†10話†:小早川一樹 ― 実現経路消失 ― ③
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冷房の唸る音が、静まり返った部屋に低く響いている。
俺はクッションに深く腰を沈め、手元にあるエナジードリンクの缶を指先で弾いた。
「……不老不死、か」
一樹がやらかした「詰み」の全貌を反芻する。
死にたいと願う人間に、死ねない体を与える。
救済なんかじゃない。
ただの拷問だ。
「海里が知ったら、泣きそうな話だな」
俺がそう言うと、一樹は天井を見上げたまま、乾いた笑いを漏らした。
「だろ? あのお人好しの姉ちゃんなら、俺と一緒に頭抱えてくれたかもな」
一樹はベッドの上で寝返りを打ち、ふと思い出したように俺を見た。
「そういや、お前を迎えに来たあの人……透哩だっけ。遠目から見たけどさ、あんな氷人形みたいな美人の下でよくやってるよな。サダオミ、お前。結構苦労してんだろ?」
「……あぁ、否定はしない。あいつは結果がすべてだ。過程なんてゴミ箱に捨てて歩くような奴だからな」
俺は脳裏に浮かぶ透哩の無機質な美貌を振り払う。
一樹はそんな俺を、天界で初めて会った時と変わらない、整いすぎた顔で見つめていた。
「……っていうかさ。お前がその制服着てるってことは、学園に入学したんだよな」
一樹が俺の胸元の校章を指差して、少しだけ悔しそうに肩をすくめた。
「どっちが先に学園に辿り着くか勝負しようぜ、なんてロケットスタート切った俺の負けか。……完敗だな、サダオミ」
「……勝負にはなってないよ。俺は一芸だけで、無理やり捩じ込まれただけだ」
俺はそう言って、背負った『飛鳥』に手をやる。
一樹は一瞬、俺の言葉を咀嚼するように目を瞬かせたが、やがていつもの調子で笑い飛ばした。
「ははっ、いいじゃん。どんな手だろうが、先に着いたお前の勝ちだよ」
一樹はベッドから身を起こし、窓の外のネオンを眺めた。
「……相手は、近所だよ。この街の、一番深いところで、ずっと『祈って』るよ。俺がコンビニで夜勤してるのも、そこから近いからなんだ。……仕事上がりに、たまに見に行くんだよ。まだ生きてるか、じゃなくて。……まだ死ねてないか、を」
その声は、ひどく冷え切っていた。
俺は床に置いた空き缶を見つめながら、軽い口調で言った。
「じゃあさ、主人公に願いを変えてもらえば?」
「……は?」
一樹が、聞き返してきた。
「だから、死にたいってやつ。別の何かを願ってもらうんだよ。主人公の願いって割とふわっとしてるんだよ」
一樹はしばらく沈黙した後、目を見開いて俺を見た。
「……お前、何言ってんの? 願いは『確定』したんだぜ。天界の記録に刻まれた、絶対の命令なんだ。それを変えるなんて、そんなの、聞いたこともないし……」
「いや、多分ふつうにできるよ。願いが叶った判定もいつもいい加減だしさ。天使のいい加減さなめるなよ?」
強烈な意志が理をねじ曲げる瞬間なんて、
嫌というほど見てきた。
「……マジで? そんなんできるの?」
一樹の声が、微かに震えていた。
「できるだろ。……よし、作戦会議だ。一樹、その主人公ついて詳しく教えろ」
「え、あ、あぁ……わかったよ」
一樹は戸惑いながらも、ベッドの上に胡坐をかいた。
深夜のボロアパートで、二人は向かい合う。
片方は天界を疑わない。
片方は、最初から信じていない。
ネオンが窓硝子に揺れた。
「……名前は佐伯ひより。地元の進学校に通ってた普通のJKだよ。いや、普通だった、って言うべきか」
一樹はスマホを操作し、保存していたらしい画像を表示した。
画面の中には、どこか遠くを見つめるような、影のある少女が立っている。
「理由は、まあ、よくある話だよ。いじめ、家庭不和、成績……それらが全部重なって、あの日、プツンと切れたんだ。で、俺が良かれと思って『死なないギフト』を贈ったせいで、彼女は死の安らぎすら奪われた」
「今はどこにいるんだ?」
「駅前の古い商業ビルの屋上階だ。あそこ、夜は誰も来ないからさ。あの子、そこでずっと『実験』してるんだよ。どうやったら、この呪いを解いて死ねるかって。さっき言っただろ? 飛び降りてぐちゃぐちゃになっても、その場で座り込んだ状態で復活しちゃうんだ。その時の顔、お前に見せてやりたいよ……俺のせいなんだけどさ」
一樹は自嘲気味に吐き捨てた。
サダオミは飛鳥を膝に置き、冷静に分析する。
「死ぬことに執着してるうちは、システムは『死にたい』って願いを叶え続けようとする。不老不死が解けないのは、本人が死ぬ以外の出口を見つけてないからだ。……なぁ、一樹。その子、他に何かないのか? 好きな食い物とか、ずっと見てる動画とかさ」
「それが……何もないんだよ。俺もバイト代で美味いもん差し入れしたり、面白い漫画持ってったりしたけどさ。全部無視。あの子にとって、今は『死ぬこと』が唯一の娯楽で、唯一の救いなんだ」
「娯楽、ね……」
サダオミは天井を仰いだ。
死ぬことが、生活の一部になってしまった女子高生。
死ぬことより強いか。
あるいは、死ぬことよりくだらない何か。
「……いいか、一樹。こういうののコツはな、高尚な目的を与えることじゃない。もっと、こう、中毒性のある『しょうもなさ』だ」
「しょうもなさ?」
「あぁ。理屈じゃなくて、“つい手が伸びるやつ”な。
例えば……そうだな」
サダオミは、この世界に降りてからずっと鼻を突いている、ある匂いを思い出した。
「一樹、お前のバイト先のコンビニ。あそこの新作のスイーツとか、まだ食わせてないだろ?」
「……は? スイーツ? お前、あの子がそんなもんで……」
「なめるなよ。地獄にいる奴が一番弱いのは、天界の救いじゃない。隣のコンビニの期間限定新作だ」
作戦は決まった。
救いではない。
スイーツだ。
「本気か? サダオミ。あの子、俺が持ってった高級ホテルのケーキだって、一口もつけずに窓から投げ捨てたんだぞ」
一樹が信じられないといった顔で立ち上がる。
その足元では、サンダルが片方脱げたままだ。
「高級ホテルのケーキなんて、『施し』の味がするだろ。あの子が今求めてるのは、もっとジャンクで、期間限定で、今買わないと明日には消えてるっていう――その場しのぎの『今』だよ」
俺は立ち上がり、背中の飛鳥を揺らす。
「いいから行くぞ。お前のバイト先、ここから近いんだろ? 」
「……はぁ。わかったよ。もうどうにでもなれ」
一樹は観念したように笑い、乱雑に脱ぎ捨てられたサンダルを履き直した。
深夜二時。
街灯の下を、二人が歩く。
一人は名刀を背負った制服姿。
一人はコンビニの制服にスタジャン。
行き先は、煌々と光るコンビニだった。
自動ドアが軽快なチャイムを鳴らす。
一樹は「よぉ」と夜勤の相方に軽く手を上げると、迷うことなくデザートコーナーへ向かった。
「これか? サダオミ。今週の新作。『禁断の背徳・キャラメルバター・タルト』。名前からして身体に悪そうだけど」
「それだ。その『禁断』とか『背徳』とかいう、天使が一番嫌いそうな言葉が載ってるやつにしろ」
カゴに放り込まれたタルト。
ついでに温かいホットコーヒーを二つ。
「……これで願いが変わるなら、苦労しねぇよ」
一樹がレジで財布を出している横で、俺は視界にポップアップしたUIを横目で払った。
『警告:因果干渉の手段が不適切です。成功確率は極めて――』
「うるせぇよ、ポンコツ」
俺の呟きに、一樹が「え?」と振り返る。
「なんでもない。さっさと行くぞ。コーヒーが冷める前に、その死にたがりの主人公に『背徳の味』を教えてやる」
スイーツ一個で、不老不死っていう世界のバグをぶっ壊す。
しょうもない戦いが、始まる。




