†17話†:黄昏ひな ― 1コイン契約 ― ②
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秒速で「赤の水晶」をクリアし、文字通り光の速さで天界へ帰還した黄昏ひな。
だが、その後の足取りは、先程の神速が嘘のように重かった。
「……んぁ。もう無理、限界。僕ぁここまでさ。もう一歩も歩けないよ~……」
委員会棟へ続く廊下のど真ん中で、ひなはズルズルと床にへたり込んだ。
1000年の引きこもり生活で筋力が衰えたわけではない。
ただ単に、歩くという行為そのものが「コストに見合わない労働」だと判断しただけだ。
要するに、ただ面倒なだけである。
「お疲れ様だね、ひな吉くん」
サダオミは苦笑いしながら、先に歩き出そうとした。
だが、背後からひたひたと、粘着質な視線が刺さる。
振り返ると、ひなが床に座り込んだまま、両手をこちらへ差し出していた。
「……ん!」
「え? ……何、その『ん!』は。もしかして、手でも引いてほしいの?」
「だから~、ん! なの。オミっち、察しが悪いなぁ」
ひなは、当然の権利を主張するように口を尖らせる。
その瞳には「学園まで運べ」という傲慢な魂胆が透けて見えていた。
サダオミは数秒、
その小さな手と、死んだ魚のような瞳を見つめた。
そして――
深く、深ーく溜息をつく。
「……分かったよ。一回だけだぞ」
サダオミが背中を向けて屈むと、ひなは「よっこいしょー」と、なんの遠慮もなくその細い背中に飛び乗った。
ひなをおんぶしたまま、サダオミは委員会棟の執務室へと足を進める。
カツン、カツン。
静まり返った委員会棟に、サダオミの足音だけが響く。
その背中には、大きなヘッドセットを首にかけ、サダオミの首に腕を回して脱力しきったひなの姿。
執務室の重厚な扉が開くと、そこにはデスクに指先を立て、氷のような殺気を放つ透哩が待っていた。
「…………」
無機質な部屋に、何かがひび割れるような幻聴が聞こえた。
透哩の視線は、サダオミの首に回されたひなの腕、そして密着した二人の背中に釘付けになっている。
「小波ぃ~、ひさしぶり~。僕ぁもう外に出ないからね~」
おんぶされたまま、ひなが気の抜けた声を上げる。
「任務したんだし、もういいよね? これからオミっちと一緒にゲームするんだよぉ」
「……ダメだ。働け」
透哩の声は、いつも以上に低く、鋭い。
「やだよぉ。外は疲れるんだよぉ」
「貴様も今日から『救出委員』だ。サダオミと共に因果を狩れ」
「なんで!? やだよ? そもそもね、タンクが遅れてきた時に、僕を生かせるヒーラーは滅多にいないんだよ!? オミっちはそれができる最高の人材なんだよ!?」
ひながサダオミの背中で暴れる。
サダオミは首を絞められそうになりながら、苦悶の表情でツッコんだ。
「ひな吉くん……何度も伝えたけど、それネトゲじゃ『先釣り』って言われてて、普通は嫌われる行為なんだよ……っ!」
「タンクがいつも一歩遅れてくるのが悪くない!?」
「真っ先に敵に飛んでいくお前が悪いんだよ!!」
執務室で繰り広げられる、あまりにも次元の低いネトゲの立ち回り議論。
空気が一瞬だけ凍りついた。
透哩は眉間を指先で押さえ、深い深い困惑の溜息をついた。
「…………何の話だ、それは」
「あー、もう埒が明かない……。透哩、こいつ、ご褒美がないと1ミリも動かないタイプだぞ」
サダオミが愚痴ると、透哩は鋭い瞳を僅かに動かし、ひなを冷たく見据えた。
「……報酬か。いいだろう。黄昏ひな、提案だ」
「んぁ?」
「お前がサダオミとゲームで1回遊ぶ――ひな、お前がゲーム内で一度『死ぬ』までを『1コイン』とする」
透哩は、一枚の任務水晶を指先で弾いた。
「1つ任務をクリアするごとに、お前に1コインを与える。コインがなければ、サダオミと遊ぶことは許可しない。……どうだ?」
ひなは一瞬、虚空を見つめた。
1任務で、オミっちと1プレイ。
しかも死ぬまで。
僕は死なない。
つまり無限……!
「……のった。1コインにつき、オミっちは僕のヒーラーとして専属契約ね」
「勝手に決めるなよ!!」
「僕ぁ死なないからねぇ~」
「いや、ゲーム内ではめっちゃ死んでるからね!?あの頃はまさか中の天使のことだと思っていなかったからね!?」
「中の人などいないからねぇ~」
「中に人はいなかった!天使だったわ!ちきしょうめぇ!」
こうして、天界で最も効率的で、最も不純な動機による「雇用契約」が成立した。
サダオミは、背中に残るひなの重みと、目の前で微笑む透哩の冷気を感じながら、自分のこれからの過労を確信して遠い目をした。
「……1コイン、ね…」
サダオミは、自分の未来の残業を確信して遠い目をした。




