†8話†:小早川一樹 ― 実現経路消失 ― ①
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落下の衝撃は、地表に激突する直前でふっと消えた。
無重力にも似た「処理」のあと、サダオミは硬い地面の上にすとんと着地した。
「……いや、普通に突き落としやがったな!……透哩のやつ」
サダオミは軽く膝の汚れを払い、立ち上がる。
指先に伝わるアスファルトの硬い感触。鼻を突く排気ガスの匂い。
周囲を見渡すより先に、視界の端に天界特有のUIがポップアップした。
かつての洗練された弾幕とは違う、絶望的にセンスの悪いフォントが夜の闇に浮かぶ。
『対象:小早川一樹(下級天使)』
『現在地:東京都●●区内』
『状況:実現経路消失。速やかな回収を推奨』
「……東京都? ……マジか。っていうか対象者って一樹かよ」
サダオミは苦笑しながら、まずは自分の状態を確認する。
背中を意識するが、翼は出ない。
指先を巡るはずの魔力さえ、この世界の理に拒絶されたかのように全く通らなかった。
「まぁ、そうだよね」
背負った『飛鳥』に手をかける。
案の定、なんの反応も無かった。
「ぉぉぅ……これはなかなか……」
能力のすべてが封じられ、今の自分はただの「刀を背負った変な女生徒」でしかない。
「……まあ」
小さく息を吐く。
「なんとかなるか」
それにしても――
本来おかしいとは分かっている。
実家の匂いを知っている。
でも懐かしくない。
ただ、そこに感情が伴わない。
それが不自然だという認識だけは、残っていた。
「まぁ、ホームシック予防策の一環なんだろうなぁ。
なにかといい加減な天使のことだ。
いちいち深く考えてちゃやってられないしな。」
サダオミが歩き出そうとした、その時だった。
「——はい、止まって。そこの君」
背後から放たれた懐中電灯の鋭い光が、サダオミの影をアスファルトに長く伸ばした。
「……え?」
振り返ると、そこには自転車を降りた二人の警察官が立っていた。
職務に忠実で冷ややかな眼光。
「夜中にその格好は、ちょっと目立ちすぎるね。……コスプレかな? イベント帰り?」
「あ、いや……」
「身分証、持ってるかな。あとその背中のやつ。真剣じゃないよね? ちょっと見せてもらえる?」
サダオミは思考を巡らせる。
今の自分は身分証など持っていない。
そして、背負っているのは紛れもない真剣だった。
「えーと……自分、住所不定の……備品ちゃんです☆」
警察官たちの目が、明らかに「不審者確定」のそれに変わった。
「……署でゆっくり話を聞こうか。お姉さん」
――それから一時間後。
サダオミは、都内某警察署の留置所の中にいた。
鉄格子の向こう側で、呆れ果てた顔の女が書類にサインをしている。
茶褐色の肌、快活そうな眉。
天界で最初に出会った友人、小早川一樹。
「……救出委員が来るっていうアナウンスがあったからさ。期待して待ってたんだよ、俺」
一樹はペンを置き、鉄格子の中のサダオミを指差した。
「なんで俺が警察に呼び出されて、お前の身元保証人になってるわけ? お前、俺を救いに来たんじゃないの?」
「……救済されてるのは、俺だな」
サダオミは膝を抱え、情けなく呟いた。
「久しぶり、一樹。……で、なんでお前、そんな警察に顔が利くんだよ」
「バイトだよ。ここの署の近くのコンビニで夜勤してんだよ。夜食の差し入れで、お巡りさんとは顔見知りなんだ」
一樹は深く溜息をつき、警察官にペコペコと頭を下げながら、サダオミの釈放手続きを終えた。
「……行くぞ、サダオミ。俺の『地獄』へ案内してやる」
一樹は笑っていた。
だがその目だけが、どこにも向いていなかった。
警察署の玄関を出ると、街のネオンが眩しかった。
よく知るはずのこの世界は重く、そしてあまりにも日常的だった。




