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神様機構―悠久なる歯車―  作者: 太郎ぽん太
第 7 部 天界学園 編
306/323

†13話†:第一圏域 ― 階層戦―





 第一圏域の空が、静かに開く。

 自由落下に近い速度で地上へ叩き落とされた時と同じように、帰還もまた、乱暴な重力の反転と共にやってきた。


「……おわっ、と」


 サダオミは委員棟の冷たい床に、猫のような身軽さで着地した。

 白のブレザーの裾を払い、大きなリボンを整える。

 地上で一樹と買い込んだコンビニのレシートが、任務の残滓ざんしのようにポッケから覗いていた。


 部屋の中央には、あの日と同じように透哩が立っていた。

 無数の任務水晶を星屑のように浮かせ、淡々と「帰還処理」を行う無機質な背中。


「……帰ったぞ。一樹の任務は『保留』だ。俺が勝手に継続にしてきた」


 透哩は振り返らない。

 指先が水晶の一つに触れ、遠くの空で光が一つ、無音で消える。


「……コンビニの新作菓子、か」


 感情の起伏が全くない、低い声。

 筒抜けだった。

 任務ログを見れば、サダオミが何をやっていたかなんて、直轄である彼女にはすべてお見通しなのだ。


「あぁ。地獄の住人が一番弱いのは、天界の救済じゃなくて隣のコンビニの期間限定新作だ。あの子の中に『来週』というバグを埋め込んできた。……文句あるか?」


 透哩はようやく、その淡い色彩の瞳をサダオミに向けた。

 ひらりと揺れる白のブレザーと、大きなリボン。

 その可憐な「備品」としての外装を一瞥し、彼女はわずかに目を細めた。


「効率が悪いな。願いが『確定』しているのなら、その構造を書き換えるなり、因果を断ち切るなりすれば済む話。……こうやる」


「いや、だからできないってばそれ!」


 サダオミがつっこむと、透哩は「なるほど」とあの日と同じように短く応えた。


「……まぁいい。対象世界のログが、実現経路消失から『保留』に書き換わったのは事実。時間はかかり過ぎてはいるが救出委員としての役割は果たした」


 透哩は残った一つの水晶をサダオミの目の前に差し出した。


「で、サダオミ。お前が地上で遊んでいる間に、第一圏域に席が増えた」


「あ、席って入替以外にも増えたりするんだ?」


「たまに、な……席数が一枠増加したことにより、楢葉宗太郎の第一圏域昇格。これに伴い、現・第一圏域最下位のサダオミに対し、第二圏域一席による『階層戦(ティア・シフト)』が成立」


 透哩は、撫でるような動作でサダオミの横を通り抜ける。


「私の所有物が何度も勝ちを譲られるな。……私に恥をかかせるな、備品ちゃん」


「あ、最下位のままなんだ?とか、やっぱり所有物なのね。とか、お前まで備品ちゃんかよ!とか、言う前に颯爽と去っていくのやめてね?」





 サロンを出ると、静止していたはずの弾幕が、堰を切ったようにサダオミの視界に溢れ出した。


『備品ちゃんおかえり!!』

『あ、ドナドナから生還した』

『ようこそ!第二圏域へ!!』

『いやいや!負ける前提かよ!w』

『でも相手、二圏の一席だぞ?』

『いいじゃん、負けても俺たちが可愛がってあげるし』

『二圏のアイドル就任式会場はここですかー?』


 サダオミは鬱陶しそうに、大きなリボンの端を指先で弾いた。

 周囲の熱狂は、もはや「応援」ですらない。

 自分たちのテリトリーに可愛いマスコットが降りてくるのを、今か今かと待ち構えている、甘ったるくて粘着質な期待だ。


 階層戦(ティア・シフト)の会場、第一武闘場。

 中央に立つのは、重厚な大剣を肩に担いだ第二圏域一席の男。

 彼はサダオミの姿を認めると、慈しむような、吐き気のする笑みを浮かべた。


「安心しろ、サダオミちゃん。君みたいな『華』をボロボロにするのは忍びない。一瞬で終わらせて、僕の腕の中で泣かせてあげるよ」


 視界の弾幕が、最高潮に加速する。

『泣いちゃうよー!』

『優しくしてやれよ一席!』

『頑張れ備品ちゃん(意味深)』


「……あー、うるさい。どいつもこいつも」


 サダオミは白ブレザーの袖を少しだけ捲り、抜刀すらしない構えでふらりと前に出た。

 地上で、ひよりとスイーツを評していた時の方が、よっぽど高尚な時間に思える。


「おい、一席様。……『瞬き』の準備はいいか?」


 審判の合図が響く。


「――開始!」


 審判の声が響いた。

 同時に、第二圏域一席の男が、その巨躯に見合わぬ速度で踏み込む。肩に担いだ大剣が、空気を切り裂く轟音と共に振り下ろされた。


「……悪いね、備品ちゃ――」


 男の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。


 男の視界。

 踏み込み、振り下ろす。

 その完璧な一連の動作の途中で、唐突に「世界がスキップした」。


 目の前にいたはずの白ブレザーの備品が、霧のように消えた。

 いや、そもそも最初からそこに居なかったかのような錯覚。

 次の瞬間、男の脳が認識したのは「自分の首に触れられた感覚」ではない。

 

 ――視界が、真っ白に弾けた。

 何をされたのかという「結果」だけが、後から押し付けられる。


 呼吸が止まった理由も、平衡感覚が消えた理由もわからない。

 ただ、天界の天井が猛烈な速度で迫り、直後に後頭部へ強烈な衝撃が走った。


 ドサリ、という重苦しい音が武闘場に響く。

 

 抜刀の音すらなかった。

 『飛鳥』はまだ、サダオミの背中で眠っている。

 ただ、サダオミの右手が、ほんのわずかに動いた。それだけだ。


 第二圏域一席。

 それが白目を剥いて床に沈んでいた。


 ……静寂。


 数千人の観客が詰めかけた武闘場が、まるで真空に包まれたかのような無音に支配された。

 

 サダオミは白ブレザーの袖を整え、何事もなかったかのように立ち上がる。

 

 視界の端で、先程まで狂ったように流れていた桃色の弾幕が、凍りついたように止まっていた。

 

『…………え?』

『今、何が起きた?』

『何秒……?』

『…………え???』


 一拍遅れて、真っ白な文字がポツリ、ポツリと、恐る恐る流れる。

 先程までの「愛でる会」の余裕は微塵もない。

 そこにあるのは、理解不能な事象に対する、根源的な「困惑」と、じわじわと滲み出す「畏怖」だった。


 可愛らしい備品は、そこにいなかった。

 そこにあるのが牙なのか、刃なのかさえ、誰にも観測できなかったのだ。


 サダオミは観客席のどこかにいるはずの透哩へ向けて、面倒くさそうにリボンを弾いた。


「おい、審判。……これ、俺の勝ちでいいんだよな?」


 静まり返った武闘場に、サダオミの温度のない声だけが響き渡った。

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