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神様機構―悠久なる歯車―  作者: 太郎ぽん太
第 4 部 風鈴 編
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第三十八話:遠い指先





 丘を越えた瞬間、男は足を止めた。


 最初に目に入ったのは、人ではなかった。


 城だった。


 見間違いではない。

 幻でもない。


 石の輪郭があり、壁があり、屋根がある。

 避難民の集落にあるはずのない規模と、あるはずのない落ち着き。


「……なんだ、あれは」


 思わず声が漏れた。


 左遷先だと聞いていた。

 辺境。

 人の流れに飲まれ、せいぜい仮設の壁が積まれている程度。


 そういう話だった。


 男の役目は単純だった。


 緒方刀座が、大人しくしているか。


 火の国の空気を持ち込み、

 王の娘・鈴に明確な変化を与え、

 結果として左遷された人物が、

 その先で余計な波を立てていないか。


 それを見てこい。


 ただ、それだけのはずだった。


 なのに――


 丘の向こうにあったのは、

 「大人しくしている」場所ではない。


 城の周囲には人がいる。

 多い。

 だが、騒がしくない。


 ざわめきが足りない。


 泣き声も、怒号も、押し合う気配もない。

 あるのは、人が動いている気配だけだった。


 男は息を潜め、城の影へと身を寄せた。





 城の内側で、人が動いている。


 運ばれているのは屋根材。

 石。

 木。


 だが、それを担いでいるのは兵ではない。

 指示を飛ばす者もいない。


 ただ、そこに「置かれるべき形」があるかのように、

 人と物が自然に流れている。


 その中心に、一人の姿があった。


 背が高い。

 人の中に混じっているはずなのに、輪郭だけが浮いて見える。


 男は、そこで一度だけ、王から渡された言葉を思い出した。


 緒方刀座について、事前に聞かされていたことは多くない。


 名。

 左遷の理由。

 火の国の空気を持ち込んだこと。

 王の娘に影響を与えたこと。


 そして、最後に付け足されるように告げられた、一言。


 ――見れば、分かる。


 具体的な特徴はなかった。

 背格好も、顔立ちも、声も。


 ただ、

 「人の中にいても、紛れない」

 そう言われただけだった。


 男は、もう一度、城の内側を見る。


 その姿から、目が離れなかった。


 ――ああ。


 理解ではなく、合致だった。


 あれが、緒方刀座だ。



 一瞬、判断が遅れた。


 長い手足。

 無駄のない動き。

 顔立ちは見えない距離なのに、

 妙に目を引く。


 ――美しい。


 男は、理由の分からない息詰まりを覚えた。


 屋根材を受け取り、

 それを置く。


 ただ、それだけの動作なのに、

 周囲の空気が一拍遅れて整う。


 術だ、と思った。


 だが、符もない。

 呪文もない。


 指を鳴らしただけだった。


 乾いた音。


 その瞬間、

 石が噛み合い、

 板が揃い、

 壁が「そうであるべき形」に落ち着く。


 妖術。


 それとも、

 人ではない何かの所作。


 この国に残る、古い伝承の中の力。

 それに近いものに見えた。





 男は喉を鳴らした。


 怖い、とは少し違う。


 理解できない。

 名付けられない。


 力ある者なら、賢者と呼べばいい。

 奇跡を起こすなら、聖者と呼べばいい。


 だが、あれは違う。


 呼び名を与えた瞬間、

 こちらが一段下に立たされる気がした。


 ――名前をつけていい存在じゃない。


 そう思ってしまったことに、

 男自身が一番動揺していた。


 城の中から、湯気が立つ。


 粥だ。

 豪奢ではない。

 薄い。


 それでも、人が集まり、座り、

 器を受け取っている。


 誰も跪かない。

 誰も祈らない。


 感謝の言葉すら、ほとんど聞こえない。


 それなのに――


 場が、整っている。





 男は確信した。


 これは、反乱ではない。

 支配でもない。

 扇動でもない。


 だが、

 放置していいものでもない。


 左遷された緒方刀座は、

 確かにここにいる。


 だが、

 城の影で屋根を運ぶその姿は、

 「従っている者」でも

 「隠れている者」でもなかった。


 世界のほうが、

 あの指先に合わせて動いている。


 男は、そっと後ずさった。


 見られてはいない。

 だが、これ以上見続けてはいけない。


 丘の向こうへ戻りながら、

 男は一つだけ、はっきりと思った。


 ――これは、一度きりの確認で済ませる案件じゃない。


 王に伝える。

 だが、断定はできない。


 あれを、

 どう報告すればいいのか。


 言葉を探しながら、

 男は振り返らずに丘を下った。


 遠くで、

 乾いた音がもう一度鳴った。


 指先が噛み合う音。


 それが、

 自分とは別の場所で、

 別の理に触れている証のように聞こえた。

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