第8話「布教という名の外交」
推しの布教は、オタクの義務である。
前世では推し活アカウントでレオンハルトの魅力を毎日発信していた。攻略チャート付きの布教ツイート、名場面のスクリーンショット集、推しの台詞ランキング。フォロワー1,200人の中堅推し活アカウント。
この世界にSNSはない。でも社交界がある。
つまり社交界が、私の布教プラットフォーム。
「ご存じですか? 先月の北方の盗賊掃討、実質的な指揮を執ったのはレオンハルト・フォン・シュテルン副団長ですのよ」
午後の茶会。宮廷の小広間に集まった貴婦人たちの輪の中で、私は紅茶のカップを片手に、さりげなく話題を振った。
「まあ、副団長がですの?」
「ええ。団長であるディートリヒ閣下は後方で全体指揮をなさいましたが、前線で陣形を組み直して被害を最小限に抑えたのは副団長のご判断だったそうですわ」
これは嘘ではない。推し活情報ノートに記録済みの事実。騎士団の下士官から聞き出した情報と、財務卿の報告書の数字から照合した確度の高い話。
「お若いのに立派ですわねえ」
「実力で今の地位に就かれた方ですから。勲章も2つ。国境警備での功績と、西方の水害救援での功績で」
(推しの勲章の色と形と受勲日まで言えるけど、ここは控えめにしておく)
貴婦人たちが感心した声を上げる。紅茶の湯気がテーブルの上でゆらゆらと揺れ、焼き菓子の甘い匂いが漂っている。
別の日。別の茶会。
「レオンハルト副団長といえば、先日の訓練で新人を指導されている姿を拝見しましたわ。厳しくも丁寧で、新人たちから大変慕われていると聞きます」
これも事実。塀の上からの視察で確認済み。マルガレーテには「視察ではなく盗撮」と言われたが、結果的に布教に使えるエピソードを収集できたのだから生産的な活動だった。
「副団長の下の部隊は離脱率が低いらしいですのよ」
「人望がおありなのですわね」
「お顔も端正でいらっしゃいますし」
(わかる!!!推しの顔面の話ならあと3時間はできる!!!)
「ええ、もちろん。ですが容姿だけでなく、騎士としての実績で語られるべき方ですわ」
(推しの顔面については布教済みだから今日は実績メインで攻める。布教にもバランスが大事)
3つ目の茶会。ここでは少し上位の貴族が集まっている。
「北方の盗賊掃討は王太子殿下もご注目されていたと聞きます。副団長は今後、さらにご出世なさるのではないかしら」
「次期団長という噂もありますわね」
「まあ」
私が蒔いた話題が、もう独り歩きしている。布教の成果。推しの評判が社交界の中で少しずつ上がっている。
——そしてこれは、意図せず別の効果も生んでいた。
ディートリヒが騎士団の人事に介入しようとしているなら、レオンハルトの評判が社交界で高ければ高いほど、不自然な人事は通りにくくなる。「あの優秀な副団長をなぜ左遷するのか」と貴族たちが疑問に思えば、それだけでディートリヒへの牽制になる。
——と、マルガレーテは分析した。
私はそんなことは考えていなかった。推しの布教をしていただけ。推しの素晴らしさを世界に知ってほしかっただけ。
「お嬢様の布教活動、結果的に外交になっていますよ」
帰りの馬車で、マルガレーテが言った。
「外交?」
「レオンハルト様の評判を上げることで、ディートリヒ団長の人事介入を牽制している。社交界の世論を使った政治工作です。お嬢様がやっているのは」
「推しの布教よ」
「はい、お嬢様の中ではそうですね」
マルガレーテの声に、複雑な響きが混じる。
「客観的に見ると、周囲から悪役令嬢と思われている伯爵令嬢が、社交界で婚約者の評判を操作して、騎士団の内部政治に影響を与えている。控えめに言って異常事態です」
「異常ではないわ。前世のフォロワーさんたちだって推しの出演作品の評判を広めて推しの仕事を増やそうとしていたもの。それと同じことよ」
「前世のフォロワーさんが何者かは存じませんが、ここは王国の社交界です」
「推しの布教に世界の壁はないの」
マルガレーテが額を手で覆った。もう何度目になるかわからないこの仕草。
「……でも、効果は出ています。先日の夜会で、宰相夫人がレオンハルト様のお名前を好意的に出していました。あの方がお名前を覚えているということは、宰相自身の耳にも入っている」
「つまり?」
「ディートリヒ団長が不自然な人事を通そうとしても、やりづらくなっている。お嬢様の布教が、結果的にレオンハルト様を守っています」
(推し活で推しを守れている……?)
胸の奥がじわりと温かくなる。
推しの魅力を世界に伝えたい。それだけの気持ちで始めた布教が、推しの敵の動きを封じている。推し活の副産物がまた、推しを守る方向に動いている。
「お嬢様」
「何?」
「自覚してください。あなたは今、この国で最も効率的なロビイストです」
「ロビイストじゃないわ。推し活民よ」
「推し活民が国政に影響を与えないでください」
馬車の窓から夕暮れの空が見える。紫と橙のグラデーションが美しくて、推し活ノートに「夕焼けの色がレオンハルト様の礼装のマントの裏地に似ている」と書きたくなった。書く。帰ったら書く。
書斎で、推し活ノートと情報ノートの両方を開く。
推し活ノート:『本日の布教成果。茶会3件にてレオンハルト様の功績を布教。宰相夫人までお名前が到達した模様。布教効果は順調に拡大中。次回は武官系の茶会でも展開予定』
情報ノート:『ディートリヒの人事工作に対する社交界の抵抗力が上昇中。引き続きレオンハルト様の功績を「事実ベース」で布教することが有効。ただし過度な賞賛は逆効果になるため、エピソードの選定は慎重に』
ペンを置いて、ふと思った。
推しのために情報を集めて、推しのために布教して、推しのために敵を調べている。
全部「推しのため」。
そこに私自身の幸せは——別にいい。推しが守られれば、それでいい。オタクとはそういうものだから。
次話:「5時間の予習」




