を消した。入院した。切られた。疲れないわけがない。
『食堂は朝6時から開いてるわ。自由に使っていいから。おいしいよ!』
イマジナリーマイカさんに従い、とりあえず食堂へ向かう。いつも一人で食べていたから食堂苦手なんだけどな。しかし進まない脚より空腹に耐えかねた胃袋が勝つので、しょうがない。
「うわぁ……」
生活棟2F、大食堂に来て思わず感動ではない驚嘆の声が出た。制服姿のリブが朝から山のような料理を前にしている。
カレー。うどん。カレー。焼き魚。カレー。サラダ。ハンバーグ。カレー。唐揚げ。
プリン。そしてカレー。ん?よく見ると一皿ずつ違うカレーだ。フォークで食べるやつもある。どんだけカレー好きなんだよ。なんだかお腹が急に膨れた気がして、僕は冷蔵庫からサラダを手に取る。
『焼き魚にカレーをかけると、んんん~おいしい~』まじか。
「よく食べるなぁ」
『ん?』
口いっぱいにカレーを詰め込んだリブが顔を上げた。
『おひゃよー、ヒカルー!』なんだか嬉しそうだ。
「いやいやいや、なんか飛んだぞ。」そもそも昨日、こいつと仲良くなるほど話したかな?
『お腹すいてるから』空いた皿の山を見たら、このセリフはおかしい。
『足りない』二つ奥のテーブルの人のハムエッグトーストを横目で見ている。
怖い。なんか怖い。でも他に知ってる人もいないので、おとなしくリブの向かいに座る。
「昨日、腕なくなってたよね?」
『うん』
「大丈夫なの?」
『大丈夫』『ほら』
答えながら、リブは唐揚げを片手に三個、両手で六個つまんで全部口に放り込む。腕は大丈夫と言いたいらしい。もきゅもきゅもきゅ。こいつ、顔はいいのにハムスターみたいだな。もったいない。
『でも私の能力って使うとお腹すくんだよね』
プリンの底を折って一口で飲み込みながら言う。規格外ってマイカさんが言ってたの、これだな。……本当に生き物なんだろうか。僕がドン引きしていると、
『あ、ヒカルも食べる?』山盛りのカレーを差し出してくる。
「いや、いらない」使ったスプーンが刺さっている。やめてよ。
『遠慮しなくていいよ?』ぐ~。え、今の腹の虫?
「遠慮します」
『そう?』
不思議そうに首を傾げるリブ。こいつそのうち両手に口を作って食い始めるんじゃ?そうでなくても吸い込むみたいに食べ物が消えていく。
「ちょっと、制服にカレーついてるよ」
『取って』リブはカレーのついた服の裾を引っ張る。
「えー」拭くものを探す。普通服についたカレーの染みなんて取れないのだけど。
「あ、」
『能力は気楽に使っていった方がいい。』
そう耳元で言われた気がした。分かりました。マイカさん。
「動かないで」
ここに来る前、自分の部屋や服はピカピカだった。昨日電話で『あなたは何かを消せるんだと思っていた』って言われた。そうか。部屋がきれいすぎるから両親は僕の能力に気づいたのか。確かに部屋が散らかっていても埃一つないのは不自然だよな。そう、自分相手にはできてた。きっとできるはず。集中して手をかざす。そして、
『うわー、なんか制服すごいきれいになった。ヒカル、ありがとう』
「よかった。こちらこそ。ほんと、きれいになってよか……ん?」
手を離したリブがさっきまで掴んでいた裾の部分にカレーがついている。両手とも。…うん、手を洗おうか。結局あと二回、同じことをすることになった。
「ごちそうさま、じゃあ行こうか」
『鼻についてるカレーを拭いてからな』
気づいていたけど、さすがにさっきと同じことはできない。
『あ、ついてた?ありがと。…げっぷ』
今、一瞬鼻が開いてカレーが消えたような…。ほんとに口作れるのか。何だかおっさんみたいな空気が抜ける音がしたけど、鼻のせいだな。でも昨日レディーがなんとか言ってたし、言わないでおこう。それにしてもリブの耳が赤い。きっと最後のカレーが辛かったんだ。
今日は土曜日だ。箱庭でも学校は休み。都合がいいので、今日は昨日リブがさぼった施設の案内をしてくれることになっている。『IDカードが無いと入れないところあるから、忘れないようにね』とイマジナリーマイカさん。ID: A-〇〇〇024のカードはポケットの中だ。
リブのガイドが始まった。
『こっち食堂!』さっき食ってたじゃん。
「知ってる」
『こっちお風呂!』女子用の銭湯だ。個人の部屋にはシャワーしかないらしい。
「…うん」行くことないからな。
『こっち図書館!』『研究所!』
『…!』
『……!!』
『………!!!』
朝出てきた寮棟の方に向かっていく、と思ったら渡り廊下の手前で止まる。庭に鯉でもいそうな、昔ながらの大きな日本家屋。
『私の家!』あれ?木でできた表札を見る。
「橘って?」
『マイカちゃんの家。一緒に住んでるの』
二人が姉妹みたいに錯覚するのはそのせいか。なんだか納得。食事量は違うと思うけど。
色々案内されたけど、箱庭は思ったより広かった。研究所には運動場もあり、昨日いた病院棟。温室。寮棟は3つ。礼拝堂やショッピングモールみたいなものもあるらしい。脱出防止のためだろうか、このすべての空間が地下にあり、周りは高い壁と屋根に覆われている。まさに『箱』だ。ここに地平線があるのなら、4㎞四方はあることになる。日が差さない代わりに、照明の明るさで時間を知らせてくれる。一般的には地上にある大学みたいに何棟かの建物が集まった施設として知られているが、地下は驚くほど広大だ。施設というよりまるで一つの町みたいだ。
「すごいね」
『でしょ?』
『マイカちゃんが、かなり作ったらしいよ?』
「言われてみれば、こだわり強そうだね。」
箱庭は出来てから10年にならないぐらい。最初は新興宗教施設かと疑われ、ずいぶん怪しまれたらしい。とすると、ひょっとしてリブは最初からここにいるのか。
「作ったって?」
『うん』若いころから偉かったんだな。やっぱり優秀な人だ。
『でも一番えらい人はタロー』
「タロー?」「マイカさんの上司がいるのか」マイカさんの年齢からすると当たり前か。
『おじさん』
「微妙な情報」
リブはけらけら笑った。
———その頃。施設長室。
「昨日の子はどうだ?」
「心配には及ばないよ、タロー」「多分彼はここを出ていかない」
マイカが向かい合って話す相手の年齢は五十代くらい。短髪で、ガタイがいいことを除けばどこにでもいそうな男。サングラスで目線は見えない。
「賢い子だよ。気を付けないと見透かされそう」
「賢い、か」
「うん」
「彼の消去能力、リブの構築能力、まるで反対の能力だな」
男はやれやれ、と小さくため息をつく。
「箱庭の維持にも金がかかる。お前のこだわりが強すぎる。彼にも早急に何かしてもらわないとな」
「何か当てがあるの?」
「考えはあるが、彼がどこまで出来るのか調べるのがお前の仕事だ。異能者—Anomaly―のさらに上、特異者—Singularity―。その可能性を見ているんだろう?」
「にひひっ」口角を上げて笑うマイカ
「任せたぞ」言うと男は部屋からふっと消えていなくなる。
「相変わらず格好をつけた退場をするねぇ。No.1さん」
反射する光で振り返る彼女の胸元にIDカードが光る。ナンバーはS-〇〇〇004。
午後。学校棟。僕らは僕らが通う教室の前にいた。
『ここ!』
「が、教室?」
『うん』
中に入る。机。黒板。窓。普通だ。普通の学校。生徒が少ないせいか、机はまばらだった。
『人数少ないから、同じクラスだよ』僕とリブは同学年だった。リブの誕生日が早いらしく歳は今は一個上。『私がお姉さん。むふ』だって。すぐに追いつくよ。変な笑い方はマイカさんにやっぱり似ている。
『えっとここだね』ぱたぱたと教壇に立ってある席を指さす。
僕の席。窓際の二番目。『まただ』思ったとたん水の中を歩いているみたいに足が重くなった。何とかたどり着いた席から後ろを向いたとき、心臓が跳ね上がった気がした。……だめだ。早鐘を打つ心臓。背中に冷たいものが走る。
嫌だ。後。後ろ。後ろから飛んでくる。
紙屑。
ゴミ。
笑い声。
『ゴミ箱野郎』
…ルド。ルド痛かったかな。痛いよな。
『えっとね。ヒカルが一番なんだけど、先頭はか…代表の子なの。だからここね』
呼吸が浅くなる。冷や汗がじとっとでる。リブは何かに気付いたらしい。
『ヒカル?』首をかしげたリブの声が遠く感じる。僕は振り返れない。
「ごめん、なんだろ。無理みたいだ」
『座ろ?』背中を支えられて、僕は自分の場所になる椅子に引っかかるようにして、かろうじて座った。追いかけるように後ろの席にリブが座る。目線だけで彼女を追いかける。体はしびれたように動かない。
『見せたいものがあるんだ』
「…え…」口は動くが、うまく声が出ない。
『じゃーーん!』
目の前にカードが差し出された。IDカード。<I-〇〇〇025 (再発行) 一ノ瀬 リブ>
「ふ……再発行って?」受け取ったカードを見て、薄く笑う。少しだけ楽になった。
『そこじゃないよ』ぷくっと膨れるリブ。朝のハムスターみたいだ。
カードを持つ僕の右手を両手で包み込んでリブはにっと笑いながら言った。
『大丈夫。『朝霧』君の後ろは、私』
はっとした。さっきとは違うざわつきが起こる。
『大丈夫だよ』すとんと言葉が心に落ちた気がした。
なぜだろう。雨が降らない箱庭で、頬が濡れる。思わずリブから目をそらす。
『よしよし、もう大丈夫』赤ちゃんにでもするみたいに頭をなでてくる、リブ。
もうごまかせない。小さい子供のように突っ伏して泣く僕の背中を、リブはずっとさすってくれた。
少しして落ち着いて、気になったことを聞いてみた。
「マイカさんと暮らしているんだから、橘じゃないの?」
『んー。昨日決めたの。私、拾われた子供で苗字なかったから。元々マイカちゃんが自分で決めていい、って』ポケットの中の自分の番号に、思いが至る。僕が024、彼女が025。
『だから一ノ瀬。朝霧君の後ろにしよう、って思ったの』
もう出ないと思った涙が、もう一度溢れそうになる。
『ヒカル、もう一回泣く?』
読了ありがとうございます。
本作品はカクヨムに先行連載しております。大体1W遅れでなろうに投稿しています。当面は金土日に1話ずつ更新の予定です。よろしくお願いします。




