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神様機構―悠久なる歯車―  作者: 太郎ぽん太
第 7 部 天界学園 編
329/336

†36話†:未登録の解答





 教室は、いつも通りの喧騒に包まれていた。

 次の階層戦の話題で、あちこちから軽口が飛び交っている。


「また階層戦(ティア・シフト)成立か」

「第二圏域の席替えは(せわ)しないな」

「どうせ、サダオミの瞬殺だろ?」


 笑い混じりの空気。どこにでもある、戦い前の軽い雑談。

 その弛緩した空気の中で――


「……あー、これまずいな」


 中村一式が、ぽつりと呟いた。唐突だった。


「何が?」

「いきなり弱気かよ」


 周囲が茶化す。だが一式は冗談を返すでもなく、少しだけ眉をひそめた。その視線は、自分の手元すら見ていない。


「……これ、消すやつだ」


「は?」


 教室の空気が、ほんの一瞬だけ、凍りついたように止まった。


「誰が?」

「いや……」


 一式は頭を掻いた。自分でも何を言ったのか分からない、という顔だった。


「お前なぁ、縁起でもねぇこと言うなよ」


 誰かが笑って流す。つられたように笑い声が戻り、空気はすぐに元に戻った。

 ―――いつも通りに。


 その時。

 るるかが、一式を見た。

 ほんの一瞬。睫毛の震えほどの僅かな時間、何かを測るように。

 だが、一式が視線に気づくより早く、るるかは視線を外した。何も言わず、何もなかったかのように。


「また、ひなのことおぶってるよ」

「いつも通りだろ」

「もう指定席だよなー」


 話題は自然と流れていく。誰も気にしていない。

 ―――はずだった。


「……」


 サダオミは一瞬だけ、一式を見た。

 違和感。言葉にできない、肌を粟立たせる何か。だが――


「……まあいいか」


 すぐに流した。深く考えるほどのことじゃない。そう判断し、意識の底へ沈める。


「サダオミはどうすんの?」

「どうもこうも、いつも通りだよ」

「ひな背負って突っ込むだけか」

「雑すぎるだろ」

「だいたい合ってる」


 軽口、笑い。空気は完全に元通り。

 ―――その時だった。


 教室の扉が、音もなく開いた。


 立て付けの悪い木製の扉が滑る音も、風の音もしない。誰も気づかない。

 だが、


「……来てる」


 一式が、小さく呟いた。


「え?」

「今、なんか言った?」

「いや……」


 一式は、首を振る。その視線の先。

 いつの間にか、一人の少女が立っていた。


 年齢不詳。表情はガラス細工のように薄く、感情の起伏が一切読み取れない。その瞳は――サダオミを見ているようで、その実、どこも見つめていなかった。

 教室のざわめきが、急速に引いていく。


「……あなたが、サダオミ?」


 少女が、口を開いた。

 静かな声だった。囁くようなのに、教室の隅々にまで、染み渡るように届く。


「……そうだけど」


 少女の焦点の合わない瞳が、サダオミを捉える。


「……確認」


 一拍。


「……結果、一致」


「え?」


 サダオミが眉をひそめる。


「何の話?」


 少女は答えない。ただ、静かに宣告した。


「……次」

「あなたが、対象」


 教室が静まり返る。論理の飛んだ言葉。だが、誰もそれを否定できない、絶対的な「確定の重み」がそこにはあった。


「……あー」


 サダオミは、軽く息を吐く。


「つまり、次の相手ってことか」


 理解は雑だった。だが、それで十分だった。


「まあいいや。どうせやることは一緒だしな」


 肩を回す。いつも通りの準備。

 その様子を、少女は見ている。いや、見ているのかすら分からない。


「……」


 一式が、無言でその光景を見ていた。胸の奥に、棘のように引っかかる感覚。だが、それが何なのか、どうしても分からない。


「……なんでだろうな」


 小さく呟く。誰にも聞こえない声で。

 教室は、再び日常のざわめきを取り戻していく。何も変わらない。いつも通りの光景。


 ―――の、はずだった。





 武闘場へと続く回廊。

 石畳を踏む足音が、規則的に響く。サダオミは、背中のひなを軽く揺らしながら歩いていた。


「なぁ、ひな」

「なにー?」

「他の圏域の生徒ってさ、所属してなくてもこっち来れたりするのか?」


 軽い疑問。だが、どこかが妙に引っかかっている。


「んー……基本は無理だよー」

「だよな」

「でもねー」


 ひなが、少しだけ首を傾げる。


「たまーに、変なの来る」

「変なのってなんだよ」

「うーん……」


 言葉を探すように、間。


「来てるっていうかー……」

「?」

「最初から、ここにいる感じ?」


「……は?」


 サダオミは足を止めかけて、やめた。意味が分からない。


「いや、それ来てるだろ」

「うん、来てるんだけどー……」


 ひなは困ったように笑う。


「なんか、違うの」

「……まあいいか」


 サダオミは、それ以上考えるのをやめた。どうせ、戦えば分かる。それでいい。


「今回の相手、強そう?」

「うん、強いよー」


 即答だった。


「へぇ」

「でもねー」


 ひなが、楽しそうに笑う。


「もう終わってる感じもする!」

「……どっちだよ」

「どっちもー!」


 軽い会話。いつも通りの空気。だが、歯車の一枚だけが、どうしても噛み合っていない。

 視界の先、武闘場の重厚な扉が見えてくる。サダオミは軽く肩を回した。


「ま、いいや。いつも通りでいくか」

「うん!」


 ひなが元気よく答える。その声は、いつもと同じ。

 何も――変わっていないはずなのに。





 武闘場。

 石造りの広間は、いつもと同じ広さのはずなのに――妙に、静かだった。


 観客席に人影はある。だが、ざわめきが薄い。期待とも熱気とも違う、どこか張り付いたような沈黙。


「……あれ?」


 サダオミは、首を傾げた。いつもなら、ここで――


「よーし、派手にいくか――」


 言いかけて、止まる。続かない。何かが、足りない。


「……まあいいか」


 小さく息を吐く。考えても仕方がない。

 背中のひなが、軽く身じろぎした。


「なんか、静かだねー」

「だな」

「でも、もう終わってる感じもする!」

「だからどっちだよ」


 軽口は、軽口のまま流れた。

 その時。


 対面の空間に、陽炎のような揺らぎが生まれる。最初から、そこに立っていたかのように。

 少女が、立っていた。

 年齢不詳。無表情。焦点の合わない瞳。


「……確認」


 一拍。


「……対象、一致」


 サダオミは刀の柄に手をかける。


「どうも。さっきの教室の子、だよな」


 少女は答えない。ただ、同じ方向を見ている。サダオミの身体ではなく、その背後か、あるいはもっと奥の空間を。


「……開始」


 宣言だった。

 同時に、空気が切り替わる。


 ―――来る。


 そう身構えた時には、すでに遅い。

 少女は、動いていない。

 それなのに。


 サダオミの身体は、半歩だけ横にズレていた。

 風が、頬を掠める。


「……?」


 遅れて、轟音と衝撃。

 遥か後方の石壁に、一直線の深い亀裂が走った。

 何も見えなかった。何も来ていないはずなのに。


「え、今の見てたの?」


 ひなが首を傾げる。


「……いや?」


 本心だった。見ていない。判断していない。なのに。


「……避けてた?」

「……っぽいな」


 自分で言って、自分で違和感を覚える。

 少女は、微動だにしない。それでも、無機質な言葉が落ちる。


「……回避完了」

「次、左」


 サダオミは、反射的に足を動かしていた。左へ。

 その瞬間。さっきまで立っていた位置を、不可視の何かが通過した。空気が裂ける。音は、ない。


「……おいおい」


 サダオミは苦笑する。


「今の、俺が避けたのか?」

「うん、避けてたー」

「そうかよ……」


 納得できない。だが、事実として成立している。

 少女は、ただ言葉だけをシステムのように落とし続ける。


「……参照」


 一拍。


「……正常」


 サダオミが、一歩踏み込む。

 踏み込む“前”に。少女の声が、重なった。


「……無効」


 刹那。サダオミの軌道が、ズレる。


「―――は?」


 自分の動きが、自分の意志と乖離する。踏み込んだはずの足が、わずかに外側へ着地する。

 結果。間合いが、届かない。


「……回避」


 少女の声。事後報告のように、淡々と。


「……なんだそれ」


 サダオミは、息を吐く。笑うしかなかった。


「未来予知か?」


 問いに、返答はない。ただ。


「……確定参照」


 それだけが返る。


「……あー、なるほどな」


 サダオミは、軽く肩を回す。


「要するに、“全部分かってる”ってやつか」


 理解は雑だ。だが、それでいい。


「じゃあ――」


 もう一歩。踏み込む。


「分かってても、どうにもならないとこ、いくね?」


 言いながら、自分でも分かっている。何をどうするか、まだ、決めていない。

 それでも。身体は、動く。


 少女が、初めて僅かに動いた。


「……?」


 ほんの僅かな遅延。瞳が、わずかに揺れる。


「……参照不能」


 その言葉と同時に。サダオミの刀が、伸びていた。

 理由はない。根拠もない。ただ。


「―――ここ」


 その一撃だけが、確定していた。

 サダオミの刀が、少女の目前で止まる。当たっていない。だが――空間が、軋んだ。


「……参照不能」


 少女の声が、初めて震える。

 ほんの、わずか。それだけで十分だった。


 サダオミは、踏み込む。今度は迷わない。身体が、勝手に“そうする”。

 少女が、言葉を落とす。


「……再参照」


 一拍。


「……分岐増加」


 瞳が、初めてサダオミを“捉えようとする”。焦点が、合わない。


「……収束しない」


 サダオミの刀が、ひるがえる。少女は避ける。避けるはずだった。


「……回避――」


 言葉が、途切れる。軌道が、ズレる。

 わずかに。それだけで、十分だった。


 刀が、少女の肩を掠める。初めての接触。

 少女の身体が、数歩分だけ後方に滑る。音は、ない。ただ、結果だけがそこにある。


「……」


 沈黙。少女は、何も言えない。処理が、追いつかない。


「……おいおい」


 サダオミは、軽く息を吐く。


「さっきまで余裕だったじゃねぇか」


 軽口。だが、その目はわずかに細い。違和感を、強烈に感じている。だが、掘らない。


「……再構築」


 少女の声が戻る。しかし。


「……参照不能」

「……参照不能」

「……参照不能」


 壊れた機械のように、同じ言葉を繰り返す。結果が出ない。

 サダオミは、距離を詰める。自然に。迷いなく。

 少女の視界に、サダオミが“入る”。はずなのに。


「……未登録」

「……定義外」


 その言葉が、落ちた。静かに。確定事項として。


「……なんだそれ」


 サダオミは、苦笑する。意味は分からないが、やることは変わらない。


「……初めて、だ」


 少女が、ぽつりと呟く。感情はない。だが、その言葉だけが空間に浮いている。


「……未来が、視えない」


 サダオミは、止まらない。止まる理由がない。ただ、一歩。踏み込む。

 その瞬間。少女の瞳が、初めてサダオミと“合った”。


「……違う」

「……未確定ではない」


 一拍。


「……未登録」


 理解が更新される。だが、遅い。

 サダオミの手が、伸びる。狙いはない。だが。


「―――ここ」


 その一点だけが、確定している。


 触れる。

 音は、ない。衝撃も、ない。ただ。

 結果だけが、そこにある。


 少女の身体が、崩れた。ゆっくりと。抵抗もなく。

 床に触れる前に、淡い光の粒子となって止まる。


「……判定」


 少女の声が、最後に響く。


「……敗北」


 そのまま。存在が、霧散する。最初から、いなかったかのように。


 静寂。武闘場は、音を失っていた。


「……終わり?」


 サダオミが、首を傾げる。


「終わったー」


 ひなが、軽く答える。


「だよな」


 納得は、していない。だが、事実として成立している。


「……なんだったんだ、あいつ」


「んー……」


 ひなが、少しだけ考える。


「変なの!」


「雑だな」


 サダオミは苦笑する。それでいい。それ以上は、考えない。

 観客席から、遅れてざわめきが戻る。何が起きたのか、理解していない音。だが、結果だけは誰の目にも明らかだった。


 勝敗は、決している。最初から。


「……戻るか」


 サダオミは、肩を回す。いつも通りの動作。いつも通りの勝利。

 ―――の、はずだった。


 足を踏み出す。その一歩が。ほんのわずかに、“遅れて決まった”気がした。


「……?」


 違和感。だが、


「……気のせいか」


 すぐに流す。サダオミは、そのまま歩き出した。何も変わらない。本当に、何も。

 ―――はずなのに。





 武闘場を後にして、帰路。

 勝利の余韻は、薄い。いつも通り。なのに、どこかだけが引っかかる。


「いやー、今回も一瞬だったな」

「いつも通りすぎて感想がないわ」

「ほんとそれー」


 周囲は、軽い調子で笑っている。何も変わらない。何も。

 ―――変わっていないはずだ。


「……」


 中村一式は、黙っていた。視線は前を向いている。だが、焦点が合っていない。


「おい、一式」


 誰かが肩を叩く。


「さっきの、お前のあれ何だったんだよ」

「……あれ?」

「ほら、“消すやつだ”ってやつ」

「あー、それそれ」


 軽いノリで問いかけられる。一式は、数秒だけ黙った。


「……なんでだろうな」


 頭を掻く。困ったように。


「……俺、そんなこと言ったっけ」


「は?」

「言ってただろ」

「マジで?」


 自分の言葉に、実感がない。記憶が、曖昧だ。


「……まあいいや」


 一式は、軽く笑って流した。


「当たってなかったしな」


 冗談めかして。それで終わりにする。深く考えるほどのことじゃない。

 ―――はずだった。


 その時。

 るるかが、一式を見た。

 ほんの一瞬だけ。何かを確認するように。


 次の瞬間には、いつもの笑顔に戻っている。


「お疲れさまでした」


 何もなかったかのように、自然に会話に混ざる。


「今回も、問題ありませんでしたね」

「だね」


 サダオミが、軽く頷く。


「まあ、いつも通りでした」

「はい、いつも通りです」


 るるかは、穏やかに頷く。その声に、揺らぎはない。完全に、いつも通り。


「……」


 一式は、その様子を見ていた。何かが引っかかる。だが、形にならない。


「……まあ、いいか」


 小さく呟く。誰にも聞こえない声で。

 違和感は、そこで止まる。それ以上、進まない。進めない。

 誰も気づかない。誰も触れない。


 何も変わらない。本当に、何も。変わっていない。


 ―――はずなのに。

 

 誰も、それを異常とは認識しなかった。

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