†34話†:美貌の書、バグの壁
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【世界書庫】
膨大な知が積み上げられた、静寂と埃の香りが漂う空間。
その一角で、サダオミはズズッ、と遠慮なくお茶を啜っていた。
「ほっほ。……『またおいで』とは言ったが、本当にすぐ来るとはのぅ。若者は元気でよろしい」
老師が嬉しそうに目を細め、サダオミの湯呑みに茶を注ぎ足す。
「ここの静けさが早速、恋しくなってさ。……それに爺さん、なんか色々知ってそうだしさ」
サダオミは適当な相槌を打ちながら、茶菓子を口に放り込んだ。
国家規模の「英雄依存」を解体し、一人の男をインフラから救い出してきた直後だ。
この世の果てのような静けさが、今は心地よい。
「世間話も結構だが。……さて、そろそろ言わんか。一体何が聞きたい? お主のその顔、ただ茶を飲みに来ただけではあるまい」
サダオミは一度だけ視線を落とし、すぐに顔を上げた。
その瞳には、純粋で切実な、
一人の「被害者」としての光が宿っている。
「……あのさ! 爺さん!!」
「ほいほい、何かの?」
「あの! 学園に入学したら男に戻れる約束だったのに、戻れないんですが!!」
身を乗り出して叫ぶサダオミに、老師は困ったように眉を下げ、ふぉっふぉっふぉと笑った。
「そんなの、ワシに言われてものぅ。……まぁ、バグにも『仕様』という名の逃げ道があるもんじゃよ」
「納得いかないよ!!」
サダオミの魂の叫びに、老師は湯呑みを置いて、ふぉっふぉと喉を鳴らした。
「そりゃ納得もいかんか。……ふぉっふぉ、それではこんな本はどうかの?」
老師が傍らにあった古びた書物を取り、パラパラと無造作にめくる。その瞬間。
「……は?」
サダオミの目の前で、信じられない事象が起きた。
深い皺の刻まれた老師の容姿が、まるで霧が晴れるように書き換えられていく。
白髪は艶やかな黄金色へ。腰の曲がった体躯は、立っているだけで絵になるような、非の打ち所のない「絶世の美男子」へと変貌を遂げたのだ。
「……爺さん!? 嘘だろ!! なんだその『ズルい本』は!!」
サダオミは椅子を蹴るように立ち上がり、老師の持つ本を奪い取るように借り受けた。
「それだよ!! それ貸して!! これで俺も元通りに――」
逸る気持ちを抑えきれず、サダオミは夢中でそのページをパラパラとめくる。
……書き換えのログを。
本来の肉体の情報を。
男だった頃の、自分を。
しばしの沈黙。
サダオミは、自分の手を、そして股間を、さらに胸のあたりを、神妙な顔で入念に確認した。
「…………」
……何も、変わっていない。
「……ふむ、効果がないのぅ」
美男子の姿をした老師が、澄んだ美声で残酷な事実を告げる。
「なんでだよ!!」
世界書庫に、サダオミの悲痛な咆哮が虚しく響き渡った。
◇
「ふぉっふぉ、ワシでダメならもうダメじゃ。そこは諦めるしかないのぅ」
美声での無慈悲な宣告を背に、「また来るよ……」と、とぼとぼと力なく世界書庫を後にするサダオミ。
その足で向かった救出委員棟では、透哩とひなが出迎えた。
「遅いざます!」
「今度は『ざます』なんだ。毎度毎度、どんな救出任務にいってるの、ひな吉くん」
「こいつのことは放っておけ」
透哩が冷たく一蹴し、サダオミに向き直る。
サダオミは肩を落としたまま、縋るような湿った視線を透哩に送った。
「……透哩。老師でもダメだったよ」
「何のことだ」
「わかってるくせにっ! 約束は破っちゃいけないんだぞ! 学園に入学したら男に戻れるって、そう言ったじゃないか!」
縋るような勢いで詰め寄るサダオミ。だが、透哩の周囲の温度が目に見えて下がっていく。
その氷のような瞳に射すくめられ、サダオミの「正論」は急速に萎んでいった。
「……戻れたら、いいなぁ……なんて」
「ふむ」
「いや、やっぱりいい! 『わかった』とか言わなくていい! 今の、ただの独り言だから!!」
必死に両手を振って前言を完全撤回するサダオミ。
その豹変ぶりを、ひなが「ざます」の語尾も忘れて呆然と眺めていた。




