表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様機構―悠久なる歯車―  作者: 太郎ぽん太
第 4 部 風鈴 編
197/218

第四十話:一拍の猶予





 朝の火は、夜の火より静かだ。


 音を立てない。

 主張もしない。

 それでも、確かに腹を刺激する匂いだけは、嘘をつかない。


 城の内側で、鍋が増えていた。


 一つ、また一つ。

 昨日までは粥だけだった。

 水を多めにして、数を誤魔化すやり方。


 今日は違う。

 土の匂いを残した根菜が入る。

 琥珀色の脂を湛えた乾肉が落ちる。


 熱い湯気の中で、脂が弾ける小さな音がした。

 それだけで、空気の密度が一段、重くなる。


 俺は火床の前で、指先をわずかに動かしていた。


 魔法でも、奇跡でもない。


 鍋の配置。

 火力の揺らぎ。

 人の動線。


 見えない歯車が噛み合うように、場が整っていく。


 誰が先に並び、誰が震える子どもを抱えているか。

 それだけを、泥のついた指先で掬い取るように見ている。


 声はかけない。

 指示もしない。

 必要な場所に、必要な熱が流れるように。

 ただ、生活の骨組みを置く。


 それで十分だった。





 最初に気づいたのは、子どもだ。


 器を受け取ったあと、すぐには立ち去らない。

 もう一度、鍋から立ち上る濃い湯気を見上げる。

 母親が、慌てて細い肩を引く。


「……今日は、いい匂いだね」


 小さな声だった。

 誰に言ったわけでもない。

 だが、その一言が波紋のように広がった。


 周囲の視線が、一斉に動く。


 匂いを見る。


 昨日とは違う、濁りのない白煙を見る。


 器の底に沈む、確かな質量の塊を見る。


 豪華ではない。

 祝いでもない。

 ただ、今日一日を立っていられる予感がする食事だった。


 誰かが、ぽつりと呟く。


「……姫様が来るって、聞いた」


 その言葉に、城の空気が一瞬だけ強張る。


 俺は手を止めなかった。

 止めたら、その隙間に不信が入り込む。


 国が来る。


 また、奪われる。


 そんな方向に思考が転ぶ前に、肉の焼ける匂いをもう一段、強くした。



 食事が配られる。


 昨日より、並ぶ列が静かに整っている。

 押し合いはない。

 苛立ちも、罵声も、胃の腑が温まる予感に押し流されていく。


 怒りは、腹が減っている時に、一番鋭く尖る。


 俺は、城壁の影に深く下がった。

 前に出る必要はない。

 顔を見せる必要もない。


 列の中に、王の名を口にする者はいない。

 感謝も、忠誠も、そこにはまだない。

 ただ、湯気を見つめる目から、刺すような険しさが一拍分だけ、遅れて消える。


 それでいい。

 今は、その「遅れ」だけでいい。


 空腹のまま、誰かを憎むために力を使い果たさせる必要はない。


 護る、という言葉が、また頭をよぎる。


 斬らない。

 叩かない。


 ただ、届くべき安らぎを、憎悪よりも先に届ける。


 その方が、今の俺らしい。





 鍋の向こうで、誰かが笑った。


 小さく。

 短く。


 それでも、確かに、この城で初めて聞く笑いだった。


 俺は深く、息を吸って、吐いた。

 強張っていた肩の重みが、ほんの少しだけ地面に逃げた気がした。


 今日は、これでいい。

 姫が来るのは、もう少し先だ。


 その時までに、この場所が。

 怒りをぶつける戦場じゃなく。

 腹を満たしたあとに、明日を考える場所になっていれば。


 俺は火を見る。

 鍋を見る。


 そして、次に置くべき生活の欠片を、考え始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ