†12話†:小早川一樹 ― 実現経路消失 ― ⑤
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一樹のバイト先であるコンビニ『サンシャイン・マート』は、駅から少し離れているにもかかわらず、深夜まで妙な熱気に包まれていた。
さっき会計を終えたはずの男が、なぜかガムを一つ持って列に並び直す。
レジ前で財布を開いたまま、やたら小銭を探し続ける。
理由は明白だ。
「……あ、あの。お会計……」
「はい、六百四十八円になります」
レジに立つ一樹が、営業用の完璧な微笑みを浮かべる。
その瞬間、客の大学生らしき男が「ヒッ」と短く息を呑んで硬直した。
無理もない。
スタジャンを脱ぎ捨て、コンビニの制服に身を包んだ一樹は、どう見ても、このレジに置いていい顔ではない。
そこへ、自動ドアが能天気なチャイムを鳴らした。
「よっ、看板娘。相変わらず繁盛してんな」
入ってきたのは、白のブレザーに大きなリボンを揺らしたサダオミだった。
店内の空気が、一瞬で凍りついた。
静かに光る顔の横に、遠慮のない光が割り込む。
「……サダオミ。お前、何しに来たんだよ。しかもその格好で」
一樹が引きつった笑顔で、小声で毒づく。
「ひやかしに決まってんだろ。ほら、これ。お前の分も」
サダオミがカウンターに置いたのは、温かい缶コーヒーが二つ。
「お前の顔面で棚の回転率落ちてねぇか?」
「……お前のせいでもあるよ。ほら見ろ、客がスマホ構え始めたぞ」
一樹の言う通り、店内はもはやコンビニではなく、未確認のUMAでも現れたような騒ぎになりつつあった。
サダオミはそんな視線など、最初から存在しないかのように鼻で笑う。
「いいじゃん、お客様特権だ。あー、一樹。抹茶の新作、棚の奥から一番賞味期限が新しいやつ取っとけよ? 判定に妥協はしたくないからな」
「わかってるよ……職権濫用で確保しとくから、さっさと帰れ。営業妨害だ」
「ははっ、じゃあな!売上に貢献しろよ?」
サダオミはひらひらと手を振り、嵐のように去っていった。
残された一樹は、真っ赤な顔をして「……次の方どうぞ」と、震える声で接客を再開した。
帰り道、サダオミは夜風を浴びながら、ふと廃ビルの方角を見上げた。
ひよりは、今頃どうしているだろうか。
今ごろ、抹茶にどう難癖つけるか考えてるだろ。
「抹茶、外すなよ」
夜風に言って、サダオミは笑った。
◇
「……よし。行こう」
一樹が玄関で、決闘にでも向かうような悲壮な覚悟を口にした。その手は心なしか震えている。
ボロアパートの狭い玄関で、サダオミは白ブレザーの襟を整えながら、呆れたように隣を振り返った。
「一樹。お前、顔が怖い。死にたがりの女子高生を迎えに行く顔じゃなくて、これから処刑を執行する役人の顔になってるぞ」
「……だって、もし今日、あの子が居なかったら。もし、この一週間で、俺の知らないところで死ぬ方法を見つけてしまっていたらって思うと……」
「見つけられるわけないだろ。あの子、死ぬのだって結構飽きてたぞ」
サダオミは軽く一樹の背中を叩き、アパートの階段をトントンと小気味よく下りていく。
「大丈夫だ。あの子は今頃、『抹茶、まずかったら何て言ってやろう』って舌を研いで待ってるよ。ほら、行くぞ。まずは戦利品の確保だ」
二人は、深夜の冷気が心地よい街を歩き、一樹のバイト先とは別のコンビニへ向かった。一樹がバイトしている店だと、顔見知りに茶化されてサダオミが暴れる可能性があるから、という一樹の配慮だ。
自動ドアをくぐり、一直線にデザートコーナーへ向かう。
「……三つ。よし、ちゃんとあるな」
一樹が安堵の息を漏らす。補充の時間は完璧に把握していた。この時間にここへ来れば、品切れという最悪の事態は避けられる。
「ちょっと貸せ」
サダオミは一樹が手に取った『極・濃厚抹茶テリーヌ』をひったくると、一つ一つ裏返して、真剣な目つきで印字を読み取った。
「……サダオミ? 何してんだよ」
「賞味期限の確認だよ。一分一秒でもフレッシュな方がいいだろ。……よし、この三つがこの棚の精鋭だ。カゴに入れろ」
「お前、そういうところはマメだよな……」
一樹が苦笑いしながらカゴを差し出す。サダオミの徹底した「お客様目線」に触れているうちに、一樹の肩から少しだけ力が抜けたのが分かった。
「当たり前だろ。こっちはお客様だぞ? 最高の結果を求める権利がある。……よし、コーヒーも買ったか? 行くぞ。抹茶がぬるくなったら判定に響く」
二人はコンビニを出て、駅前の廃ビルへと足を早めた。一人は白のブレザーを翻し、一人はビニール袋を大事そうに抱えて。
屋上階のラウンジに入ると、ひよりは前回と同じ場所に座っていた。
けれど、扉が開いた瞬間に、彼女の視線がほんのわずかだけ、扉の方を向いた。
「遅い。……抹茶、売り切れたのかと思った」
開口一番、ひよりが言った。
死ぬための方法を考えていたはずの少女の口から出たのは、新作スイーツへの催促だった。サダオミはニヤリと笑い、大きなリボンを揺らして彼女の前に座り込んだ。
「なめるな。こっちは店員を抱き込んでるんだよ。ほら、判決の時間だ」
三人は円になって座り、一斉にパッケージを開ける。廃ビルの埃っぽい空気の中に、爽やかでいて重厚な抹茶の香りが広がった。
「……ん」
一口食べたひよりが、眉間に少しだけ皺を寄せる。サダオミと一樹も口に運び、それぞれが沈黙の中でその「味」と向き合った。
「……あー、これこれ。この抹茶の暴力的な苦味を、ホワイトチョコの脂質で無理やりねじ伏せてる感じ。最高に力技だわ。一樹、これお前はどう思う?」
「え、俺? 俺は……まぁ、前のタルトよりは食べやすいかなって思うけど……」
「……私は、そうは思わない」
一樹の無難な感想を遮るように、ひよりが小さく口を開いた。
「サダオミさんは、そう言うと思った。……でも、私は前のキャラメルの方が、毒っぽくて好きだったな。これは、綺麗にまとまりすぎてて……ちょっと優等生すぎる。……つまんない」
「はぁ!? 優等生だって? この苦味の抽出加減がわかんねぇのかよ! この、喉に残る絶妙なエグみが良いんだろ! これこそが抹茶だ!」
「……ふふ。サダオミさん、必死すぎ」
ひよりが、小さく、本当にささやかに口元を緩めた。
「……へぇ。また方向性の違いだねっ!」
サダオミは、待ってましたとばかりにニヤリと笑い、膝を叩いた。
「いいね。これからも俺達と一緒にコンビニスイーツを評していこうよ。上から目線でお客様特権としてあーだこーだと意見飛ばしあってさ、笑っていけばお手軽に楽しいよ?」
「……お客様、特権」
「そう。文句言う権利は、生きてる奴にしかないんだぜ」
サダオミは立ち上がり、背中の『飛鳥』をガチャリと鳴らした。
隣で一樹が、何も言わずにひよりを見つめている。
「……じゃあ、俺はここまでかな。一樹、あとは頼んだぞ。俺もたまには、新作の批評に来てやるからさ」
「……あぁ。任せろ」
サダオミが背を向けて歩き出す。
背後で、ひよりの小さな声が聞こえた。
「……次は、抹茶以外にして」
「わかってるよ。一樹、来週の火曜日は何味だっけ?」
「ええと……ベリー系のムースだったかな」
二人の会話が遠ざかっていく。
廃ビルの窓から差し込む朝焼けが、ひよりの横顔を淡く照らした。
ひよりは空の容器を見つめた。
「……ベリーか」




