†18話†:黄昏ひな ― 第一圏域の空席 ― ③
■
委員会棟から第一圏域の教室へと続く、白亜の廊下。
カツン、カツン。
サダオミの足音だけが空虚に響く中、そのすぐ隣には、足音一つ立てずに並走する透哩がいた。
「……ねぇ、ひな吉くん。一回だけって言ったよね?」
サダオミは肩越しに、背中で微睡んでいるマスコットへ釘を刺した。
視線の先には、教室の扉が見えている。
「ほら、もうすぐ教室だ。着いたら降りる。いいだろ?」
「……僕ぁここがいいのさ~」
ひなはサダオミの首に回した腕に、さらにギュッと力を込めた。
拒絶というよりは、もはや「このソファから動くコストを支払うつもりはない」という断固たる意志。
「……っ」
サダオミの頬を冷たい何かが掠めた気がして、隣を見た。
そこには、音もなく歩く透哩がいた。
その目は、サダオミの首筋に密着するひなの腕を、まるで異物でも観察するかのような冷徹さでで凝視している。
「…………」
「……透哩、あの、これには深い事情が……」
「…………運べ。無能。教室までだぞ」
足音も立てず、気配すら消して隣に立つ透哩。
その唇から吐き捨てられた言葉の温度に、サダオミの背筋が凍りつく。
ひなはそんな殺気などどこ吹く風で、サダオミの背中に頬をスリスリと寄せた。
「オミっちの背中、絶妙な硬さなんだよねぇ。……これ、僕の指定席にしていいかなぁ」
「よくないよ!! 約束って知ってる!?」
そんな押し問答を繰り広げながら、サダオミは半ば諦め顔で、賑やかな声が漏れ聞こえる教室の扉へと手をかけた。
ガラッ、と扉が開く。
「……ん?」
サダオミが足を踏み入れた瞬間、教室内を埋めていた「音」が一斉に止まった。
視線の集中。
サダオミは、自分が「得体の知れない新人」として、あるいは「おんぶをしている変な奴」として、冷ややかな視線を浴びることを覚悟した。
だが、クラスメイトたちの視線が突き刺さったのは、サダオミではなく――。
「…………ひなちゃん!? 登校したの!? 本物!? 本当に本物!?」
「わあ、ひなだ。 今日は天変地異でも起きるの? それともお腹が空いたの?」
爆発したような歓声。
真っ先に駆け寄ってきた音楽委員のゆえが、サダオミの顔など見もしない勢いで、背中のひなに詰め寄る。
「ひなちゃん! 久しぶり! 1000年寝てるかと思ったわ!」
「んぁー。ゆえ、久しぶり~。今日はサダオミが迎えに来てくれたから、歩くコストを削減して登校してみたよ~」
「まあ! サダオミくん、お手柄ね! あなた、この『不動の黄昏』をここまで運んできたの? 今日から第一圏域の『功労天使』よ!」
ゆえがサダオミの肩を景気よく叩く。
サダオミは呆然とした。
……不動の黄昏?
お手柄? ……
こいつ、そんなに珍しい存在だったのか?
と、いうか今更だけど第一圏域所属だったんだね……ひな吉くん
無口そうな少女、琥珀が当たり前のように飴玉をひなの口に放り込み、風紀委員の中村一式が「おい、サダオミ! おんぶ代わってやろうか? ひなを背負うのは、風紀委員の特権だろ!」と笑いかけてくる。
……なんだ、これ。
ひな吉くん……君、もしかして、とんでもなく『特別扱い』されてる……?
「……今更だけど。ひな吉くん、君、やっぱり本当に第一圏域所属だったんだね……?」
サダオミが心底驚いたような声を漏らすと、ひなはサダオミの肩越しに教室の奥、一番後ろの窓際の席を指差した。
「んぁー。僕の席、まだあったー。よかったぁ、撤去されてなくて」
「……え。あそこの空席って、ひな吉くんの席だったの!?」
サダオミは眩暈を覚えた。
これまで自分が「誰の席だろう」と不思議に思っていた主のいない空席。
そこに、この「鬼畜ニート」の居場所が最初から用意されていた事実に、世界の歪みを感じる。
「僕ぁそこの住人だよぉ~」
当然のようにのたまったひなに、慌てて駆け寄ってきた羽柴テンマが、這いつくばるようにして書類を差し出す。
「ひなさん! ちょうど良かった! 申請書のハンコ、サダオミさんの背中の上でいいから押してください! 今すぐ!」
「……サダオミ。運べ。無能。教室までだと言っただろ」
背後から透哩の無機質な声が突き刺さるが、サダオミにはそれを聞き流す余裕すらなかった。
無口な少女・琥珀が当たり前のように飴玉をひなの口に放り込み、風紀委員の中村一式が「おい、サダオミ! おんぶ代わってやろうか?」と笑いかけてくる。
……やっぱり、このクラスの中心ってひな吉くんなんだな……
サダオミは、自分が運んでいるものが単なる「ニート」ではなく、このクラスの「中心」にして「愛玩対象」であることを、降り注ぐクラスメイトたちの熱狂から初めて察した。
そんな騒ぎの最中。
教卓の方から、カツン、と硬質な音が響く。
るるかが、無造作にその眼鏡を外した。
「……ひなさん、お久しぶりです。それでは、全員、席を立ちなさい」
一瞬で静まり返る教室。
るるかの瞳が、鋭くサダオミを射抜く。
「珍しい顔も見えたことですし、場所を移しましょうか。――サダオミさん。ひなさんを降ろさず、そのまま付いてきなさい。星庭へ」
「……え、あ、はい! 結局、星庭までおんぶなんですね……」
ひなという名の「クラスの象徴」を背負ったまま、
サダオミは第一圏域の列に加わった。
◇
白いアーチを潜り、サダオミは思わず息を呑んだ。
視界に飛び込んできたのは、彼が今まで見てきたどの任務世界よりも、そしてどの圏域の校舎よりも透き通った、非現実的なまでの光景だった。
「……うわ、すごいな。ここ……」
足元では、踏むたびに星屑のような音を立てて弾ける『星の欠片』が淡い光を放っている。
視線を上げれば、見る者の記憶や感情に呼応して七色に色を変える『概念花』が、サダオミの戸惑いを映すように控えめに揺れていた。
任務に明け暮れ、世界の綻びばかりを修復してきたサダオミにとって、これほど「純粋に美しい」だけの場所は初めてだった。
「第一圏域の共有庭園だ。……サダオミ。任務世界ばかり見ていたお前には、少し刺激が強いかもしれないな」
隣を歩く透哩が、いつになく穏やかな、けれどどこか誇らしげな視線で庭を見渡す。
ゆえの笑い声が星々のせせらぎに混じり、琥珀が手際よくお茶の準備を始める。
サダオミは背中に伝わるひなの重みを感じながら、ふと目を細めた。
……第一圏域に、こんな場所があったんだな。思えば、ここのメンバーと、ここまでゆったりした時間を過ごすのは初めてだ。
いつもは血生臭い因果の渦中か、息の詰まる任務の報告。
けれど今、ここにあるのは、ただ同じ場所に集まり、天界の風に吹かれているだけの、何気ない時間。
たまには、こういうのもいいな……
サダオミがそんな「初めての安らぎ」に、心から浸ろうとした、その時。
背中のマスコットが、ヌルリと動いた。
「それじゃぁ、オミっち。約束通りゲームしよぉ」
先程までの神秘的な静寂を、ひなの平坦な声が台無しにする。
「……え、あ、うん。約束だもんね」
サダオミが毒気を抜かれたように頷くと、隣でそれを見ていた透哩が、ゆっくりと口角を上げた。
その瞳には、獲物を罠に誘い込むような、不吉な愉悦が宿っている。
「……一回死ぬまでだぞ?」
「え?」
透哩は答えない。
ただ、ほんの僅かに口元を歪めたまま、
何事もなかったかのように視線を外した。




