第11話「近い。近い。」
ユリウス王太子からの呼び出し状は、朝食の席に届いた。
蝋印を割る前に中身がわかる。追加調査。断罪が保留になってから2回目の呼び出し。前回は嫌がらせの訴えについてこっぴどく怒られた。今回もろくなことにならない。
ただし前回と違い、今回は手土産がある。ディートリヒの不正工作に関する情報ノートの一部を、マルガレーテと一緒にまとめた「嫌がらせ訴えの矛盾点メモ」。推し活ノートから政治的にヤバい部分を除いた、安全な抜粋版。
「お嬢様、身支度を」
マルガレーテがドレスを選んでくれている。淡い藤色。控えめだが品のある色。王太子への召喚で派手な格好はまずいし、地味すぎても媚びて見える。
「マルガレーテ、髪は?」
「低い位置でまとめましょう。反省の態度を髪型で見せるのは基本です」
「反省してないけど」
「態度の話です。反省しているかどうかは問題ではありません。反省しているように見えるかどうかが政治です」
伯爵邸を出て、馬車で王城へ向かう。
王城の謁見室の手前——小さな応接間に通された。壁に王家の紋章を織り込んだタペストリーが掛かり、磨かれた長机の上に銀の水差しが置いてある。窓の外の光が銀の水差しに反射して、壁に白い点を作っている。
ユリウス王太子は、長机の奥に座っていた。
金の髪に紫の目。端正な顔立ちに、若い王族特有の生真面目さが張り付いている。22歳。私より年上で、このゲームにおける王太子ルートの攻略対象。ただしレオンハルト推しの私にとっては、推しの主君という以上の意味はない。
「グラーフ嬢。座れ」
「失礼いたします」
椅子に腰を下ろす。ユリウスの前には書類が何枚か広げてあり、目を通している最中だったらしい。
「断罪の追加調査の一環で呼び出した。前回の嫌がらせの訴えについて、いくつか確認したいことがある」
「はい」
「まず——」
扉が開いた。
ユリウスが言葉を止める。私も振り返る。
銀の髪。碧の目。騎士団の正装。
レオンハルトが入ってきた。
(え)
「遅れました、殿下。護衛に参りました」
「遠慮のない時間だな、副団長。まあいい、入れ」
レオンハルトが応接間に入り、ユリウスの背後——壁際の定位置に立った。護衛。そう、王太子の護衛はレオンハルトの職務の一つ。前回の呼び出しのときもそうだった。
前回は推しの横顔を堪能しながら怒られたので内容が頭に入ってこなかった。
今回は——もっとまずい。
応接間が狭い。前回の大広間と違って、ここは4人用の小部屋。レオンハルトが壁際に立つと、私の斜め後方、2メートルもない位置。
(近い)
背中に視線を感じる。レオンハルトは職務として警戒態勢を取っているだけで、私を見ているわけではない。はずだけど、推しが後方にいるという事実だけで肌が粟立つ。
「グラーフ嬢」
「はい!」
声が裏返った。ユリウスが眉をひそめる。
「……落ち着け。尋問ではない」
「は、はい。承知しております」
(落ち着け。推しが近いくらいで動揺するな。2メートルだぞ。2メートルなんて推し活的には至近距離だけど物理的にはまだ余裕がある。問題ない。冷静になれ)
「前回指摘した訴え、覚えているか」
「はい。花瓶の件、突き飛ばしの件、脅迫状の件ですわね」
「そうだ。いずれもお前が関与したとする証言があるが、現時点で物的証拠がない。調査を続けた結果——証言者の背景にいくつか不自然な点が見つかった」
ユリウスが書類をめくる。
(おや)
「証言者のうち2名がクラウス家の縁者、もう1名はディートリヒ団長の直属の文官。これは偶然か、意図的な仕込みか。現在確認中だ」
(ユリウス、自力で辿り着いている——)
私が推し活で集めた情報と同じ結論に、王太子が調査権限で到達し始めている。呼び出された意味が変わった。これは尋問ではなく、情報の突き合わせだ。
「グラーフ嬢。お前はディートリヒ・フォン・クラウスとの接点はあるか」
「直接の面識は茶会と夜会で数度ほどですわ。特段の交流はございません」
「では、クラウス家とグラーフ家の間に利害関係は?」
「ございません。ただ——」
ここで矛盾点メモの出番。バッグから封書を取り出し、長机の上に置く。
「こちらは、訴えの内容を自分なりに整理したものです。花瓶の件について、私はあの舞踏会の間、窓際におりましたので現場には不在でした。証人もおります」
ユリウスが封書を開いて目を通す。眉が動いた。
「……窓際で何をしていた」
「景色を眺めておりました」
(推しのダンスを観察していた、とは死んでも言えない)
「証人は」
「侍女のマルガレーテ、および数名の令嬢方がお見かけのはずです」
ユリウスがペンで書類に印をつけている。その動きを目で追いながら、背後に意識を向けずにいられない。レオンハルトの呼吸の音。甲冑の金具が微かに擦れる音。外套の裾が動く布の気配。
(近い。近い。推しが2メートル後方にいる状態で知的な会話をしなければならない。これは拷問では?)
「グラーフ嬢。もう一つ聞く」
「はい」
「お前は——なぜそこまで詳しく反論材料を揃えている。令嬢が一人で調べ上げるには不自然な精度だ」
空気が変わった。ユリウスの紫の目が、真っ直ぐこちらを射抜く。王族の洞察。
「……日頃から社交の場で耳にした情報を、整理する習慣がございますので」
「情報を整理する習慣」
「ええ。メモを取るのが趣味と申しましょうか」
(推し活ノートのことを絶対に悟られてはならない)
ユリウスが唇を引き結んで、書類に視線を落とした。
「……まあいい。この資料は預かる。裏を取ったうえで改めて呼ぶ」
「承知いたしました」
立ち上がる。退出するとき、扉の手前でレオンハルトの前を通る。
1メートル。
すれ違いざま、推しの外套からかすかに革と鉄の匂いがした。訓練後そのまま護衛に入ったのだろう。その匂いを肺に閉じ込めたいと思ったのは完全にオタクの業だけど、呼吸が浅くなるのは止められない。
「グラーフ嬢」
背後から、レオンハルトの声。足が止まる。
「調査、大変だっただろう」
振り返れない。振り返ったら顔を見てしまう。1メートルの距離で推しの顔を見たら死ぬ。
「……いえ。大したことではございません」
「そうか」
それだけだった。
廊下に出て、角を曲がって、壁に額を押し当てた。石の壁が冷たい。その冷たさだけが、今の私を現実に繋ぎ止めている。
(推しが、私の努力を、認めてくれた——?)
(「大変だっただろう」って——推しが——私に——)
壁に額をつけたまま、しばらく動けなかった。
迎えのマルガレーテが来たとき、私はまだ壁と友達になっていた。
「お嬢様、壁に何を」
「推しが近かった」
「はい?」
「推しが。2メートル。いや最後は1メートル。近かった」
「お嬢様、距離の話をされても」
「近い。近い」
マルガレーテが深いため息をついて、私の腕を引いた。
次話:「お嬢様行動記録」




