31.その優しき御心のままに
世界に忘れ去られていた伝説の隙間は思いもよらぬもので、この場にいた四人全員が言葉を失うものであった。
もちろん、大筋だけを抜き出せば、永く語られてきたものだってそう間違っていたわけではない。
しかし聖龍と邪竜は同一の存在であることや、その邪竜の暴走理由という重要な箇所。更には封印の継続手段すら失われてしまっていたわけで――千年という時の川は、どれほど途方もなく荒れてきたものなのか。
学んできた歴史では、この聖龍王国は一度たりとも王朝の交代が行われていない。しかし初代国王の血が辛うじて繋がっているだけで、政変の危機は何度もあったのかもしれない。そうだとしたら、いまなんて目じゃないほどの世界の危機だった。
幸運にも現在は血統が保たれているため、封印機構を通じて聖龍と接触することができた――聖龍の望みを叶えることができた。
王朝が交代したとしても、あの湖色のブルーグリーンを有する一族が変わるだけなのかもしれないが。そのあたりは要確認……といったところか。
「――つまり、初代国王夫妻の関係性の再現が、『運命のふたり』による『真実の愛』ということだったわけか……?」
「我にはその『運命のふたり』による『真実の愛』とやらがよくわからんが、汝らの波長は実に心地よく好ましい。…………なるほど、『運命のふたり』とやらは主が指標として組み込んでおいてくださったらしい」
ハイマールが思考を整理するために放った小さな独り言を拾った聖龍は、何かを探るようにぐるりを視線を巡らせてからその疑問に答えた。
聖龍が言う『運命のふたり』とは、聖龍と同じブルーグリーンの瞳を持つ者――封印機構の操作権限を持つ初代国王の末裔である王族――を起点とし、聖龍が望んだような関係性による波長を作り出せる可能性の高い者との組み合わせを、運命神が演算によって導き出したものだと言う。
その基準では、湖色の瞳を持たぬ自分は王族扱いではないなと、父に似た濃い色の瞳を持つアストリッドは内心複雑な気分――実際に王族ではないのだが、母に似た弟妹は湖色の瞳の持ち主なので腑に落ちない――になりつつも、後世のために王朝交代説の他にも何か聞いておくべきことがないかを考えていた。
そんなさなか、聖龍からアストリッドに向けて、奇妙な話題が投下される。
「しかし、そこの娘……小さい方だ。其の方は主の気配が随分と濃く――ああ、そうか……少しでも可能性を上げるために我が主によって放り込まれた小さき星」
「星、ですか?」
「そう。どう演算しても滅びに向かう大きな星の娘を助くために、主が数多もの星の中から選び掬いあげたのが小さき星……ゆえに神の娘。せっかく主が手間をかけたのだ、その身を大切にするが良い」
それはいままでの明瞭な語りとは違い、妙に示唆的な言葉だった。途轍もなく大切なことを言われたはずなのに、常識というあやふやなイメージが理解を阻害してくる。
もっと詳しく知ることはできないかとアストリッドが視線をあげれば、聖龍の瞳は「これ以上を聞いてくれるな」と言わんばかりに伏せられた。
聖龍は何かを知ったが、主たる運命神から開示の許可が下りなかった……といったところか。おそらくは核心に触れない範囲で伝えてくれたのだと予想できる。
それが、そもそも知らなくてもいいことなのか、いまは知るべきタイミングではないだけなのかはわからない。
けれど聖龍がいま伝えてくれたことは、何故アストリッドが前世の記憶――と思しきもの――を持って生まれてきたのかの答えのように思えて、視界が晴れた心地なのだ。
「…………ご厚情、痛み入ります。運命神と聖龍様の御心のままに」
はっきりとしたことは依然として不明のままだが、運命神の導きによっていまのアストリッドが構成されていることに間違いはないのだろう。
何故どうして自分なのかという、決して小さくない蟠りは残るが、それは人生の命題のようなもの――答えを知ったところでどうすることもできないし、たかが人間が知るべきものではない。そんな気がしてならない。
だからアストリッドは、人智の及ばぬ領域に対しての畏敬の念を込め、臣下の礼でなく祈りの姿勢で応えることにした。
その後は、ロディオンが話題を引き継ぎ、王朝交代説を含めた疑問点の確認を進めていった。
湖色の瞳は初代との約束の証であるため、王位の簒奪では引き継がれない可能性が高いという。聖龍と王族が、約束という契約を交わしていることになっているからだ。
争いを介さない穏便な交代であれば、契約を引き継げる……かもしれない、らしい。つまり、そのあたりの判定はケースバイケース。もしかしたら、運命神が都度見ているのかもしれない。
要するに聖龍王国が、運命神と聖龍そして初代国王への敬意を忘れたときが、滅びの始まりとなるのだろう。
そう考えてしまえば、豊かで美しいこの王国は砂の上に建っているように思えてくる。
過ぎた正義も欲深い悪意も、周囲に伝染し肥大化していくもので、少しでも気を抜けば均衡という脆い土台は容易く崩れてしまう。
だからと言って均衡のために発展を棄てるということは、他国へ隙を見せるということであり、それは侵略への一歩でしかない。いまも尚、聖龍の伝説がこの国を守っているが、それがいつまで続くかなんてことは誰にもわからない。
だからこそ、聖龍にはあの穏やかな湖をまた見て貰いたいと、アストリッドは思うのだが――
「……かの湖はいま、聖龍様の瞳のような美しい色を取り戻しております。再びお眠りになる前に、見に行かれたりなどは……難しいでしょうか?」
「ああ。我はそれを知れただけで十分だ――この白き眠りは我への温情であり、罰なのだから」
アストリッドの問いに、聖龍は穏やかに答えた。
これは同時に、運命神の眷属を傷つけた人間という種への温情であり罰なのだと察する。
いまの聖龍は運命神による温かな眠りによって、表面上の落ち着きを見せている。しかし、その心はまだ傷だらけなのだろう。
一度深く絶望し、それでも信じたいと縋ったものに裏切られるというのは、どれほどの心痛を生むのか。それは、いまのアストリッドには想像すらも出来ないことだった。
国のため世界のため、何よりも聖龍のために、一度は失われてしまった真実と約束を何としてでも後世へ伝えねばならない。
もちろん、それらを民に公表するかどうかになると、別の問題が発生してしまうのだが……それは王家や神殿が大いに悩まなければならないこと。真実はときに、過剰な正義も悪意も呼び寄せてしまうから、余さず公にすることが必ずしも正しいとはいえない。
次第にうとうとと転寝をしはじめた聖龍へと、ハイマールが代表し改めて感謝を告げる。
頷いた聖龍により、つかの間の奇跡はあっさりと幕を閉じて――気がつけば多数の人の気配を傍らに感じ、あの石柱のある部屋に立っていた。
あの真っ白な空間はもう、どこにもなかった。




