第5話「再出撃と絶体絶命のピンチ」
ムラクモ本部、薄暗い指令室。
壁一面を埋め尽くす大型モニターには、中庭のベンチで過ごす一組の男女が映し出されていた。
パンを分け合い、所在なげに空を見上げる少年と、それを少し離れた位置から、突き放すような視線で見つめる少女――藤浦春菜。
「……あの少年に『圭』って名をつけたそうですよ。司令」
情報担当の山本元信が、手元のタブレットから目を離さずに呟いた。
いつもの軽薄な笑みはない。
窓際に立つ司令官、立浪仁紀はコートの襟を立てたまま、モニターを見つめ、重い口を開く。
「本人の前じゃ口が裂けても言えんがな。……亡くなった弟さんの名前だ。年齢も、あの日から時が止まったままの彼と同じ。……死に場所を探しているような彼女にとって、これは良薬か、それとも猛毒か」
山本の言葉が、重苦しく指令室に沈殿する。
「前回の報告書を読みました。……ナイフ一本で、あの巨大なガーディアンに肉薄した。あれは戦いじゃない。……ただの自殺志願だ」
立浪は答えなかった。ただ、硬く結ばれた唇が、事態の深刻さを物語っていた。
その頃、中庭では、春菜が自分に近づこうとする少年――圭を冷たくあしらっていた。
「……こっちに来ないで。アンタを見てると、調子が狂うわ」
春菜はベンチの端に座り、視線を合わせようとしない。
「ごめんなさい、お姉ちゃん……。でも、僕……」
「その呼び方もやめてって言ったでしょ。あたしはアンタの身内じゃない。……ほら、これでも食べて、どっか行きなさいよ」
ぶっきらぼうに投げ渡されたのは、半分に割られたコンビニのパンだった。
受け取った圭が、戸惑いながらも一口齧る。その様子を、春菜は盗み見るように、けれど不器用に視線を逸らした。
突き放しながらも、彼女の手は微かに震えている。
亡き弟の面影を、目の前の実験体に重ねてしまう自分への、激しい嫌悪と、抑えきれない執着。
だが、そのささやかな歪みは、突如として鳴り響いた赤い警報によって打ち砕かれた。
「――市街地S2区画に、デリーパー出現ッ! 数は三……いえ、増殖中! 現在進行形で被害が拡大しています!」
福留未来の緊迫した声が、全館に響き渡る。
モニターに映し出されたのは、平穏な昼下がりを地獄へと塗り替える異形の群れだった。
急行した自衛隊の普通部隊が応戦するが、戦車砲すら弾き返すデリーパーの装甲の前では、現代兵器は無力な玩具に過ぎない。
瓦礫の山を築き、阿鼻叫喚を撒き散らす鉄の獣たち。
「……いつも通り、自衛隊に任せればいい。あたしの出番じゃないわ」
出撃準備を整えながらも、春菜は冷淡に言い放った。
だが、その背後に、防衛省上層部のスーツたちが立浪を伴って現れる。
「藤浦春菜。出撃せよ。……これはあの武装の市街地における実戦データ回収、そのテストケースだ。絶対遵守指令である」
上層部の官僚たちは、圭が起動キーである事実をまだ知らない。
前回の覚醒を春菜自身の潜在能力と誤認し、ただ単独の兵器として彼女を戦場へ放り出そうとしていた。
「……ッ! あの個体数に、単独でいけというの!?」
山本が食ってかかるが、官僚たちは冷徹に言い捨てた。
「だからこそ、あの武装の真価を測るにはうってつけだろう。出し惜しみは許されない」
立浪は、拳を握り締め、春菜に短く告げた。
「……行け。無理はするな、と言いたいところだが……今はそれしか言えん」
春菜は、拠点の隅で不安げに自分を見つめる圭を一瞥した。
(アンタを、こんな戦場に連れて行くわけにはいかない……)
彼女は一人、通常装備のナイフと銃を手に、地獄と化した街へ躍り出た。
「――あ、が……ッ!!」
市街地、崩落したビルの影。
春菜は血反吐を吐きながら、デリーパーの猛攻を紙一重で回避していた。
聖装を用いない通常装備では、敵の皮膚を傷つけることすら叶わない。
一体。ただの一体すら倒せず、彼女の肉体は次第に傷ついていく。
通信機からは、様子をモニターしている上層部の怒号が飛ぶ。
『何をしている! 早く武装を展開しろッ! 無能を晒すつもりか!』
「……うるさいわね……ッ。そんなの、あたしが一番わかってるわよ……!」
彼女の傍らには、起動キーである彼はいない。
「ムラクモ」本部・指令室。
大型モニターに映し出された地獄絵図を、山本と福留は、血の気が引く思いで見つめていた。
「――っ、何やってんだよ、あの官僚どもはッ! 弾丸すら通らねえ相手に、生身の女の子を突っ込ませるなんて、正気の沙汰じゃねえ!」
山本の悲痛な叫びが響く。
傍らに立つ福留も、唇を噛み締め、モニターに表示される春菜のバイタル値を凝視していた。
「なぜ武装を展開しないッ! 有効性を示せと言ったはずだ!」
通信機越しに響く、上層部の無知ゆえの怒号。
その喧騒の隅で。
ただ一人、モニターの中のお姉ちゃんを凝視していた少年――圭の体が、激しく震えていた。
(痛い……。お姉ちゃんが、痛がってる……)
少年にとって、春菜は世界そのものだった。
自分を闇から引きずり出し、名前をくれた、たった一人の絆。
その彼女が、鉄の獣に踏みにじられ、泥を啜っている。
「……助けなきゃ」
言葉は、誰にも届かないほどに小さかった。
だが、その瞳に宿ったのは、先ほどまでの中庭で見せていた心細さではない。
大切なものを奪わせないという、根源的で、圧倒的なまでの拒絶の意志。
圭は影が溶けるような素早さで、混乱を極める指令室を抜け出した。
厳重なロックが掛かっているはずの防爆扉が、彼が近づいただけでシステムを乗っ取られたかのように、音もなく開いていく。
絶望的な包囲網。
さらに、遮蔽物を巧みに利用し、春菜の死角を突く狡猾な新型が、その巨躯で彼女を押し潰した。
「あ……っ……」
至近距離から振り下ろされる、死の爪。
(ああ……結局、あたしはまた、守れずに死ぬのね……。ごめん、圭……)
自身のエゴで名を与え、置いてきてしまった少年の顔を思い浮かべ、彼女が死を覚悟し、目を閉じた。
その時。
「――お姉ちゃんッ!!」
戦場を劈く、少年の絶叫。
ムラクモの拠点を抜け出し、がむしゃらに、ただひたすらに彼女を求めて走ってきた圭が、瓦礫の山を乗り越えて姿を現した。
少年の瞳に宿る、鮮烈な意志。
その瞬間、春菜の胸の中で、凍りついていた何かが熱く爆ぜた。
「アンタ……っ、……馬鹿ね……本当にッ!!」
窮地の少女と、駆けつけた少年。
二人の魂が再び共鳴し、極光の旋風が戦場を支配しようとしていた。




