第3話「嵐纏う脅威」
「はい、バイタルチェック終了! 二人とも異常なし、完璧な健康体よ!」
ムラクモ本部の医療室。
通信モニター越しに響く福留未来の明るい声が、放課後の穏やかな空気を包み込んでいた。
学校から帰宅したばかりの圭と、その隣でようやく安堵の吐息をもらした春菜。
しかし、福留の診察はここからが本番であった。
「でも油断は禁物よ! こないだ観た超大作竜巻パニック映画ではね、意思を持った巨大竜巻が、海から人喰いサメを大量に巻き上げて街を襲撃するのよ! 空から降ってくるサメの恐怖、分かる!? 人類は常に、大自然の脅威とサメに怯えて生きるべきなのよッ!」
身振り手振りを交え、異常な熱量と早口で語られるあまりにもズレた映画雑学。
モニターの向こうで拳を握りしめる福留の姿に、春菜は深い、深い溜息をついた。
「……未来さん。ここは日本よ。空からサメは降ってこないし、そもそも竜巻に意思なんてないわ。サメ映画の観すぎじゃないかしら」
「え……でも、図鑑には竜巻の最大風速は百メートルを超えるって書いてあったよ。もしホホジロザメの体重を約一トンだと仮定したら、揚力と風速の計算上、一定の条件下では巻き上げられて飛散する確率は……」
一方の圭は、生真面目な顔で持ち前の知識をフル回転させ、頭の中でサメが宙を舞う物理的シミュレーションを本気で始めていた。
その瞳は知的好奇心に輝いている。
「圭、そんなこと真面目に計算しなくていいの。未来さんの話に付き合ってたら日が暮れちゃうわよ」
春菜が困ったように圭の肩を叩いたその時、背後から堪えきれないといった風の笑い声が漏れた。
「アハハ! 司令、聞きました? 空飛ぶサメだって。ムラクモの医療担当は今日も絶好調ですね」
いつの間にか部屋の入り口に立っていた山本が、おどけた調子で肩をすくめる。
その横には、眉間に深い皺を刻んだ立浪仁紀が、彫像のように厳格な佇まいで立っていた。
「……福留。映画の話はそこまでにしろ」
「ひっ、司令!? い、いつからそこに……」
立浪の低い声に、モニターの中の福留が目に見えて縮み上がる。
平和だ。
誰もが、このバカバカしくも温かい時間が、ずっと続くと信じて疑わなかった。
だが。
運命という名の残酷な演出家は、突如として舞台の幕を強引に引き剥がす。
ビーッ! ビーッ! ビーッ!!
和やかな空気を完全に圧殺する、耳障りな緊急警報が全館に鳴り響いた!
「報告します! K9区画……副都心を中心としたエリアに、猛烈な局地的低気圧が発生! 最大風速は既に五十メートルを突破しています!」
指令室に待機している森野あかりから、緊迫した悲鳴のような報告が飛ぶ。
「た、ただの嵐じゃありません! その暴風の渦の中から、大量の中小デリーパーが湧いて出ました! さらに……嘘ッ、マズいよ! 暴風を推進力にして、異常な速度で街を削り取る新型まで混じってます!」
「――警報だ。全員、直ちに配置につけ」
立浪の号令が下る。
指令室。
メインモニターには、K9区画の高層ビル群が、文字通り壁のような暴風に呑み込まれていく絶望的な映像が映し出されていた。
「……春菜、圭。行けるか」
立浪の問いに、二人は顔を見合わせた。
春菜は静かに立ち上がり、その青い瞳に迷いのない戦士の光を宿した。
隣に立つ圭も、彼女の袖をそっと掴み、小さく、だが力強く頷く。
「……ええ。あたしたちの日常を壊そうとするなら、相手がサメだろうと嵐だろうと、全部叩き斬るだけよ!」
二人の魂が同調し、白銀の装甲が顕現する。
いざ、狂気の舞台へ。
極光が、荒れ狂う嵐の空へと一直線に射出されたッ!
暴風が荒れ狂うK9区画。
アスファルトが剥がれ飛び、車両が宙を舞う。
吹き荒れる大暴風の渦。
かつてのオフィスビルが立ち並ぶ通りは、視界を遮るほどの雨風に覆い尽くされていた。
その中心で、白銀の装甲と極光の翼を纏った春菜が、黄金の聖剣を手に降り立つ。
「ギチ……ギチギチギチッ!!」
突風に乗り、重力を無視した異常なスピードで滑空してくる異形の群れ。
さらにその後方から、暴風を装甲の隙間に取り込み、それを推進力へと変換する新型のデリーパーが、周囲の窓ガラスを粉砕しながら強襲してくる。
目にも留まらぬ速さと、風そのものを味方につけた鋭利な殺意。
だが。
その程度の嵐すらも、今の二人にとっては単なるそよ風に過ぎなかった。
「お姉ちゃん! 右斜め上から風に乗って三体! さらにその影、ビル風の渦の中に新型が加速して隠れてる!」
「見えてるわ、圭ッ!」
圭の完璧なナビゲートが、春菜の網膜に最適解のルートを青い線として鮮烈に描き出す。
そして、有原との死闘を経て研ぎ澄まされた極限の反応速度の直感が、嵐の速度を完全に凌駕した。
「遅いッ!!」
踏み込み。
そして、一閃。
春菜が極光の聖剣を横薙ぎに振るう。
絶対的な光の断層が、突風に乗って急降下してきたデリーパー三体を、その軌道ごと紙屑のように真っ二つに両断した!
「ガァァァァッ!!」
仲間を瞬殺された新型が、暴風の推進力を全開にして、死の爪を背後から叩き込もうとする。
だが、春菜は振り返りすらしない。
背部の極光の翼を逆噴射させ、空中で鋭角に軌道を変える。
新型の巨躯が空を切ったその瞬間、春菜はすでに敵の頭上に位置していた。
剣を、真下へ突き立てる。
「そこよッ!」
閃光が爆ぜる。
新型デリーパーは、自分が斬られたことすら理解できないまま、光の渦の中に霧散していった。
圧倒的。
無慈悲。
嵐を利用しようが、光の速度には届かない。
ものの数分。
春菜と圭の完全なる演舞の前に、嵐を纏った異形の群れは、ただの一体も残らず塵芥へと還っていった。
圧倒的な成長。
「戦災」有原との戦いを経て、二人のシンクロはもはや芸術の域に達していた。
「……掃討完了。」
群がる雑兵どもを文字通り一掃し、嵐の中に一時の静寂が訪れる。
春菜が光の聖剣を下ろし、短く息を吐く。
だが、すべてのデリーパーを殲滅したにも関わらず、周囲の暴風は一向に収まる気配を見せない。
むしろ、より一層その密度を増しているのだ。
それどころか、風は意志を持った刃のように、春菜の白銀の装甲をガリガリと削りにかかっていた。
「……お姉ちゃん、上ッ!!」
圭の悲痛な警告が脳内に響く。
聖剣を構えたまま、春菜は上空を睨みつける。
暴風の目。
そこには、ふわりと重力を無視して、涼やかな顔で宙に浮遊している一人の女がいた。
「あら、随分と野蛮な光ね」
白衣を荒れ狂う風にはためかせながら、女は春菜を見下ろして、ひどく冷たく、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「デリーパー風情に私の美しい風を使わせたのは少し腹立たしいけれど……おかげで、貴方の動きの良いデータが取れたわ」
「……お前が、この嵐の元凶ねッ!」
春菜が聖剣を構え直す。
だが、女は動じない。
彼女は優雅に指先を振った。
「……少し、この風の音を聞かせてあげる」
「お姉ちゃん、避けてッ!!」
圭の絶叫。
春菜は極限の直感で、反射的に横へステップを踏んだ。
音は、ない。
光も、ない。
ただ、春菜が先ほどまで立っていた背後の五十階建ての高層ビルが、水平に、そして完璧な断面を持ってスライドするように真っ二つに切断された。
目に見えない音速の空気刃。
それが、厚さ数十メートルの鉄筋コンクリートの塊を、一切の抵抗を許さず、完全に、音もなく真っ二つに切断したのだッ!
ズゴゴゴゴゴォォォォンッ!!
遅れて響く崩落の轟音。
巨大なコンクリートの塊が、重力に従ってゆっくりと滑り落ち、轟音と共に地上を砕く。
あまりにも静かで、あまりにも圧倒的な、見えない刃。
「私は災人の一人、『風災』の風間春颯。ようこそ……私が支配する嵐の中へ」
土煙の中で、春菜は戦慄と共に目を見開いた。
視界も、弾道も、すべてが風の支配下にある。
春菜は、かつてない冷たい死の予感に、聖剣を握る手に力を込めた。
見えない死が、知的な微笑みと共に、極光の戦姫の首筋へとその刃を突きつけていた――ッ!




