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極光の聖装戦姫  作者: スーチカー
第3章
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第3話「すれ違う夜」

 夕暮れのムラクモ本部。

 オレンジ色に染まった廊下の片隅で、藤浦春菜は途方に暮れていた。

 学校から帰ってきた圭の様子が明らかにおかしい。

 いつもなら、その日あった出来事を知葉の真似を交えながら楽しそうに話してくれるはずなのに、今日の彼はうつむきがちに「ただいま」とだけ呟くと、逃げるように自室へと引っ込んでしまったのだ。

「……あたし、何か怒らせるようなことしたかしら」

 自問自答しても答えは出ない。

 実の弟ではないからこそ、そして、弟のように大切に想っているからこそ、触れてはいけない心の傷があるのではないかと躊躇してしまう。

 踏み込むのが怖い。だが、放っておくのも耐えられない。

「春菜ちゃん、そんな怖い顔をしてどうしたの?」

 不意に、背後から柔らかな声が届いた。

 振り返ると、臨床心理士の天野澪が聖母のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべて立っていた。

「天野先生……。実は、圭の様子が……」

 春菜が事情を話すと、天野は優しく頷き、春菜の肩をそっと撫でた。

 その手の温かさに、春菜の強張っていた肩の力が僅かに抜ける。

「そう。男の子にはね、自分一人で抱え込みたい時もあるのよ。貴方が焦って踏み込めば、かえって彼を追い詰めるかもしれないわ。……春菜ちゃん、たまには息抜きも必要よ。今夜、女性陣だけで食事に行かない? 少し、彼と距離を置いてみましょう」

「え……でも、圭を一人にするわけには」

「大丈夫よぉ! 基地には立浪司令と山本さんがいるんだから!」

 いつの間にか背後に現れたオペレーターの森野あかりと、医療担当の福留未来が身を乗り出してきた。

「たまにはいいじゃない、春菜さん。立浪司令に『圭くんを頼みます』って言ったら、あの人、すっごく真剣な顔で頷いてたわよ。ね、行きましょう?」

 あかりの明るい声と未来の強引な誘いに流されるようにして、春菜は「……そうね。少しだけなら」と、重い腰を上げた。


 夜のムラクモ指令室。

 昼間の喧騒が嘘のように静まり返った室内で、大型モニターを見つめる二人の男がいた。

「……で、有原の野郎が燃やされたアジトの件だが。現場の熱量からして、十年前の香西義朝の連続放火事件と完全に手口が一致してやがる」

 山本が淡々と報告を上げると、隣に座る立浪司令は無造作に置かれた皿から、カツオのたたきを一切れ口に運んだ。

「だが、義朝はすでに死んでる。模倣犯か、あるいは……」

「あるいは、その技術を受け継いだ何者か。……引き続き洗え」

 立浪は地を這うような重低音で答え、塩をつけて、次の一切れに箸を伸ばす。

 その時。

 静かに電子ロックが開き、パジャマ姿の圭がトボトボと指令室に入ってきた。

「おお、圭。どうした、眠れねえのか? 春菜ちゃんたちは女子会に出かけていったぞ」

 山本が椅子を回し、気さくに声をかける。

 圭は俯いたまま、小さな声でポツリと呟いた。

「あの……。……女の人の心って、どうすれば分かるんですか?」

「ぶふっ!」

 刹那、山本が噴き出した。

 立浪は動じず、咀嚼していたカツオを飲み込むと鋭い眼光を圭に向けた。

「なんだなんだ! 学校で好きな子でもできたのか!? いやぁ、ませてるねぇ!」

「ち、違います……お姉ちゃんのことです」

 圭はギュッとパジャマの裾を握りしめ、自分の胸の内を少しずつ吐露し始めた。

 自分が「身代わり」なのではないかという不安。

 春菜が自分を見る瞳の奥に死んだ弟を重ねているのではないかという恐怖。

 そして何より――春菜が愛しているのは「僕」ではなく、亡き弟の身代わりとしての「器」なのではないかということ。

 話し終えた圭の肩は小さく震えていた。

「僕は……お姉ちゃんの隣にいていいのか、分からないんです」

 沈黙が流れる。

 山本もいつになく真剣な面持ちで圭を見つめていたが、やがて頭をガシガシと掻きむしった。

「あー……。まあなんだ。女心ってのは複雑なんだよ。俺様みたいに百戦錬磨でも、どうにもならねえ壁ってのがある」

 茶化すような言葉だが、その声は頼れる兄貴分として、不器用な優しさに満ちていた。

 立浪は最後の一切れのカツオをゆっくりと咀嚼し、飲み込むと、椅子を回して圭と正面から向き合った。

 その巨大な岩のような威圧感に圭の肩が微かに跳ねる。

「……圭」

 立浪の声が静かに、しかし断定的に響く。

「お前が何者であるか。誰の身代わりであるか。……そんなものは、戦場では何も関係ない」

「え……」

「だがな。お前が戦いの中で、藤浦を守りたいと叫んだその声だけは、紛れもない『お前自身のもの』だったはずだ」

 立浪は真っ直ぐに圭の瞳を射抜いた。

「名前や過去がどうあれ、今お前が彼女を守りたいと思う、その気持ちは真実だ。それ以上、何を悩む必要がある。お前の価値は、他人の記憶が決めるのではない。お前自身の『願い』が決めるものだ」

「僕自身の……願い」

 圭の瞳にほんの少しだけ、生きた光が戻った。

 立浪はそれ以上何も言わず、空になった皿を山間に押し付けると、再びモニターへと向き直った。

 不器用な男たちの静かで力強い救済の時間であった。



 一方、都内のお洒落な居酒屋。

「だからね! その映画のサメは、遺伝子操作で頭が三つあるのよ! もうパニック映画の基本を完全に無視してるんだけど、そこが最高にエキサイティングで――」

「へぇー! 未来さん、サメ映画ホント好きですよね! 私なら一口で食べられちゃいそう」

 未来が身振り手振りを交えて熱弁を振るい、あかりが楽しそうにカクテルグラスを傾けている。

 その喧騒から少し離れた席で春菜は烏龍茶の入ったグラスを見つめながら、天野澪と向き合っていた。

 まだ19歳の春菜にとって、アルコールは無縁のものだ。

 だが、店内の柔らかな照明と天野の包み込むような空気感に毒されてか、彼女の口からは普段なら絶対に漏らさない弱音が溢れ出していた。

「……最近怖くなるんです。圭を抱きしめる時、あたし、本当に『圭』を見ているのかしらって。あの子の優しさに触れるたび、死んだ弟の面影を追いかけているだけなんじゃないかって……」

 春菜の瞳から、一粒の涙が零れ落ち、烏龍茶の氷を微かに揺らす。

 天野は、それを待っていたかのように優しく手を伸ばし、春菜の冷えた手を包み込んだ。

「春菜ちゃん……。それは、貴方がそれだけ家族を愛しているという証拠よ。身代わりなんて思わなくていい。貴方が『家族だ』と望むなら、彼はもう、貴方の本当の弟なのよ」

「……本当の、家族」

「そう。血の繋がりなんて関係ない。貴方が彼を必要とし、彼が貴方を必要としている。それだけで十分じゃない。……大丈夫、貴方の愛は正しいわ。私が、ずっと貴方の味方でいてあげるから」

 天野の囁きは、甘い蜜のように春菜の心に染み渡っていった。

「……ありがとうございます、先生。……なんだか、すごく救われた気がします」

 安堵の涙を流す春菜を天野は聖母のような瞳で見つめ、優しく微笑み続けた。




 深夜。

 建設中の高層ビル群が立ち並ぶ人影のない一角。

 冷たい月光が、剥き出しの鉄骨を青白く照らしている。

 その最上階付近で一人の青年が佇んでいた。

 その男は手に持った特殊な音叉を静かに叩いた。

キィィィィィィィィン……。

 高周波の金属音が夜の静寂を切り裂き、周囲の空間を微かに歪ませる。

「……素晴らしい。この鉄骨が軋む崩落の音階が聴こえるか、梶」

 男はまるで愛しい恋人に囁くように、音叉の振動を慈しんだ。

 その背後から、もう一人の男が面倒くさそうに近づいてくる。

「これぞ、すべての構造物を崩壊へ導く固有振動。……あの方に捧げる、芸術的な破壊(シンフォニー)だ」

 その陶酔した狂気の呟きに対し、背後の男はふぅ、と煙草の紫煙を吐き出した。

「はいはい、素晴らしい芸術ですねえ、早川先生」

 男は呆れたように肩をすくめ、闇の中でニヤリと笑った。

「だがな、俺は芸術より、自分が無事に明日を迎えることの方が大事なんでね。有原も風間も、どいつもこいつもあの方に狂わされたイカレ野郎ばかりだ。……あんたのその芸術とやらが、俺に火の粉を被らせないことだけを祈ってるぜ」

 異常な狂信を抱き、破壊を芸術と捉える男の知性の中に渦巻く狂気。

「さあ、開演だ。この街すべてを、美しい振動の牢獄に変えてやろうじゃないか」

 新たな狂気が静かに、しかし確実に牙を剥こうとしていた。


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