†28話†:高鷺ゆえ― 運命の不協和音 ― ①
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その調べは、もはや第一圏域の「空気」そのものだった。
高鷺ゆえが奏でる、透き通った記憶の音色。
耳を傾ければ、荒んだ精神が凪ぎ、澱んだ思考がクリスタルのように透き通っていく。サダオミにとって、日常の合間に流れ込むこの響きに身を委ねる時間は、何物にも代えがたい「救い」となっていた。
……今日も、ゆえ先輩の音色は良いなぁ
サダオミは静かに目を閉じ、その完璧な旋律に意識を沈める。
教室を見渡せば、楢葉は目を閉じて黙想し、海里はペンを止め、一式さえもスマホを置いている。言葉にせずとも、この場にいる全員が、その至高の調律を「共有」していた。
だが。
――ぼえーっ。
突如として放たれた、形容しがたい濁った音。
まるで天界の薄氷を鉄槌で叩き割ったかのような、あまりにも無作法な不協和音が、静謐な学び舎を震わせた。
「……っ!? ゆえ先輩!?」
サダオミが椅子を蹴って立ち上がった、その瞬間。
瞑想していたはずの楢葉の耳が、ピクリと不自然に跳ねた。
海里が手にしていたペンを僅かに震わせ、
一式が、電光石火の速さで端末を弾き、『放送事故なう』とログを打ち込む。
誰もが言葉を失う中。
サダオミの隣で、透哩が眉一つ動かさず、ただ「サッ」と、普段よりも僅かに速い速度で教科書のページをめくった。
「あ、あれ……?」
動揺を抑えきれず、サダオミはゆえの指定席へと視線を飛ばす。
けれど、つい先ほどまでそこにいたはずの、高潔な奏者の姿は――掻き消えたように、どこにもなかった。
「あー……これは音楽委員棟だねー。……でごわ……あ、なおった」
背中にズシリと、見慣れた「重み」がのしかかってきた。
ひなだ。
おぶさってきた拍子に語尾のバグが直ったらしい先輩は、そのまま肩越しに、空っぽになったゆえの席を指差した。
「……ゆえ先輩の音色が外れるなんて、ただ事じゃないよ。ちょっと心配だし、様子を見てくる」
「ひなもいくー。あー、でも、ゆえがミスったんじゃなくて放送の方かも?」
「放送……?」
「第二圏域に担当委員があるんだよー。そこの中継システムがバグった可能性もあるねー」
意外な指摘にサダオミが眉を寄せた、その時だった。
「サダオミさんは、ダメです」
背後から、凍りつくような、けれど慈愛に満ちた絶対的な拒絶の声。
振り返れば、そこには教卓の前に立つ大宮るるかが、感情の読み取れない瞳でこちらを見据えていた。
「え、いきなりダメって言われた」
「あなたがそこへ行くのは危険と判断します。控えてください」
サダオミは「あ、そうなんだ」と、憑き物が落ちたような顔で頷いた。
「るるかさんが言うならそうなんでしょうね。了解です」
「聞き分け良すぎかー」
ひなのツッコミに、サダオミは心外そうに唇を尖らせる。
「だって、るるかさんだぞ? あの人が言うことに間違いなんてないだろ」
「……サダオミさん。るるかさんではありません。先生、です」
スッと眼鏡をかけ直す仕草で眼鏡がないことを示される。
サダオミは「あ、忘れてた」と手を打った。
「あ、眼鏡してなかった。わかりましたよ、先生。
……ってことで、音楽委員棟へ行ってみよっか。
ひな吉くん、案内頼める?」
「おー、いいよー」
るるか先生の忠告を胸に、サダオミはひなを背負ったまま、未知の「不協和音」が待ち構える音楽委員棟へと歩き出した。




