第五十一話:岐路と再始動
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漢遼迩の王都へ続く、乾いた街道。
一世は、供の兵たちを前方に下げ、一人沈黙の中で馬を歩ませていた。
背後に遠ざかる「最果ての城」の残像が、今も網膜に焼き付いて離れない。
――あそこは、もはや我らの知る漢遼迩ではなかった。
誰に強制されるでもなく、ただそこに在るだけで呼吸が整うような、不思議な静謐。
一世は、王都の書庫の奥、埃を被った記録の中に眠る畏怖に近い伝承を思い出していた。
理を書き換え、形を持たず、ただそこにあるだけで世界を調律する存在――「天使」。
馬鹿げたお伽噺だ、とこれまでは切り捨ててきた。
だが、今の刀座が放つあの「超然とした静けさ」を説明するには、その古びた単語以外に当てはまるものが見当たらない。
一世は空を仰いだ。
王には、ありのままを報告するしかない。
最果ての城は落ちぬ。
そして、あそこにいるのは
――もはや、人の法や性で縛れる器ではない、と。
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一方、城の外れは、夜になると急に静かになる。
サダオミは城壁の内側に立ったまま、空を見上げていた。
雲は薄く、星がところどころ覗いている。
「……まだ起きてたんだ」
背後で、鈴の音がちり、と鳴った。
振り返ると、鈴が小さく手を振っている。
「うん。ちょっとだけ」
理由は、うまく言葉にしなかった。
言葉にすると、今の静けさが壊れてしまいそうだったからだ。
「ね。また行くんだよね」
鈴の問いは、確認に近い声音だった。
「うん」
姐さん(ミレイナ)の魔法は通る。
確認は、もう終わっている。
残っているのは、行く理由だけだった。
「……火の国の王。折れない人だったね」
鈴の言葉に、サダオミは静かに頷いた。
「助けると、あの人は立てなくなる。だから、約束を続けに行くんだ」
続けるのは、折るよりもずっとしんどい。
サダオミはその「削れる痛み」を、魔法を知る前からずっと知っている。
「羅刹に渡したのは、正解でも答えでもない。ただの、続け方だから」
一拍置いて、サダオミは空から視線を外した。
「一回で終わらせないって決めたなら、途中でいなくなるのは、もっと無責任だろ」
鈴は、少し間を置いてから、小さく笑った。
「……ほんと、遠い散歩だね」
「うん」
サダオミは、鈴の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「だから、置いていかないよ」
言葉を選ばずに、そう言った。
鈴は、一瞬だけ黙ってから、小さく頷く。
鈴の音が、ちり、と鳴った。
サダオミは深く息を吸って、ゆっくり吐いた。
二度目に会いに行くための準備は、道具じゃない。
こうして、同じ夜を並んで過ごせるかどうかだけだ。




