†39話†:時間果実の、苦くて甘い午後
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【第一圏域:透哩の執務室】
任務を終えたサダオミが、重い足取りで空間の裂け目から這い出してくる。
背中には、いつもの「ひな」という重みがない。
その代わり、ソロ任務特有の、憑き物が落ちたような気だるさが全身に纏わりついていた。
「……終わったぞ、透哩。卯月んところの妹と、あの詰んでた聖女。……適当に『差分』を見つけてやれって言っといた」
デスクでログを精査していた透哩が、眼鏡の奥の鋭い瞳をわずかに上げる。
「……ほう。物理破壊ではなく、正論による再起動か。お前にしては随分と、……真っ当な解決をしたな」
「真っ当、て。……俺はいつだって真っ当だろ」
サダオミは近くの椅子に乱暴に腰を下ろし、深く背もたれに体を預けた。
「……卯月とうかの妹、暦か。あいつもあいつで、お前に懐いたようだな。報告書に『サダオミ様は光の導き手でした!』と、余計なポエムが並んでいるぞ」
「……やめろ。消せ、そのログ。恥ずかしくて死ぬ」
サダオミが顔を覆う。
とうかといい、暦といい、卯月家の女性たちの「重すぎる評価」は、サダオミにとってどんなバグよりも恐ろしい。
「さて、面倒な階層戦が成立する前に……」
透哩が次なる「異常ログ」を開こうとした瞬間、サダオミはその手元をひょいと遮った。
「……待った、透哩。あーだこーだ言うのは後にしよう。それよりちょっと、紅茶でも飲みに行こうよ。……そんな気分なんだ、今は」
しれっと告げられた誘いに、透哩は一瞬、彫像のように沈黙した。
事務処理の鬼である彼女にとって、「仕事中に茶を飲む」という提案は本来、言語道断のはずだ。
「……ふむ。……いいだろう。丁度、喉が渇いていたところだ」
軽く頷き、彼女は意外にも素直に立ち上がった。
◇
【第一圏域:星庭】
第一圏域の庭園には、「星の欠片」が砂利のように敷き詰められ、「概念花」が揺れるたびに淡い燐光を放っている。
二人は「時間果実」の木陰にあるベンチに腰を下ろし、何気ない会話を始めた。
「……なあ、透哩。さっきのログを見てて思ったんだけどさ」
「なんだ」
「下級天使の詰み方だよ」
「ふむ」
「……だいたい『不老不死』が原因になってないか?」
「そうかもな」
サダオミは、手元のティーカップを眺めながら苦笑した。
「いや、なんでみんな確認もせずにパーっとやっちゃうかなぁ。……『不老不死』なんて、劇薬だって分かりきってんだろ」
「ふむ。お前は……」
「お前は?」
「……そうではなかったのか?」
透哩の少しだけ悪戯っぽい視線に、サダオミは言葉を詰まらせた。
「……そうでした。すみませんでした。不老不死の行使ができるようになったって言われたら、……やらないといけないのかと思ってました」
かつて、自分もその「万能感」というバグに呑まれ、大した確認もせずに不老不死を行使した一人だ。
そんなサダオミの「しおらしい反省」に、透哩は耐えきれず、小さく、けれど確かに笑った。
「ふふ……」
「……あぁ、好きに笑うがいいさ。……ったく」
「たまには……」
「たまには?」
「……こういう時間も、良いものだな」
透哩の横顔に、穏やかな色が差す。
「……あぁ、また誘うよ」
「ふむ」
短い肯定。
だが、その声にトゲはない。
概念花が放つ青白い光が、二人の足元で静かに揺れている。
サダオミは冷めかけた紅茶を飲み干し、ゆっくりと空を仰いだ。
不老不死。
不変。
停滞。
かつて自分が求めた「完璧」は、今のこの「移ろいゆく、なんてことない時間」の心地よさに、到底及ばない。
「……さて、透哩。そろそろ戻るか」
「ああ。……『消滅』が始まる前にな」
透哩の言葉が、ふと温度を変える。
甘い休息の香りは、一瞬にして冷徹な任務の予感へと書き換えられた。




