第6話「光砕く嵐」
無音の殺意が、全方位から極光の戦姫へと殺到する。
目に見えない音速の空気刃。
それは大気を超高密度に圧縮し、触れるものすべてを分子レベルで削ぎ落とす真空の処刑台だ。
「お姉ちゃん、次ッ! 敵の右手の指先が下を向く! 左斜め前方に気圧の空白ができるよ!」
圭の脳裏で演算が凄まじい速度で答えを導く。
風間春颯の視線、指の僅かな動き、そして周辺大気の急激な温度と圧力の変化。
その膨大な情報の奔流を瞬時に読み解き、見えないはずの風の刃を鮮烈な青い光の軌跡として網膜に描き出していく。
「そこねッ!」
春菜の網膜に投影された一筋の青い光のルート。
その最適解のナビゲートに対し、春菜は一切の疑いを持たずに自らの身体を預けた。
「戦災」有原との死闘、そして先ほどの疑心暗鬼を乗り越えた今の二人には、言葉すら不要だった。
極限の反応速度が、嵐の速度を完全に置き去りにする。
右。左。そして前進。
白銀の装甲が、まるで流れる水のように滑らかにステップを踏む。
ほんの数ミリ。コンマ数秒。
不可視の真空刃が春菜の頬を掠め、背後のコンクリートビルをバターのように容易く削り取っていくが、彼女の歩みは決して止まらない。
二人の心に、もはや裏切り者への疑念によるノイズは微塵もなかった。
あるのはただ目の前の敵を斬るという純度百パーセントの闘争心。
論理と直感。
相反するはずの二つの力が、信頼という名の触媒によって完全に融合し、戦場に奇跡のシンクロニシティを描き出していた。
「あら、やるじゃない。なら…‥これは!?」
風間の指先が狂ったように宙を舞う。
指揮者が激情のタクトを振るうかのように、何十、何百という空気刃が不規則な軌道を描いて乱れ飛び、春菜を八方から包囲する。
だが、当たらない。
力任せに振るわれていたはずの春菜の剣撃は、今や無駄を完全に削ぎ落とし、向かってくる風の刃そのものを的確にそして芸術的に斬り払っていたのだ。
「いいでしょう!! ここから私の本気を見せてあげるわ」
風間が低く笑い、両手を左右に大きく広げた。
その瞬間、戦場の空気が一変した。
これまでのような鋭い刃ではない。
周囲の空気が一気に吸い込まれ、真空状態へと近づいていくような肺が潰れるほどの圧倒的な圧の予感。
「私の能力は『気流操作』! 大気圧の操作による空間そのものの切断と圧殺よッ!!」
能力の開示。
それは、有原との戦いでも示された災害の強化を意味する。
敵が自らの力を定義し、世界に認知させることで能力はその牙を限界まで研ぎ澄ます。
「お姉ちゃん、マズいッ! 気圧が異常な速度で低下してる! これは……ッ!!」
圭が絶叫した直後。風間の背後に絶望が顕現した。
地響きと共に、周囲のビル群の残骸、ひしゃげた車両、そしてアスファルトの破片までもが強烈な上昇気流に乗って天へと巻き上げられた。
地上から上空数百メートルに達する巨大な、あまりにも巨大な螺旋の柱。
風間春颯を中心に、ビジネス街のビル群を軽々と超える全高を持った巨大竜巻が発生したのだ。
それはもはや刃などという小細工ではない。
大自然の猛威をそのまま凝縮したような、純粋な質量の暴力。
真空の渦が瓦礫を、アスファルトを、放置された車両を吸い込み、秒速数百メートルの速度で回転させながら、戦場を地獄の釜底へと変えていく。
「アハハハハハ! 壊れなさい! 砕けなさい! 美しい私の風の中で、すべて無に還りなさい!!」
風間の知的な仮面が剥がれ落ち、そこには破壊を愉悦とする「災人」としての本性が剥き出しになっていた。
周囲のビルが、まるで砂細工のように竜巻に呑み込まれ、粉砕されていく。
「負けるもんかッ!!」
春菜は歯を食いしばり、極光の翼を最大出力で噴射した。
白銀の流星となり、荒れ狂う巨大竜巻の目へと強行突破を試みる。
だが、そこにあるのは見えない壁ではない。
超高密度に圧縮された空気の層と、そこに混じった数千トンの瓦礫の雨だ。
ガガギギギギギギッ!!
「……っ、あぁぁぁぁぁぁッ!!」
突破できない。
極光の粒子が、圧倒的な風圧と質量に打ち消されていく。
装甲の各所から、これまでにない悲鳴のような軋み音が上がり、システムエラーの警告灯が視界を赤く染め上げる。
知的な撹乱を完全に捨て去り、純粋な暴力へと変貌した圧倒的な風圧が、春菜の突撃を容易く弾き返した!
竜巻の超高速回転による圧倒的な風圧が、 凶悪な質量兵器となって春菜の全身を無慈悲に打ち据える。
ドッ!!
凄まじい衝撃が春菜を襲った。
竜巻に巻き上げられた鉄骨の塊が、回避不能のタイミングで彼女の側腹部に直撃したのだ。
「がはっ……!」
口内から熱い鉄の味が込み上げ、春菜は鮮血を撒き散らしながら後退を余儀なくされる。
かつてないダメージ。内臓が、骨が、装甲越しに砕けるような衝撃。
(動いて……動いてよ……!)
必死に態勢を立て直そうとする春菜。
だが、その視界の隅で残酷な数字が刻一刻と時を刻んでいた。
十五分。
聖装戦姫の絶対的な活動限界。
戦いの序盤での消耗、そしてこの嵐の中での最大出力維持。
システムのタイマーは、無慈悲にも「0」へと向かって、最後の一秒を刻もうとしていた。
(だ、だめ……このままじゃ時間が……)
周囲を覆い尽くすのは、轟音を立てて荒れ狂う巨大な暴風の壁。
逃げ場など、どこにもない。
それは風間が作り出した完璧な暴風の牢獄であった。
「フフ……アハハハハハッ!!」
竜巻の中心、はるか上空から、風間春颯の狂笑が降り注ぐ。
「見なさい、この圧倒的な大自然の猛威を! 野蛮な光など、私の完璧な風の前ではただの塵に過ぎないわ!そして、タイムリミットよ!」
風間は白衣を狂ったように羽ばたかせ、血を流しながらも必死に耐える春菜を恍惚とした表情で見下ろした。
「さあ、美しく散りなさい、聖装戦姫ッ! この絶望の嵐の中で、跡形もなく消え去るのよ!!」
狂笑する天才の勝ち鬨が、竜巻の轟音に重なって響き渡る。
限界まで削られた体力。
立ちはだかる絶対的な大自然の壁。
絶体絶命のどん底で、極光の戦姫はかつてない深い絶望の底へと沈み込もうとしていた――ッ!




