第五十話:粥の味と不穏な影
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城の奥、簡素な円卓に三人が座る。
差し出された粥は、王都で供される高価な滋養食をも凌ぐ、芳醇な香りを放っていた。
一世は、目の前に座る男を改めて視界に入れた。
緒方刀座。
かつて一世自身の許可で「遠出の散歩」へ出た際、この者はあろうことか、鈴の魂に「火の国の温度」を刻みつけてしまった男だ。
あの日、城の廊下で対峙した際、刀座は『少ししてから呼ぶよ』と言い残して一人で去った。
一世はその言葉をどこかで信じ、息の詰まるような城で、今日まで鈴の傍に立ち続けてきたのだ。
だが、あり得ぬ速度で築かれたこの聖域のような平穏はどうだ。
一世は匙を持ったまま、刀座と粥を交互に見つめ、思考の深淵に沈んでいた。
「将軍もしかして疑ってる?……毒なんて入ってないよ?」
サダオミは一世の手が止まっているのを見て、ひょうひょうと言った。
そして一世の椀から一口分を自分の匙で掬い上げ、そのままパクっと口に運んだ。
「ほら、おいしいし」
咀嚼して飲み込み、何事もなかったかのように自分の粥に戻る。
毒見の作法も何もない、あまりにも無防備な挙動。
一世は促されるように、ようやくその一口を口へと運んだ。
その瞬間、身体の芯から力が抜けるような、温かく深い滋味が広がった。
精神の摩耗を癒やすような、不思議な力が宿っている。
一世の目頭が、熱くなった。
この者は、あの日廊下で宣言した通り、本当に「作って」いたのだ。
名前も制度も届かない澱みの地に、鈴が息をできる場所を。
この完成された平穏を、この短期間で現出させてみせる力。
そんな畏怖に近い疑念を、一世は静かに胸の奥で育て始めていた。
◆
「……塞泰迩が余計なことをした」
一世は、重い口を開いた。
鈴を掠め取ろうとした塞泰迩を、力でねじ伏せ、無茶な要求を突きつけて追い詰めたのは他ならぬ自分だ。
その「怒り」こそが塞泰迩を絶望させ、尊迩栄への暴挙へと走らせた。
その結果、目覚めてしまった尊迩栄という「虎」。
一世は、自分の過ちが招いた最悪の連鎖を、サダオミという異分子の前でだけ、認めざるを得なかった。
「尊迩栄はもう、理屈の通じる相手ではない。……刀座。ここがいずれ戦火に包まれることは、避けられぬ現実だぞ」
一世の言葉は重いが、以前のような剣幕はない。
目の前の男が「お腹いっぱいの時なら、仲良くできないかなぁ」と口にするのを聞いても、今の彼には、それが単なる世迷言には聞こえなかった。
「分かってるよ。みんな、怖いんだよね。……でも大丈夫、ここは平和だよ。ね、鈴?」
サダオミが静かに問いかけると、鈴は戸惑いながらも、小さく頷いた。
一世は、確信した。
この男は、狂っているのではない。
この世の理とは別の場所で、もっと根源的な「何か」を見ているのだ。
一世の脳裏に、あの息苦しい城の中で語り継がれる畏怖に近い伝承。
――「天使」という存在が、不意に浮かんで消えた。




