†15話†:七瀬永愛 ― 戦闘不能 ― ①
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観測記録:第六圏域/特別保護個体
対象:七瀬 永愛
状況:任務放棄・消滅待機
裁定:救出委員会への委託
◇
「いやあああああ! 聞いてない! こんなの聞いてないから!!」
第六圏域の個室で、七瀬永愛はベッドの上で暴れていた。
迎えに来た一式に「異世界転生きたあああ!」と叫んで天界に来てから、わずか数日。
「なんなのこれ!? チート能力は? 私、ただの白い服着た『新人天使』じゃない! しかも1000年に一度は任務クリアしないと消滅? ブラック! ブラック企業より酷い! 私、もうここから一歩も動かないから!」
「……困りましたね」
対応にあたっていた、るるかが困り果てたように溜息をつく。
永愛はベッドの上で腕を組み、疑り深い目でるるかを睨みつけた。
「大体、怪しいのよ。詐欺なんじゃないの!? 私、前職で詐欺メールのフィルタリングしてたから詳しいんだから!」
「詐欺、ですか……。では、学園で実際に『救い』のために戦っている者の記録をお見せしましょう。これを観ても、まだそう思われますか?」
るるかはそう言って、空間に特大の任務水晶を投影した。
映し出されたのは、サダオミのこれまでの歩み――火の国から始まり、祝祭との出会いにわたる、血と汗と涙の総集編だ。
泥を啜りながらも地上で誰かを守り抜き、ボロボロになりながら天界の不条理に抗うサダオミ。時には孤独に震え、時には刹那の平和を噛み締めるその姿は、るるかの絶妙な編集(※視聴者の情緒を最大限刺激する編集済み)も相まって、至高の人間ドラマと化していた。
「…………っ」
永愛の目が、水晶に釘付けになる。
「……な、何この子。超健気。え、こんな細い体で世界背負わされてるの? 待って、第3部の雨の中の独白シーン、作画神すぎない? 無理、尊い。全人類がこの子を傷つけても、私だけは味方でいたい……っ!」
「この天使は川篠サダオミ。今は学園の第一圏域にいます。あなたが任務をこなし、学園に辿り着けば……。いずれ、この天使と同じ場所で『共闘』することも可能ですよ」
「私、ちょっと推しに会いにいってくるわ!!」
先程までのごねっぷりはどこへやら。
永愛は「サダオミきゅん、今ママが行くからね!」と鼻息荒く、任務へとダイブしていった。
降り立ったのは、魔物に怯える寒村。
彼女が引いた任務は「村を脅かす洞窟の主を討伐せよ」という、新人にはあまりに酷な戦闘任務だった。
「大丈夫、大丈夫よ永愛。サダオミきゅんだって、第1部ではこんな感じだったじゃない。私もあの子の隣に立つなら、これくらい……!」
彼女は村で借りた錆びた短剣を握りしめ、震える足で洞窟へと踏み込んだ。
だが、現実は非情だ。
最初の角で遭遇した、低級の餓狼一匹。
永愛は絶叫しながら短剣を振り回したが、当然当たるはずもない。
それどころか、転んだ拍子に足首を捻り、武器を暗闇の奥へと放り投げてしまった。
「……あ、あれ? 鑑定スキルは? 『オートガード』とか発動しないの? 嘘でしょ、かすり傷ひとつでHP(体力)がゴリゴリ削れるんですけど!?」
彼女は必死だった。
推しへの愛を燃料に、涙を流しながら奥へと逃げ込み、岩の隙間に隠れて魔物をやり過ごそうとした。
だが、逃げた先は行き止まり。
背後からは、彼女を追い詰めた魔物たちの湿った呼吸音が近づいてくる。
「……無理。無理だよサダオミきゅん……。これ、ボタン連打で勝てるやつじゃないもん……。推しに会う前に、私、ただの経験値になっちゃう……」
足首の痛みと、暗闇の恐怖。
「頑張る」と決めたはずの心が、音を立てて折れた。
絶望の中、彼女が最後に願ったのは、任務の完遂ではなく、ただ一目、あの「映像の中の推し」に会いたいという、あまりに純粋で自分勝手な願いだった。
◆
「……という案件だ」
委員棟の冷たい空気の中、透哩が淡々と水晶を差し出す。
そこに映っているのは、洞窟の隅で「サダオミ……きゅん……」と虚空を掴むように震えている永愛の姿だ。
「……あいつ、俺の何を見たんだよ。るるかさんも何を流したんだよ……」
サダオミは顔を覆った。
筒抜けのログから漏れ聞こえる「ママ」だの「作画神」だのという不名誉な単語に、頭痛がしてくる。
「肉体的消滅はない。だが、因果が固まれば再起不能だ。いってこい、サダオミ。……お前の熱烈な支持者が、因果の果てで消えようとしている」
「支持者じゃねぇよ、ストーカーだろあんなの! ……あーもう、分かったよ! 行くよ!」
サダオミはヤケクソ気味にブレザーの裾を払い、跳躍した。
第一圏域の空が、開き、反転する。
「……待ってろよ七瀬永愛。お前の『推し』が今からいくぞっと」
サダオミの叫びと共に、白の閃光が洞窟の闇へと突き刺さった。
◇
洞窟の奥。
行き止まりの壁に背を預け、永愛は迫りくる魔物の影を見つめていた。
鋭い爪が振り上げられ、彼女が反射的に目を閉じた、その時。
――ガキィィィィン!!
暗闇を切り裂くような、硬質な金属音。
「……え?」
恐る恐る目を開けた永愛の視界に飛び込んできたのは。
翻る白い裾。
大きな、黒いリボン。
そして、自分を庇うように背中を向けた、細く、けれどあまりに頼もしいシルエット。
「……まったく。新人が無理すんなっての」
振り返ったその横顔は、彼女が水晶の中で何度も巻き戻して観た、あのサダオミそのものだった。
「……本、物……? 作画が……作画がさらに良くなってる……っ!」
「うるせぇよ。……立て、永愛。とりあえず、外に連れ出してやるから」
サダオミは呆れたように言いながら、背の『飛鳥』には手をかけず、ただの拳を構えた。
「ひっ、推しに……名前を……呼ばれた……っ!!」
永愛はあまりの衝撃に、魔物の恐怖も忘れて鼻血を出しながら卒倒しかけていた。
「……サダオミ、きゅん……?」
泥だらけの頬を濡らし、永愛は目の前の「推し」を呆然と見上げた。
画面越しに観ていたはずの姿。
けれど、目の前の彼は、映像よりもずっと鋭く、冷たく、そして圧倒的に美しい。
「……あー、その。七瀬永愛。名前は覚えた」
サダオミは魔物の返り血を払い、永愛の前に立った。
「今のあんたじゃ、この任務は『詰み』だ。……救出委員の仕事は、対象に『可能性』を残すこと。だから――」
サダオミはそこら辺に落ちていた、何の変哲もない枯れ枝を拾い、永愛に突きつける。
「轟流剣術、基本の『型』。その一端だけを、あんたの意識に直接叩き込む。……俺が死ぬ気でやって、ようやく入り口が見えた代物だ。今すぐ使えるなんて思うな。だけど――」
サダオミが枝を構える。その瞬間、洞窟の空気が「切れた」。
音も、風も、そこだけ一瞬遅れた。
「俺はあんたを代わりに勝たせる気はない。だが、詰みだけは解除する。――生き残るための『正解』くらいは、脳に刻んでおくよ」
サダオミが舞う。
それは永愛が水晶で観ていた「アニメ」のような華やかさではない。
もっと冷徹で、合理的で、人間が一生を研磨に捧げなければ到達できない、あまりに遠い領域。
永愛の脳内に、暴力的なまでの情報量が流れ込む。
サダオミですらまだ途上。
凡人の永愛からすれば、それは「技術」ではなく、神が描いた「幾何学模様」を無理やり脳に押し込まれているような衝撃だった。
数分後。
サダオミは枝を放り投げ、肩で息をつく永愛を見下ろした。
「……以上だ。あんたの脳に『残像』だけは置いた。あとは、あんたが一生かけてそれをなぞるか、ここで死ぬか、好きにしろ」
「さ、サダオミ様……。私に、こんな……神の作画みたいなものを……」
永愛は震える手で、サダオミが捨てた枝を拾い上げた。
当然、サダオミのような動きはできない。
けれど、脳に焼き付いた「あまりに正しい残像」が、彼女の生存本能を無理やり叩き起こしている。
永愛は涙を拭い、満面の笑みで叫んだ。
「……っ、これよ! これなのよ! 『異世界で詰んだら推しが来た』っていうこの展開! 私、今、完全に主人公やってるわ!!」
「……え?」
「サダオミ師匠!! 私、絶対……絶対、その『学園』まで辿り着いてみせますから!! この『一番弟子(自称)』、七瀬永愛が!!」
「師匠じゃねぇし、一番弟子でもねぇよ! ……あーもう、いいや! 勝手にしろ!」
サダオミは光の粒子となって消えた。
一人残された永愛は、震える足で立ち上がる。
目の前には、なおも迫りくる魔物の群れ。
彼女は、サダオミが教えた型を――その「一万分の一」も再現できない不格好なフォームで、けれど執念だけで模倣し始めた。
「見ててね、サダオミ師匠……。私、あなたの『従属天使』として、まずはこの狼共を推し活の犠牲にしてやるわ!!」
◆
天界・救出委員会。
帰還したサダオミの報告を受け、るるかは泡を食ったように震えていた。
「……サダオミさん~、あなたが『可能性』を置いてくるのは良いですが、あの新人、全圏域に流れる通信ログで何て宣言したか知ってますか?」
「……聞きたくない」
「『私、サダオミ師匠の直弟子になりました! サダオミ様が透哩様に所有されているなら、透哩様は私の実質的なお婆様ですよね!』……って。……透哩さんの、あの冷え切った笑顔を見ましたか?」
「…………」
サダオミは一言も発さず、自分の大きなリボンを顔が隠れるまで引っ張り上げた。
「……死んでくる」
「逃げるなあああ!!」




