†25話†:セナキ ― 記録の裁定 ― ①
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ゾラとの騒々しい任務を終え、ようやく一息つける――。
そう思った瞬間、サダオミの視界は白一色に染まり、次の瞬間には、見渡す限りの本棚に囲まれていた。
静かだ。
天界の喧騒とも、精神世界のジメジメした空気とも違う。
古びた紙の匂いと、膨大な情報の重みだけが漂う、隔絶された空間。
「……なんだ、ここ。……システム?」
呼びかけに応える通信はない。
困惑して額を押さえるサダオミの耳に、のんびりとした、けれど深みのある声が届いた。
「おや、ようやく来たかね。……待ちくたびれて、本を三千冊ほど読んでしまったよ」
書架の陰から、小さな体に豊かな白髭を蓄えた、絵に描いたような「お爺ちゃん」が姿を現した。
サダオミは思わず、その姿を指差して固まる。
「……じいさん、誰? ここ、天界なのか?」
「ふむ……少し違うのぉ。ここは世界書庫。
わしが別次元に築いた、いわば余白の場所じゃよ」
「別次元……? 意味が……ていうか、じいさん。
アンタ、天使なのか?」
「それはそうじゃのぉ」
老師はニコニコと頷く。
サダオミはまじまじと、その深い皺に刻まれた顔を見つめた。
「天使にお爺ちゃんっているんだね……。
羽が生えた若いのばかりだと思ってた」
「ほっほ。
本体に形はないゆえの。
今は、お前さんが話しやすそうな本を選んで、この姿を借りておるわい」
老師はそう言って、手元の古い本を閉じた。
その仕草一つに、果てしない歳月が宿っている。
「サダオミ。
お前さんは、シアやセナキを覚えておるかな?」
「……忘れるわけないよ。
ラナクロアで出会った双子の兄妹……姉弟?
いつも言い合いしてたよね」
「あの子らは、わしの従属天使でな。
下級天使が降りる前の世界の下地を整えるのが役割じゃった。
いわば、世界の整形師よ。
……シアは、お前さんに世話になったの。
ホッホ、あの子が前を向くきっかけをくれたこと、礼を言うぞ」
シアの名を聞き、サダオミの表情が少しだけ和らぐ。
それを確認すると、老師は頷き、そして微笑んだ。
「……さて。
こういうのは、早い方が良い」
老師の目は、サダオミの背後の暗がりに向けられた。
「……ほれ、セナキ。
そこにおるのは分かっておる。
言わんか」
「……っ」
書架の影から、一人の天使が弾かれたように姿を現した。
サダオミの目が、驚きに見開かれる。
「……え、セナキ!? なんでここに……!?」
再会を喜ぶ間もなかった。
いつもなら「あはは」と人を食ったような笑い声をあげるはずの彼が、真っ白な十二単を震わせ、その場に崩れ落ちたからだ。
「サダオミ……僕は、……僕はね」
絞り出すような、掠れた声。
セナキは床に膝を突き、指が白くなるほど拳を握りしめている。
「君にシアを奪われて……一人ぼっちになって……。
それで、あの世界で君と再会した時、……僕、本当に、純粋な悪意で、君の世界を終わらせたんだ」
「セナキ……?」
「意趣返しだよ。
君が大事にしていた居場所も、君の命も、全部……『物語終了演算』で消してやったんだ。
……君が、大っ嫌いだったから」
セナキの瞳から、大粒の涙が溢れ出し、書庫の床を濡らす。
それから一冊の本をゆっくりと開いた。
ガチリ、と。
世界書庫の空気が、凍りつくような「死」の気配に塗り替えられた。
「なっ!?」
目を見開く。
白を終わらせた存在。
白の世界に終焉をもたらした者。
それが今、目の前にいる。
「……あれ……セナキだったの……か?」
「そうだよ……なのに。
……なんで、未来の君は、僕を思い出してるの?
『元気かな』なんて、……『仲良くなれればよかったのに』なんて……。
そんな、……バカみたいな選択肢、僕に見せないでよ……!!」
泣きじゃくりながら、セナキはサダオミに縋るように顔を上げた。
「ごめん……ごめんなさい……。
僕は、世界を壊した、ひどい天使なのに……。
……でも、……僕も、その未来を……選んでいいかな……っ?」
復讐を遂げたはずの管理者が、自らの悪意を「思い出」という名の暴力的な優しさに粉砕され、ただの泣き虫な子供のように震えていた。
サダオミは、目の前で「世界を滅ぼした姿」のまま震えているセナキを見つめ、ゆっくりと息を吐き出した。
恐怖がないわけじゃない。
あの日、自分が死んだ瞬間の感覚は、今も肌に張り付いている。
けれど、サダオミは逃げなかった。
その場にドカッと腰を下ろし、終焉の衣を纏った天使の顔を覗き込む。
「……よくわからないけどさ。その、僕が見たっていう『未来』?
それでセナキが救われるっていうなら……」
サダオミは、どこか照れくさそうに頭を掻いた。
「それを選べばいい。……いいんだよ、それで」
「……っ、でも、僕は……!!」
「いいんだって。
悪意があったお前も、今こうして泣いてるお前も、全部お前だろ。
受け入れて前に進むしかないよ。……俺も、そうしてるからさ」
かつての甘い理想を打ち砕かれ、地獄を這いずり、それでも「不殺」を捨ててまで誰かを守ろうと決めた自分。
サダオミもまた、自らの「変貌」を受け入れてここに立っている。
「だから……一緒にそうしよ?
お前だけじゃない。
俺も一緒に、このクソみたいな因果を背負ってやるからさ」
サダオミが差し出したのは、剣を握るための無骨な手。
セナキは、信じられないものを見るようにその手を見つめ――やがて、本から溢れていた漆黒の霧が、霧散していった。
終焉の姿が解け、元のセナキの姿がそこに残される。
「……やっぱり、君は変だよ、サダオミ」
セナキは涙を拭い、ひどく不格好に、けれどこの世界で一番人間らしい笑みを浮かべた。
「……うん。
でも、……やっぱり、面白かった」




