29.試練の前に知る顛末
「やぁアストリッド。また面白いものを作ったらしいね!」
王太子の呼び出し予告から数日後――ハイマールとモニカの詰問のために集められた時と同じ部屋に、ロディオンと共にアストリッドは赴いていた。
その部屋では一番最後に入出しなければならない御仁が真っ先に待っていたことは、気にしないことにした。
同様にロディオンは目の前の主人を必要以上に気にする様子を見せなかったし、ソファの後ろに立つ王太子の護衛は微動だにしなかった。我が国の王太子は割と自由なのである。
「……王太子殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう。鉄扇のことでしたら特に珍しいものではありません。扇が生まれた国では一般的――ではないかもしれませんが既に存在する物です」
「おやそうなのかい。まぁ、妻が興味を示していたから今度話を聞いてやってくれ」
「かしこまりました」
鉄扇の話を工房に持ちかけた際、こだわりの強い職人が扇の由来について知っていたのだ。
この国で扇を使うのは主に女性であるため優雅さと軽さが発展していったが、扇が生まれた遠い国では男性が暗器として用いることがあるのだという。
おそらくはこの世界にもサムライがいる。実にロマン満ち溢れる話だ。
そしてその薀蓄を語ってくれた職人が大急ぎかつ嬉々として作ったのが、アストリッドの鉄扇である。
ちなみに本来は雷の魔石を用いたスタンガンを作ろうとしたが、開発に時間がかかりすぎると断念して鉄扇を作ったという経緯は話さないほうがいいだろう。
たとえ完成したとしても、スタンガンはやんごとなきお方に持たせたい代物ではない。
けれど鉄扇ならきっとセーフラインだろう。多分、きっとそう。アストリッドは、現状から目を背けた。
それはさておいて完全な余談となるが、あのガーデンパーティーの日のロディオンはアストリッドの扇が鉄扇だと確信があった訳ではないらしい。
曰く「すこしの重さを誤魔化そうとしているような違和感のある持ち方をしていたので、ナイフくらいは弾けそうな素材の可能性があると思った」ということだった。
その観察力と土壇場での決断力に感服するばかりである。
せっかくなのでアストリッドも鉄扇術を覚えたいと思ったが、指導できる人材がこの国には存在しないだろうことが目下の課題だ。
そんな雑談で時間が潰れればすぐに全員が揃う。
入室したエヴェリーナとハイマールは先に王太子が室内に居たことについて何事もなかったかのように対応したが、モニカは静かに大慌てをしていたのも余談だ。
貴重な上位者対応の実践の場だというのに、モニカには実に気の毒なことであった。
◇
「――さて、先に面倒な話をすませておこうか」
あの日と同じ顔ぶれが揃えば、王太子が早々に話を切り出してきた。
「先般にパトヴェレ侯爵家で発生した傷害事件だが――パトヴェレ侯爵令嬢は貴族令嬢として罪人更生のための神殿施設に入り、そののちに侯爵家から除籍となる。パトヴェレ侯爵家は罪人を出したことになるが、これはまだ若い娘への温情であり……家への戒めである」
加害者が属する家が罪人を出したという事実を望まない場合、被害者の家との交渉次第とはなるが「実は罪を犯す前に家の籍から抜けていた」という状態に持っていくことが多い。
貴族同士の諍いに限定されるが、稀に発生する事案である。
事実、クイドゥ夫人は夫である子爵の意向によってその直前に離縁していたことになった。
そして生家は折り合いが悪かった彼女の兄が継いでいる――すると彼女の行先はどうなるか。
婚家からも生家からも見放されたクイドゥ夫人は、平民として罪を償うことになった……らしい。
それらの交渉は原則として当主同士で行われるため、アストリッドは詳細を知らない。けれども「そういうことになった」という事実だけは知っておきなさいと父親に言われている。
それはアストリッドが罪を犯せば同じ立場になる可能性があるので、心に刻んでおけということだろう。
「あの女性は……はじめに襲ってきた使用人と思しき女性はどうなりましたか?」
「では、その件は僕から……彼女は使用人で、領地の家族を人質に脅迫をされていたそうだよ」
説明の後に質疑の時間を用意してくれたので、アストリッドは気になっていたことについて確認をすることにした。
話を引き継いだロディオンが、使用人の女性の顛末について話しだす。
あの使用人の女性は平民の下流層出身だがよく気が利くと評価されていたため、数年前からパトヴェレ侯爵令嬢の侍女らの補佐をしていたのだという。
パトヴェレ侯爵令嬢の身の回りの世話をする者たちは侯爵領にある良家の娘などで構成されている。侯爵領で重用されるような家の娘たちを捨て駒にすることは流石に出来ず、下流層出身のあの女性が生贄に選ばれた。
働きが認められるにつれて直に接する機会が少し増えたため、目をつけられてしまったのだということだ。
主家の娘による脅迫そのものの命令を拒むのは、とても恐ろしくて難しかっただろう。
さらには侯爵家の領主邸で彼女の弟も働き出したばかりだということで、尚更身動きがとれなくなってしまった。パトヴェレ侯爵令嬢は自分に従うのなら当人を含めて実家と弟のことは保証するとも言っていたらしい。
当主の娘でしかないパトヴェレ侯爵令嬢にそんな人事権はないことを、まだ若い使用人が気がつかないのは仕方がないことだ。
「使用人の女性は侯爵領に戻されてしばらく静養。その後は彼女の状態次第になるけど……娘の愚かな振る舞いを知った侯爵なら悪いようにはしないんじゃないかな」
「わかりました……ご説明ありがとうございます」
私欲でアストリッドを狙い、優秀な平民を捨て駒にしたパトヴェレ侯爵令嬢。
パトヴェレ侯爵令嬢が更生施設から出たあと、侯爵家に大事に囲われてひっそりと静かに暮らすなんてことは決して許されない。
自らが軽んじた下流層出身の使用人として生涯を歩むことを条件に、レインホールド伯爵はパトヴェレ侯爵令嬢の生存を許したからだ。
ロディオンが死亡していれば、その時点でパトヴェレ侯爵令嬢の死は確定していた。
けれど奇跡の治癒能力によってロディオンが生存したことで、パトヴェレ侯爵令嬢は命拾いしたとも言えるが苦難の道を進むことになったとも言える。
服毒という、貴族としての名誉を守る道すらも与えられることはない。
普段は温厚なレインホールド伯爵がそこまで憤ったことに、アーメット伯爵と両公爵も溜飲を下げた。
こうしてパトヴェレ侯爵家は侯爵位のまま存続することになったが、愚かな罪人を出した家として認識され続ける。
しかし、ひとりの罪人のこの行末がアストリッドに明かされることはない。
これ以上あの愚かな罪人のことでアストリッドを煩わせないとロディオンはレインホールド伯爵と約束をした。
こうしてパトヴェレ侯爵令嬢は、まともに社交デビューをすることなく大醜聞と共に表舞台から姿を消した……というだけの、稀にある事件としておさめられた。
「よし。もう質問がないようだから、次は本題だ――――移動しよう」
王太子による二度の拍手によって、漂う沈んだ空気感は刷新された。
アストリッドも緊張を新たにし膝上で緩く重ねていた手に力が入る。思わず向けた視線が隣に座るロディオンと交われば、柔らかく微笑まれて余計な力が抜けていった。
――きっと大丈夫。邪竜は復活なんてしない。
アストリッドは差し出されたロディオンの手に自身の手をそっと重ね、まだ不安の残る心に従って縋るようにきゅっと握った。




