30.聖龍と邪竜
遅くなりましてすみません。
プロットが大雑把すぎたため迷走してました。
部屋を出る前にモニカの目隠しの有無についての一幕があったものの、あの日と同じ組み合わせであの日と同じように人払いの済んだ通路を一行は進む。
同じ道を同じ人達と同じ様に――今回はモニカの目隠しがなくなったが――進んでいるというのに、アストリッドの気持ちはあの日と比べて随分と変わっていた。
隣を歩くロディオンは一見変わっていないように見えるが、アストリッドより知っていることの多い彼ははじめから優しかっただけなのだ。
女性に対する振る舞いが普段から軽薄なため、アストリッドが見分けられなかっただけで――いや、それについて考えるとアストリッドは悪くないと今でも思う。
すこしだけ拗ねた気分になり、エスコートのためロディオンの腕に添える手にアストリッドはぎゅっと力を入れた。
隣を歩くロディオンから微かに笑う気配がして、腕を掴むアストリッドの手をロディオンの長い指がそっと撫でる。そんな手慣れたような対応をされても、アストリッドは苛立たない。
ロディオンがちゃんとアストリッドを見ている人だということを、もう知っているから。
そうこうしながら到着した封印機構のある部屋を見渡せば、石造りの床には複雑な魔法陣。そしてその中央には多数の文様が刻まれた石柱。
今回は先に数人の研究者たちが待機していた……という違いはあれど、約三ヶ月ぶりに訪れたこの部屋も何も変わりがないように窺える。
研究者らとの挨拶もそこそこに、彼らの期待の視線を一身に集めた王太子が石柱に触れれば、どんっと厳かに空気が震え――――
アストリッドは真っ白で広大な空間に立っていた。
◇
「……ここは………………?」
耳がツンとなるほどの静寂に意識が捕らわれていたが、飛び込んできた誰かの声にアストリッドはハッと我に返る。
周辺を見渡して認識できたのは、この謎の白い空間に佇むアストリッドとロディオン、そしてモニカとハイマールの四人――つまるところ、二組の「運命のふたり」であった。
この白い空間には他の人間どころか、存在感のあるあの石柱すら無い。
足元にあったはずの大きな魔法陣も見当たらず。踏みしめて床だと認識できる面には、四人分の影が落ちているだけ。
影が背後に落ちているということは、いま向いている方向に光源があると考えられる。しかし視界を上げてぐるりと眺めても、ただ一面の白という色が広がるだけだった。
白い壁と白い床、そして白い天井がある場所ではないことだけが理解できる。
ここにはただ「白」だけが存在していた。
「――ああ、人の子よ。よく来てくれた……世話をかけた」
あまりにも情報の少ない空間を持て余した頃、聞く者の鼓膜を震わさない声が唐突に四人の頭に直接響く。
それは男とも女とも判断できないものの随分と落ち着いた印象の不思議な声だ。
頭がその声を認識した瞬間から、霧が晴れていくかのようにうっすらと少しずつ大きな何かが姿を現す。
何もなかったはずの空間から出現した大きな何か――それは大きな体を横たわらせていたが、重たそうにゆっくりと少しだけ首を持ち上げた。
空間に満ちた光を浴びて煌めくのはブルーグリーンの瞳。
同じ様に輝くのは白銀の鱗。
長い角や鋭い爪も艶めく白銀で、いまは折り畳まれている大きな翼の皮膜もまた白絹のように滑らかなのだろうと想像させられる。
アストリッドたちの前に現れたのは翼と角の生えた大きなトカゲ……それは今世でも前世でもよく知られた、典型的な「ドラゴン」の姿であった。
アストリッドたちが住まうこの国――聖龍王国とは名の通り、聖龍と関わりの深い国である。
しかし聖龍とは伝説で語られるのみの存在であり、実在が確認されているものではない。
建国の伝説で語られている聖龍の姿とは――
神々しく輝きを放つ白銀の鱗。
日光を反射してちらちらと煌めく湖面のようなブルーグリーンの瞳。
大きな頼もしい翼を広げた「ドラゴン」で――つまるところ、今まさしく目の前にいるような存在であった。
ロディオンは反射的にアストリッドらを庇うように前に出る。
けれど突如現れた伝説の再来は現実味が薄く、誰もが想像すらもしていなかったこの光景は見る者の視線と思考を奪うに十分なものであった。
両者がお互いを窺うこと十数秒――たった数秒だったかもしれない――を経て、自らの動揺をいち早く立ち直らせたハイマールが、白銀の巨体の前に歩み出て跪き口上を述べた。
「――私は、聖龍王国第二王子ハイマール・ヴァルクと申します。状況がわからぬゆえ不躾で恐縮でございますが……御身は聖龍様であらせられるとお見受けいたします」
「左様。我はかつて聖龍ヴァルクと呼ばれていた……この名はまだ残っていたか、嬉しいことよの」
建国から千年と少し。その長い歴史の中で聖龍の名は民の間から次第に失われていき、聖龍王国の正式な名として呼ばれることのほうが多くなった。
聖龍ヴァルクはただの「聖龍様」として、いまも邪竜を封印し続けている――と言い伝えられてきた。
「あれはいま邪竜と呼ばれておるのか……確かにその方が都合が良いのだろう。正確に表現するのであれば、あれはただの邪悪な存在というものではなく、人の子らが引き起こした戦乱によって心を乱された我そのものなのだ」
運命の神は、平和も争いも内包する神である。
けれど、その神に造られた聖龍はそうではなかった。
穢れを知らなかった白銀の聖龍は、自らの愛する美しいこの地と愛し子たちが血に塗れていくことを大いに嘆いた。
今でこそ美しい姿を取り戻しているが、あの王家の湖はかつて夥しい数の死体が浮かんだことがあるという。その浮かんだ死体の中には、聖龍が特に慈しんでいた心優しき者たちが多く含まれていた。
聖龍ヴァルクの揺り籠であった美しき湖は人の血に染まり、聖龍の心もまた絶望に染まる。
邪竜となったヴァルクは世界各地の“争い”を破壊し尽くした。
そうして数多の争いを破壊した邪竜は淀んだ湖に身を沈め、数々の嘆きと共に永遠の眠りにつくことで終わらせることにしたが――運命の神が、ある少年の祈りを聞き届けた。
かつて聖龍が慈しんだ心優しき者たちの、数少ない生き残りのひとり。
少年は絶望に染まってしまった聖龍を憐れみ、嘆き、労り、その白く柔らかな心の救済を願った。
――あなたの愛する美しい地を取り戻してみせるから、待っていてはくれないか。
そうして眠りにつく間際の聖龍は、もうひとつを願った――それが愛を持つ人の子の存在。
少年の傍らには、ひとりの少女が寄り添っていた。
ふたりは互いを慈しみ、どんな時でも支え合う覚悟を持っていた。
次に目覚めた時にも彼らのような存在がいてくれるのであれば、きっと人に絶望せずに済むから。
そうして邪竜は運命の神の導きに身を委ね、春の日差しの中でうたた寝をするような温かな眠りについた。
「――これが我が、汝ら人の子を巻き込んだ経緯だ。主の御心を解せず無知蒙昧であった我の過ち。すまなかった……そしてありがとう。我はまた希望を持って眠りにつけそうだ」
聖龍は心から満足そうにそう言って、目を閉じた。




