†21話†:卯月とうか ― 白亜の揺り籠への帰還 ― ③
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「……ただいま戻りました」
因果の回廊にサダオミの声が響く。
歩くたびに足元で「カチッ」と乾いた機械音が鳴り、彼が今踏みしめた座標に、淡い光の「事象ログ」が残留していく。
だが、そこに映し出されるのは人の形をした記憶ではない。
サダオミが一歩進むたび、「荒野で空気を切り裂いた際の衝撃波形」や、「男との対話で生じた空気の振動数」、あるいは「付着した血液の粘度と成分」といった、徹底して無機質で、それでいて生々しい「物理的な数値の断片」が、ノイズのように弾けては消えていく。
任務は思っていたより、早く終わった。
道中で変な男をスカウトするというイレギュラーはあったが、概ね滞りなくこなせただろう。
……たまにはサクッと終わるのもいいものだな。
サダオミが人事長室への報告に向かおうと、廊下の角を曲がった、その時。
「おっそーいにゃん! オミっち、遅すぎるにゃん!!」
視界の端から、驚異的な遅さで、けれど確実に「獲物」を狙う影が飛び出してきた。
――いや、飛び出したのではない。
ズルズルと、床を滑るように近づいてきたのだ。
「ひな吉くん。……もう戻ってたの?」
「戻ってたにゃん! 水晶の前でオミっちが帰ってくるの、ずっと待ってたんだにゃん! ほら、早く! 僕ぁ、もう三歩も歩いたから限界だにゃん! 筋肉が悲鳴を上げてるにゃん!」
「いや、語尾て」
「?」
「だから、語尾て」
「なにがだにゃん?」
「はぁ……とりあえず、三歩で筋肉痛になる天使がどこにいるんだよ。……あと、任務報告が先だから。降りてね」
「やだにゃん! 報告なんて後でいいじゃないかにゃん! ほら、肩! 私の定位置(特等席)を空けなさいにゃん!」
サダオミは深い、深すぎる溜息を吐きながら、慣れた動作で腰を落とした。
ひょい、と軽い感触が背中に乗る。
物理的には羽のように軽いはずなのに、その瞬間にずっしりと圧し掛かる「あぁ、日常に戻ってきてしまった」という精神的質量。
「……あー、これこれにゃん。やっぱりオミっちの肩が一番安定するにゃんー。一コインあげちゃうにゃん」
「だから語尾て。……あ、そうだ。るるかさん。例の新人、手続き済みました?」
サダオミが前方の空間に声をかけると、因果の回廊の壁が揺らぎ、知的な女性――大宮るるかが姿を現した。
「ええ、完璧よサダオミさん。萬ゾラ君……だったかしら。彼は今、第六圏域で卯月とうかさんと一緒に『初期研修(任務)』に向かったわ。……ふふ、どんな結果になるか楽しみね」
「……まぁ、あいつなら物理で解決してくるでしょう。あの天使が付いてるなら大丈夫だと思います。ずっと頑張って面倒見てたみたいですし」
サダオミはそう言って、背中のひなを揺すりながら教室へと歩き出した。
自分が拾ったあの「銀河最強」が、この天界でどうなっていくのか。
それは自分の与り知らない、未来の話だ。
「ねぇオミっち、さっきから誰の話にゃん?
私以外の新人の話しないでにゃん?
嫉妬しちゃうぞー(棒)」
「……はいはい。大人しくしててください、先輩」
サダオミがひなを背負って教室へ消えていくのを、穏やかな教師の顔をしたるるかが見送っていた。
「……あら、サダオミさん。一つ言い忘れていたわ」
ふと、るるかの手元にある端末が激しく明滅する。
そこには、選別委員・山本ロミオからの「緊急(言い訳)メッセージ」が届いていた。
『せんせーー!! ごめんなさい!! 新人天使の萬ゾラに渡すはずだった「初級・物理排除任務」の水晶、間違えて隣の棚にあった「特級・精神沈没任務」のやつ渡しちゃった!! あれ、誰がやっても無理な詰み案件だったのに!!』
「……ロミオ君。またやったのね」
るるかは溜息をつき、けれどその瞳には、教師としての微かな好奇心が宿る。
「本来なら学園生徒へ回るはずだった、あの案件。それを、あの『萬ゾラ』君が引き受けてしまった……。ふふ、彼なら、沈み切った彼女を物理で引きずり上げるくらいは、やってのけるのかしら。サダオミさんに関わってしまった天使ですものね」
るるかは端末を閉じ、サダオミが去っていった廊下の先を見つめた。




