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神様機構―悠久なる歯車―  作者: 太郎ぽん太
第 4 部 風鈴 編
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第四十八話:報告の重み





 王は、窓の外を眺めたまま動かなかった。


 背後で膝をつく弟、一世の気配だけが、冷えた部屋の中に漂っている。


 旅の汚れも落とさず、一世は戻るなりこの部屋へ直行してきた。


 そのことが、報告の内容の異常さを物語っていた。


「……それで。あのは何をしていた」


 王が振り返らずに問う。


 あの女。


 王自身が鞘に納めたまま放り出した、緒方刀座のことだ。


「炊事場で、灰を掻き出しておりました」


 一世の声には、一切の迷いがなかった。


 王は、ゆっくりと弟の方へ顔を向けた。


 実の弟だ。


 その目が嘘をついているか、あるいは動揺しているかなど、見ればすぐに分かる。


 だが、一世の目は凪いでいた。


 納得のいかない現実を、そのまま受け入れた男の目だ。


「灰だと? あの美貌を泥に汚して、下女の真似事か。相変わらず、底の割れぬ不気味な奴だ」


「嫌味には見えませんでした。兄上。……あれは、祈りに近いものです」


 一世が「兄上」と呼んだことで、部屋の空気がわずかに柔らかく、同時に重くなった。


 一世は、兄の視線を正面から受け止めて言った。


「城の構造、民の統制、そして淀みのない生活。どれをとっても、準備期間も人手も足りないはずのものです。……あれは、奇跡としか表現のしようがありません」


 王の眉が動く。


 一世は、感情で物を言う武人ではない。


 その弟が、兄である自分に対して「奇跡」という言葉を使った。


「お前がそう言うなら、そうなのだろうな」


 王は短く息を吐き、机の上の地図に視線を落とした。


 一世の報告は、王が描いていた「刀座が野垂れ死ぬ」というシナリオを根底から覆した。


 だが、同時に新しい道も示している。


「兄上。あの場所なら、……鈴を、護りきれるかと存じます。あのひとならば、あるいは」


 一世の言葉に、王は沈黙で応えた。


 捨てたはずの剣が、自分の想定を超えた「絶対的な避難所」を作り上げている。


 それは王にとって、計算違いという名の屈辱であり、同時に、最愛の娘を護るための唯一の「解答」でもあった。


「……そうか。お前がそこまで言うなら、よほどなのだろう」


 王は椅子に深く腰掛け、目を閉じた。


 一世という、最も信頼できる「自分の目」が持ってきた、想定外の毒。


 それをどう飲み干すか、王の頭の中で新しい算盤が弾かれ始めていた。





 王は椅子に深く腰掛け、目を閉じた。


 かつて、緒方刀座を漢遼迩かんりょうじへ送った時、王は彼女を「研ぐ必要のない、なまくら」だと思っていた。


 賊から鈴を護った際も、彼女は一度も刀を抜かなかった。


 その底知れなさを不気味と断じて、鞘に納めたまま遠ざけたのは王自身だ。


 だが、一世が持ってきた報告は、その「なまくら」が自分たちの預かり知らぬ場所で、とてつもない土壌を築いているというものだった。


 王の思考を遮るように、廊下を走る無遠慮な足音が静寂を切り裂いた。


 一世が即座に立ち上がり、腰の刀に手をかける。


 その淀みのない動作は、彼が今もなお「戦場」の只中にいることを示していた。


 扉が開き、転がり込むように入ってきたのは、顔面を蒼白にした伝令兵だった。


「……報告! 西のれい王府が、尊迩栄そんじえいへの侵攻に失敗! 逆撃を受け、王都は一夜にして陥落したとのこと!」


 一世の頬が、わずかに引きつった。


 黎王府。


 あの強国が、手を出した瞬間に飲み込まれた。


 尊迩栄は自ら動かぬ。


 だが、一度その逆鱗に触れれば、あとに残るのは灰燼かいじんのみだ。


「……早すぎる。あの黎が、一太刀も報いられぬとは」


 王が呟いた。


 大陸の均衡が崩れ、弾き出された敗残の民や戦火の余波が、いずれはこの国にも流れ込む。


 理屈も交渉も通じぬ「不干渉の怪物」が隣で目を覚ました。


 その牙が、いつ、どのような拍子で自分たちの喉元を裂くか分からぬ恐怖。


 王は机の上の地図を凝視した。


 黎が落ちた今、この国に突き立てられる「余波」を逸らす術はない。


「兄上」


 一世の声が、重く響いた。


 一度も抜かぬまま捨てたあの「刀」を、今、この絶望の中で引き抜くしかない。


 王は地図の端にある、かつて自分が「捨てた場所」を指先でなぞった。


「……一世。鈴を呼べ」


 絞り出すような、けれど明確な命令だった。


 王は顔を上げ、弟を見据えた。


「今すぐだ。あの女の元へ、鈴を送り届ける準備をさせろ」


 王の瞳には、かつての自分の眼力を呪うような屈辱と、娘を護るための冷徹な決意が混ざっていた。


 鞘のまま捨てた刀を、最も過酷な戦場、あるいは最も安全な鞘として使い直す。


 それが、鈴を生き永らえさせるための、唯一残された道だった。


「承知いたしました」


 一世が深く頭を下げ、部屋を後にする。


 残された王は、ただ一人、窓の外の暗い空を見つめていた。

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