第4話「病室での尋問」
白。
視界を埋め尽くすのは、無機質で、あまりにも清潔な白。
鼻腔を突く消毒液の匂いが、ここが戦場ではないことを残酷に告げていた。
「……ハッ、……ぁ」
意識が浮上した瞬間、全身を灼熱の痛みが駆け抜けた。
神経の一本一本を、沸騰した鉛でなぞられているような、理不尽なまでの拒絶反応。
細胞が、自らの身に宿した未知の力の代償に悲鳴を上げている。
「動かないで。貴方の神経系は、今、オーバーヒートした回路と同じ状態よ」
冷徹な、だが透き通るような声。
傍らに立っていたのは、ムラクモの医療・通信担当、福留未来であった。
眼鏡の奥にある知的な瞳は、感情を排したプロのそれとして、バイタルモニターの数値を冷厳に追っている。
「……未来、さん」
「……九死に一生を得たわね、春菜。」
だが、その安堵を切り裂くように、無遠慮な足音が病室を蹂躙した。
灰色のスーツに身を包んだ、防衛省上層部の官僚たちである。
彼らの目に、満身創痍の少女を労わる色は微塵もない。
あるのは未知の力への強欲な探求心と、規律を乱したエージェントへの冷徹な追及のみ。
「施設で何があった!」
「あの武装の正体はなんだ!」
「あの少年は何者だ!なぜ連れ出した!」
矢継ぎ早に浴びせられる、無慈悲な尋問。
全身の細胞が灼熱の悲鳴を上げる中、春菜は数時間にも及ぶその執拗な詰問を、ただ冷たい視線と最低限の報告だけで耐え抜いた。
やがて、忌々しげな舌打ちと共にスーツの群れが去っていく。
泥のような疲労と静寂が戻った病室で、福留が深いため息をつき、手際よく点滴の速度を調整する。
その横から、緊張感のない、場違いなほどに明るい声が割り込んだ。
「おーおー、お目覚めかい、眠れる森の美女。福留先生みたいな美人に看病されるなんて、俺様が代わりたいくらいだぜ、全く!」
神出鬼没の情報担当、山本元信だ。
不謹慎な笑みを浮かべ、女好きな彼らしい軽口を叩くが、その視線は春菜の無事を確認して安堵に揺れている。
「……山本。……アンタ、うるさい。……頭に、響く」
「ははっ、手厳しいねぇ! だが、その毒舌が出るなら一安心だ」
山本のふざけた態度を無視するように、重厚な足音が病室に響いた。
扉が開き、長身の影が落ちる。
公安課特務機関「ムラクモ」の司令官、立浪仁紀。
その背後には、つい数分前まで春菜を数時間にわたって尋問攻めにしていた、防衛省の官僚たちの殺伐とした気配がまだ残っていた。
春菜はベッドに横たわったまま、忌々しそうに視線を逸らして吐き捨てる。
「……防衛省の官僚どもは、病院の面会時間も知らないの?あいつらに散々尋問られた挙句、今度は司令官直々のお出ましなんて。……不作法が過ぎるわ、立浪司令」
立浪はその鋭い毒舌を、厚手のコートの襟で受け流すように聞き、無表情のまま短く答えた。
「……生きて戻ったのは、幸いだった。奴らの尋問は済んだ。今は、ただの見舞いだ」
立浪は春菜の枕元に立ち、窓の外を、あるいはその先の見えない未来を見据えるように視線を固定した。
「回収した実験体――あの少年は、当面ムラクモで預かることになった。上層部は『アーク』との関連を疑っているが、現状、彼に意志は確認されていない」
「……あの子を、また実験台にするつもり?」
春菜の瞳に、憎悪にも似た鋭い光が宿る。
彼女は痛む体を無理に起こし、立浪を真っ直ぐに睨みつけた。
「あの子に、あの力を使う意志はないわ。……お願い、司令。上層部の連中から、あの子を保護して」
立浪は答えなかった。
だが、その無言は不器用な男なりの了承でもあった。
その時。
病室の空気が、一瞬で和らいだ。
春菜の心を蝕む刺々しい感情を、温かな春風のように解きほぐす、柔らかな声。
「そこまでになさい、立浪司令。女の子の病室に、そんな怖い顔で長居するものではありませんよ」
臨床心理士、天野澪。
彼女が微笑むだけで、無機質な病室に慈愛の光が満ち溢れる。
天野は男たちを優しく、だが有無を言わせぬ包容力で追い出すと、春菜の傍らにそっと座った。
「……天野、先生」
春菜の強張っていた肩の力が、目に見えて抜けていく。
復讐と怒りに凍りついた彼女にとって、天野の穏やかな眼差しだけが、唯一の安らぎ、唯一の救いであった。
「大変だったわね、春菜ちゃん。……あの子のこと、心配なのね?」
天野の手が、春菜の震える手を優しく包み込む。
「彼は今、自分が何者であるかを知らない、空っぽの器。……彼に、この世界での『居場所』を与えてあげられるのは、あの日、彼の手を引いた貴方だけだわ」
「居場所……」
「まずは、貴方が彼を呼ぶための『言葉』が必要じゃないかしら。名前は、呪いにもなるけれど、世界と自分を繋ぐ最初の『絆』になるのよ」
天野の聖母のような微笑みに、春菜は深く頷いた。
夜が明け、窓から一筋の、清冽な極光のような朝日が差し込む。
春菜は無理を押して、福留の制止も聞かず、別室で保護されている少年の元へ向かった。
隔離室の窓際。
少年は、初めて見る青い空を、奪われることを恐れるかのように、ただ静かに見つめていた。
その背中があまりにも小さく、かつて守れなかったあの背中と重なり、春菜の視界が滲む。
「……いつまで見てるの。そんなに見てたら、空に穴が空くわよ」
背後からの声に、少年はゆっくりと肩を揺らした。
振り返るその瞳は、まだこの世界の光に慣れていない、生まれたての獣のような心細さを宿している。
「……お姉ちゃん。身体、大丈夫なの? 僕のせいで……ボロボロに……」
「馬鹿ね。アンタが助けてくれたんでしょ。……これくらい、なんてことないわ」
春菜は壁に背を預け、神経を焼くような痛みを押し殺して不敵に笑う。
少年は、自分の小さな掌を見つめ、戸惑うように言葉を紡いだ。
「助けた……? 僕は、ただ、消えてほしくなかった。……それが、助ける、なの?」
「そうよ。……最高に不器用で、身勝手な助け方だったわね。おかげで死に損なったわ」
春菜の毒気に、少年は初めて困ったように眉を下げた。
その表情、その仕草。
かつて、いたずらがバレて縮こまっていた彼の残像が、朝日の陰に色濃く浮かび上がる。
「僕は、何……?名前も、どこから来たのかも……僕自身、何も知らない。空が青いことも、昨日まで知らなかった」
「……だから、教えるって言ったでしょ。これから、全部」
春菜は少年の傍らまで歩み寄り、その視線を窓の外、果てしなく広がる群青の空へと向けさせた。
「アンタは、道具じゃない。……少なくとも、あたしにとってはね」
「居場所……あるの? 僕にも」
「あたしが作ってあげる。……」
彼女は少年の傍らに立ち、その震える小さな手を、今度は逃がさないように強く握りしめた。
「……アンタの名前は、圭。今日からそう名乗りなさい」
理由も、意味も、そこにある残酷な執着も、少年は問わない。
少年は、春菜の青い瞳を、初めて生まれた感情を宿した黄緑色の瞳で見つめ返し、その名を噛み締めるように繰り返した。
「……ケイ。僕の名前。……ケイ」




