第4話「崩れゆく鉄の島」
深夜の東京湾。
漆黒の海面に、巨大なガントリークレーンと天を突く煙突群の無骨なシルエットが浮かび上がっている。
京浜工業地帯の先端に位置する巨大コンビナートと建設中の高層ビル群が入り混じる人工島。
油と潮の匂いが混じる冷たい海風が吹き抜ける中、その男は暗い岸壁の先端に涼やかな顔で立っていた。
表向きは世界的に名を馳せる天才音楽家にして指揮者である彼は黒の燕尾服を夜風にはためかせながら、手にした特殊な音叉をまるでタクトのように優雅に掲げた。
「……さあ、開演だ」
キィィィィィィィィン……ッ!
男が音叉を弾いた瞬間、目に見えない高周波の波動が人工島全体へと波紋のように伝播していく。
直後、鉄とコンクリートの迷宮が一斉に断末魔の悲鳴を上げた!
ギ、ギギギギギッ……!!
それは通常の爆破テロなどとは次元が違った。
物理法則そのものが狂わされたかのような異様な崩壊劇。
幾重にも連なる巨大なパイプラインがまるで熱せられた飴細工のようにありえない角度に折れ曲がっていく。
球形の巨大なガスタンクが自らの固有振動数に耐えきれず異常な共振を始め、結合部から鼓膜を破るような異音と共に高圧蒸気を噴出させる!
ドォォォォォォォォンッ!!
臨界点を超えたガスタンクが大爆発を起こした。
その凄まじい衝撃波が隣接する施設群へと致命的なドミノ倒しを引き起こす。
何万トンもの重量を誇るガントリークレーンが根元からへし折れ、轟音と共に暗い海へと倒れ込んだ。
罠を仕掛けられた建設中の高層ビル群の鉄骨が関節を外された生き物のように次々と共振崩壊を起こし、分厚いコンクリートは砕けるというより、微細な粉塵となって空間に霧散していく。
漏れ出した大量の重油に引火した真紅の炎が瞬く間に夜空を焦がす。
燃え盛る業火の熱気と崩落によって巻き上げられた冷たい海水の飛沫。
相反する二つの要素が混ざり合い人工島は逃げ場のない完全な地獄絵図へと変貌していた。
「素晴らしい……! 聴こえるか、この鋼鉄が軋み、崩れ落ちる絶望の和音が!」
狂気に満ちた男の哄笑が炎の爆ぜる音に溶けていく。
「緊急事態発生! 京浜工業地帯の第7人工島にて、大規模な連鎖崩落を確認!」
ムラクモ本部指令室は耳障りなレッドアラートと森野あかりの悲痛な報告によって修羅場と化していた。
「崩落の原因は不明! ですが、現場に多数のデリーパーの反応があります!」
「単なる事故ではないな。……完全に、我々を誘き寄せるための舞台だ」
立浪司令が鋭い眼光でモニターを睨みつける。
映し出されているのは、今まさに海へと沈みかけている火の海と化した人工島だった。
「藤浦、圭。出撃だ。要救助者の有無にかかわらず、原因となっている敵性存在を速やかに排除しろ」
「了解ッ!」
春菜の力強い返事が響く。
だが、圭の顔色はどこか蒼白だった。
昼間の学校での出来事、そして白紙の原稿用紙を前に感じた「自分は身代わりなのではないか」という孤独な疑念がどろりとしたタールのように胸の奥底にへばりついて離れないのだ。
(大丈夫……僕は、お姉ちゃんの役に立てる。だから、ここにいるんだ)
「行くわよ、圭!」
「うん、お姉ちゃん!」
春菜と圭は直ちに出撃ゲートを飛び出した。 二人の魂が交差する。
立ち上る純白の極光。
神々しい白銀の装甲が顕現し、極光の戦姫が炎上する鉄の島へと降臨するッ!
熱風と黒煙が吹き荒れる崩壊の中心地。
上空から一直線に降下してきた極光の戦姫が、白銀の装甲で業火を弾き飛ばしながら、辛うじて原型を留めている岸壁へと降り立った。
「……酷い。島全体が沈みかけてる……!」
春菜が呟いた直後、瓦礫の山からワラワラと這い出してきたのは多脚の蜘蛛のような不気味なフォルムをしたデリーパーの大群だった。
「さあ、歓迎してやれッ!」
離れた安全圏から、男がタクトを激しく振り下ろす。
それを合図にデリーパーの大群が一斉に春菜へと殺到した!
「雑兵が束になったところで、あたしには届かないわッ!」
春菜は背部の光の翼から赤黒い粒子を噴射し、黄金の聖剣を両手で構え、極限の反応速度で地を蹴った。
一閃。
空間を断ち割る極光の断層が、先陣を切った三体のデリーパーをその分厚い装甲ごと真っ二つに両断する!
だが、春菜が次なる標的へ向かって力強く踏み込もうとした、まさにその瞬間だった。
ズガガガガガガッ!!
「なっ……!?」
敵が攻撃を避けたのではない。
春菜の足場となっていた分厚いコンクリートの地盤が、突如として液状化したかのように足元から崩落したのだッ!
「キャアァァァッ!?」
春菜の身体がバランスを崩し、宙に浮く。
見下ろせば、共振によって限界を迎えていた人工島の地盤そのものが真っ二つに割れ、暗く冷たい東京湾の海面が巨大な口を開けて待ち構えていた。
足場という足場が重油の炎を巻き込みながら、次々と海へと呑み込まれていく。
「アハハハハッ! どうした、極光の戦姫! 貴女の得意な近接戦闘とやらを、私に見せてみろ!」
男の狂笑が夜空に響き渡る。
彼は春菜を道連れにするためならば、自陣のデリーパーが海に呑まれることすらお構いなしに、次々と共振の波を送り込み、戦場そのものを破壊させていく!
「くっ……光の翼、最大出力ッ!」
春菜は間一髪のところでスラスターを全開にし、海面スレスレで空中へと退避した。
だが、安全な空域などどこにもない。
上空には爆発で吹き飛ばされた数百トンの鉄骨やコンクリート片が乱れ飛び、さらに足場を失ったデリーパーたちが、崩れゆく瓦礫を蹴って次々と春菜へと跳躍してくる。
「圭! 瓦礫の軌道を計算して! 踏み台になる足場と、敵の射線を!」
「わ、分かってる! 今、計算を……ッ!」
圭の脳内に無数のデータが滝のように流れ込む。
崩落する足場。風向き。炎の熱による上昇気流。敵の跳躍軌道。
すべてを完璧に処理し、春菜を導く一本のルートを提示する。
それが彼の存在意義だった。
だが。
(僕が間違えたら……お姉ちゃんは、僕をいらないって、思うのかな)
極度の緊張感が心の奥底に隠していたはずの孤独を暴走させた。
もし自分が弟の身代わりに過ぎないのなら、この完璧な演算能力を失った瞬間、春菜との絆は消滅してしまうのではないか。
その恐怖が突如として真っ黒なノイズとなり、圭の脳内を駆け巡る。
「ERROR」
視界を埋め尽くしていたはずの美しい青色の計算式がどす黒い文字化けを起こし、パラパラと崩れ落ちていく。
(どうして……計算が、まとまらない……!)
「圭!? どうしたの! 回避ルートは!?」
「あ、お姉ちゃん……右、いや、違う、下……っ!」
ノイズに思考を喰われ、圭の指示がコンマ数秒、致命的に遅れた。
その一瞬の迷いは音速の戦場においては死に直結する。
「えっ……きゃあぁぁぁぁぁッ!!」
指示の混乱によって生じた死角。
燃え盛る炎の中から飛び出してきたデリーパーの鋭い凶爪が、春菜の白銀の装甲を背後から思い切り薙ぎ払った。
ガァァァンッ!!
「がはっ……!!」
「お姉ちゃんッ!!」
激しい火花を散らし、春菜の身体が空中を弾き飛ばされる。
制御を失った彼女は、そのまま海へ向かって落下していく巨大な鉄骨の塊に、背中から激しく叩きつけられた。
「あぁっ、あぁぁぁぁ……ごめん、ごめんなさいお姉ちゃんッ!!」
パニックに陥り、泣き叫ぶ圭。
装甲のダメージアラートが点滅し、激痛に顔を歪める春菜。
「お姉ちゃんッ!」
「大丈夫よ、圭! あなたは落ち着いてッ!」
「――――ッ」
次々と降り注ぐ瓦礫の中で、彼女は極限の焦りから、つい語気を荒げてしまったのだ。
その言葉は春菜にとっては生存のための必死の叫びだった。
だが、疑念に囚われていた圭の心には、役立たずの身代わりに対する決定的な拒絶として、鋭く、深く突き刺さった。
(やっぱり……僕じゃ、ダメなんだ……!僕が、本当の家族じゃないから……ッ)
圭の心の中で、何かが完全に砕け散る音がした。
悲痛なノイズがさらに増幅し、二人の連携に致命的な不協和音を生み出していく。
「素晴らしい……素晴らしい不協和音だ!さあ、美しく散りなさい、極光の戦姫!」
炎上する鉄の島に指揮者の歓喜に満ちた絶叫が響き渡る。
迫り来る異形の群れ。
崩落し、暗い海へ沈みゆく戦場。
完全に連携を絶たれた二人へ向けて、無数の異形と崩れゆく鉄の雨が容赦なく降り注ごうとしていた。
極光の戦姫は、海へと沈みゆく限界ギリギリの足場の上で、嵐の前の圧倒的な窮地へと立たされていたッ!




