第25話「嫌がらせをしたことはありません」
王城の大広間。
高い天窓から午前の光が差し込んで、赤い絨毯の上に長い四角形を描いている。壁に掛かった王家の紋章入りのタペストリーが、通り抜ける風でかすかに揺れていた。
最終審理の場。
あの日——断罪の日——と同じ場所。あの日、推しが護衛として王太子の隣に立っていて、私は怒られながら推しの横顔を見ていた。控えめに言って特等席だった。
今日の大広間は、あの日とは空気が違う。
ユリウス王太子が正面の壇上に座っている。金の髪に紫の目。表情は厳しいが、最初の呼び出しのときの一方的な怒りとは違う。書類を手に、こちらを見ている。
護衛の位置に——レオンハルトは、いない。
当たり前だ。婚約を辞退した。推しがここにいる理由はもうない。
(特等席じゃなくなった)
その考えが浮かんで、胸がちくりとした。振り払う。今は審理に集中する。
「グラーフ嬢。本日は嫌がらせの訴えに関する最終審理である」
ユリウスの声が広間に響く。
「訴えは3件。花瓶の破損、突き飛ばし、脅迫状。いずれもお前が関与したとする証言がある。お前はこれに対し、全て否認している」
「はい。私は——嫌がらせをしたことはありません」
声が広間に反響した。天窓の光が絨毯の赤を深く染めている。
「先日提出された書面を確認した。証言者の背景に不自然な点があることは認める。だが、それだけでは訴えを棄却する根拠にはならない。証言者が特定の人物と繋がっていたとしても、証言の内容が虚偽であるとは限らない」
正論だった。ユリウスは公平であろうとしている。断罪を主導した王太子が、今は裁定者として事実を見極めようとしている。
「お前が潔白であるならば——それを証明する証言が必要だ」
「殿下。私には——」
言いかけたとき、大広間の扉が開いた。
全員が振り返った。
淡い金色の髪。白いブラウスに薄青のスカート。丸い目が緊張で少し潤んでいて、でも——背筋はまっすぐ伸びている。
エステル。
「し、失礼いたします!」
エステルの声が広間に弾けた。少し上ずっている。でも逃げていない。
「ユリウス殿下、発言の許可をいただけますか!」
ユリウスが眉を上げた。
「エステル嬢。この場は最終審理だ。無関係の者は——」
「無関係ではありません!」
エステルが一歩前に出た。靴の音が赤い絨毯に吸い込まれる。
「わたしは——訴えの当事者です。嫌がらせの被害者とされているのは、わたしです。だから発言する権利があります」
ユリウスが言葉を失った。紫の目がぱちぱちと瞬きをしている。
(エステル——あなた——)
エステルが私の横に並んで立った。横顔が見える。緊張で唇が少し震えている。でも目は真っ直ぐ前を向いている。
「殿下。わたしは、セラフィーナ様に嫌がらせをされたことは一度もありません」
広間が静まり返った。
「花瓶の件。あの日、セラフィーナ様は窓際にいらっしゃいました。花瓶の近くには一度もお見えになっていません。わたし、覚えています。セラフィーナ様が窓際でとても楽しそうに何かを見ていらしたのが印象的で——」
(推しのダンスを見ていたのを目撃されていた。あの日も)
「突き飛ばしの件。中庭で転んだのは、わたしが自分で足を滑らせただけです。セラフィーナ様はその場にいらっしゃいませんでした」
「脅迫状については?」
ユリウスが聞いた。
「筆跡が違います。わたし、セラフィーナ様の筆跡を知っています。以前、薬草についてお手紙をいただいたことがあるので」
(手紙——あれは、推しの好む薬草についてエステルに質問した時のもの。聖女の知識で薬草の効能を教えてもらおうとした推し活の一環だった)
エステルが深く息を吸った。そして、壇上のユリウスを真っ直ぐ見上げた。
「殿下。セラフィーナ様は、わたしに一度も意地悪をしたことがありません。最初は距離を取られていましたけど、お話ししたら優しい方でした。わたしのことを聖女だからと特別扱いしない人でした」
エステルの声が少し震える。でも続ける。
「わたしは——証言します。セラフィーナ様は、悪役令嬢じゃありません」
広間の明るさがエステルの金髪を柔らかく包んでいた。丸い目には涙が浮かんでいるのに、笑おうとしている。この子は——いつもそうだ。怖くても、まっすぐ言葉にする。
前の会話が蘇った。「まっすぐ好きだって言える人になりたいんです」。
(あなたは、もう十分まっすぐよ。エステル)
ユリウスが長い間黙っていた。書類と、エステルと、私を交互に見ている。
「……エステル嬢の証言は記録する」
「ありがとうございます」
「だが、これだけで訴えの全てが覆るわけではない。被害者本人の証言は重要だが、訴えを提出した側の証言もまた——」
「殿下」
大広間の奥から、声がした。
全員が振り返る。
大扉の前に——銀色の髪が立っていた。
(——え)
心臓が、止まった。
次話:「一つ一つ」




