32.真実の愛を判定されたのは
「これは……夢の屋根裏部屋といった趣……!」
興奮気味のアストリッドが覗く部屋は、アリオン座に数あるボックス席のうちの一室である。そのまま扉をくぐり細長く薄暗い部屋を進めば、すぐに景色が開けて舞台が目に入る。
「もしかして、リッドはお屋敷の屋根裏部屋に入ったことない?」
「ええまあ、父も母も誰も許してくれなかったので……。そうこうしているうちに、そんな年齢ではなくなってしまいましたし」
すこしの興奮を表に出してしまったことに恥じ入りつつも、アストリッドはそわそわと狭い個室――これが標準的な広さなのだが――を観察する。ロディオンはそんなアストリッドの姿を満足そうに眺め、思わず笑みをこぼした。
「僕は屋根裏部屋よりも思い出すものがあるんだよね。トンプソン・マーヤと巨鳥ロックの――」
「あ、巨大樹の洞アジト!」
「正解。やっぱり知ってた」
ロディオンは、少年に戻ったかのように朗らかに笑う。
彼が先程挙げた「トンプソン・マーヤと巨鳥ロック」とは、「南海楽園冒険録」同様に根強い人気を誇る子ども向けの冒険小説のことである。
事故で両親を失い、いじわるな叔母に引き取られたマーヤは叔母家族からのいじめに耐えかねて巨大樹の洞に逃げ込む。そして、その洞に先住していた巨鳥ロックと意気投合したマーヤが、ロックに乗って旅に出るというストーリー。
氷の大陸や火の海……行く先々で未知に遭遇するマーヤの冒険は、刺激に溢れていた。そして疲れたら洞に帰り、ロックの翼に包まれぐっすりと眠ってからまた飛び立つ。
そんなマーヤに、たくさんの子どもたちが憧れた。幼い頃のアストリッドとロディオンもその例に漏れず、その仲間のひとりであった。
好きなエピソードや気になる食べ物など、冒険小説談義に花が咲いていく。
そうやって普段なら訪れない場所でこんな呑気な会話を楽しんでいることには、ちょっとした理由がある。
それは、聖龍との奇跡の対面から暫くが経った頃に、アストリッドとロディオンがアリオン座へ招かれたことが発端であった。
従業員の再教育を急ピッチで進めるなどその外諸々、支配人の交代も含めてアリオン座は大掛かりな人事異動が行われたらしい。
それらが落ち着いた頃にアリオン座のオーナーから改めての謝罪をされ、ほとんど観られなかったあの歌劇へ招待されていた。
本来は詫びのために、ロイヤルボックスの用意をされかかったのだが、ロディオンが標準的なボックス席を希望した。
ついでに、会話に無駄に気を使うのも面倒だし……ということで、左右と上の個室を空けさせた上に個室内へ自前の飲食物の持ち込みもするという、やりたい放題の要求も通した。
軽食のためにホワイエへ赴くのも注目を浴びそうで嫌なので、有り難いといえば有り難いのだが――正直なところ、ロイヤルボックスを使うよりも悪目立ちをしそうである。
どうせ何もせずとも目立つなら、この程度は許容範囲なのかもしれないが――なんだかロディオンと一緒にいると、アストリッドの感覚がどんどん麻痺していく気がする。
とはいえ、人の噂も七十五日などというほどに、世の中というものは話題に事欠かないもの。そのうち周囲も慣れて次第に注目されなくなっていくと思うので、常識的な感覚はきちんと確保しておきたいなと、アストリッドは思うのみだ。
「……ところで、ようやくのお休みですのに、遊びに出てしまってよろしいのですか?」
「大丈夫だよ。精神の回復が最優先なだけだから」
ロディオンはいま国史編纂室と共同で――当たり前だが、国史編纂室には国史を編纂するための人員がちゃんと存在する――過去の記録を詳細に洗い直しているのだ。内容が内容のため、対処の人員をあまり増やせず、聖龍と相対した当事者であるロディオンが直接現場で動いている。
他の当事者であるハイマールは神殿との折衝があり、そんなハイマールと婚約発表がなされたばかりのモニカは勉強中。
アストリッドなら少しくらいは手伝える予定だったのだが、王太子から緊急の魔装具の製作依頼が入ったために、いままではそちらにかかりきりであった。
この度王太子妃がめでたく懐妊ということで、大急ぎで堕胎毒にも対応した毒検知バングルを製作していたのだ。
食事は通常の毒見役と既存の毒検知魔装具を使うということだが、それ以外の――たとえば休憩で飲むハーブティーや寝室の水差しなど――毒見が簡易的になってしまう場でも万全を期したいということだった。
現在は完成品の検査中であるので、これで問題がなければロディオンの手伝いに行ける。
そんなこんなで、他の業務も普通に抱えているロディオンは多忙である。
このボックス席には一人掛けの椅子が数脚と、表からは見えない奥まった場所に二人掛けのソファがひとつある。
ロディオンは一人掛けの椅子に座ろうとしたアストリッドの腕を引き、ソファに誘導して隣に座らせた。もちろん、すぐに腰を抱き寄せるのは忘れていない。
「回復のために、始まるまでこうさせてね」
「まッ……たこういうこと……! も、もう、慣れてきましたけどっ」
密着した状態でそっと会話をするということは、結果的に耳元で囁かれる形になる。ぞくぞくとくる感覚を逃そうと声にだせば、微妙にひっくり返ったものになってしまった。
どれもこれも、ロディオンが良い声なのが悪いのだ。接触にはだいぶ慣れてきたが、耳がぞわぞわする感覚はまだ慣れていない。ソファがある奥まったスペースは薄暗く、この雰囲気にも慣れない。
「そ、ういえば、モニカ様のことが神殿から正式に発表されましたね」
「ああ……ね。『預言の乙女』なんて彼女も大変だ」
もう慣れたとアストリッドが嘯くものの、どうにも落ち着けず強引な話題の転換を試みれば、隣からくつくつと笑いを堪える気配がする。けれど、ロディオンが色々な追及をすることはなく、無事に話題は移り変わっていく。
当初は邪竜の再封印の功績により、モニカの身分の問題を解決する予定だった。
現在は男爵家の養女とはいえ、元々は孤児だったという経歴の持ち主を王家へ迎え入れるということは、並大抵の事例では難しい。貴族たちの反発が容易に想定されるし、この場合は反発をする側に正当性が認められるはずだ。
つまり、その並大抵の事例がなければ、ハイマールの周囲からさり気なくモニカが排除されていったことだろう。
その場合でも、エヴェリーナとハイマールの婚約が継続されたとは思えないが、それはそれこれはこれ……である。
そういうわけで、歴史の闇に埋もれ失われていた治癒魔法の正詠唱を、運命神の預言により復活させた……という奇跡が前面に押し出されることになった。
あの封印機構の実際を知らぬ大多数の者からすれば、そもそも有ったのかすらも怪しい世界の危機とやらを救ったという与太話よりも、よっぽど説得力のある功績である。
正詠唱の復活により、一定の実力と魔力を有する治癒師なら、瀕死のロディオンを治した時のモニカと同程度の治癒能力を発揮できるようになった事実も大きい。
これは聖龍王国のみならず、周辺国家――もしかしたら世界中――へ大きな衝撃を与えるほどの事件なのだ。これにより、モニカは王家と神殿とで、ふたつの力によって守られていくことになる。
次の預言を我が物にしようと拉致を試みる邪な者、過激思想の運命神信者や異教徒の襲撃など、これからモニカの身に降りかかるであろう災難はいくらでも思い浮かぶ。
ハイマールとモニカ用の毒検知バングルも、早めに用意したいところである。
「しかもリーナ姉様がアンドゥ公と婚約するなんて……」
「婚約の解消をどこからともなく聞きつけたアンドゥ公が『エヴェリーナ嬢が空くのなら話がしたい』と最速で約束を取り付けて、そのまま口説き落とした手腕は本当に凄かった」
「……あら、ロディオン様も参考にできそうなほどに?」
「参考にするけど、もうリッド以外には使わないよ」
実は、アストリッドは少し前に思い切って、もう以前のような仕事の仕方をしないのかと訊いてみたのだが、ロディオンからは明確な否定が返ってきた。
もともと好き好んでとっていた手法ではなく、学生時代に女生徒たちから持て囃されていたことの延長でやっていただけ――ということらしい。
そんなロディオン曰く「結婚する気がなかったから成り立っていただけで、状況が変わってもやるのは信用を無くすだけだし……何よりもリッドを裏切るのは嫌だな」ということだった。それと同時に「たぶん、僕には向いていなかったんだよね」とも宣っており、刺されて瀕死にまで追い込まれたことがずいぶんと堪えたようだ。
会話の合間をぬって、爽やかでほのかに甘い紅茶の香りがふわりと漂う。
レインホールド伯爵家の侍女が供するのは、しっかりとしたコクのあるブレンドのもの。これはストレートでもミルクティーにしてもサンドイッチによく合う、アストリッドおすすめの紅茶である。
幕間のために持ち込んだ食事は、数種類のサブマリン・サンドイッチとケークサレ。食後向けのバナナマフィンは無いが、ジャムサンドクッキーとチェリーパイ。
ロディオンが指定したいつかのピクニックとほぼ同じラインナップのそれらは、秘密基地で食べる初めての食事にぴったりだろう。
アストリッドは香り高い紅茶をひと口含み、ほうと息を吐く。
いまは夏の真盛り。ボックス席は氷の魔石を用いた冷風魔道具によって程よく冷やされているため、温かい紅茶がちょうど良い。
「……あとは、これを」
隣に座っていたはずのロディオンがいつの間にか手にしていたのは、赤いブーゲンビリアのミニブーケ。差し出されて思わずカップを置いたアストリッドにその小さなブーケを持たせ、ロディオン自身はその前に膝をついた。
「アストリッド・シルバ・レインホールド様――これからも長く続く試練の旅を、どうか私と共に歩んでいただけないでしょうか」
ブーケを持ったアストリッドの手を、それより大きな両手で包む。
問いかけの言葉なのにブーケを既に渡していることといい、断られるだなんて微塵も思っていないような余裕のある表情がほんの少し癪に障る――実際に断る選択肢など選ぶ気がない自分がいるので、アストリッドは理不尽にも彼に腹を立ててしまう。
「――わたし、結婚するなら一途で真面目な人がいいんです」
「君らしいね。じゃあ僕はぴったりだと思うんだ」
「……その言葉に説得力があると思います?」
アストリッドの本心はすぐにでも頷きたいのに、素直になれない心の外側が減らず口を叩いてしまう。
「あるよ。なんて言ったって聖龍様に認めてもらった覚悟があるからね。……だから一途に真面目に、君を守っていくと証明していきたいと思う」
「…………そう、そうね」
ロディオンが意外と一途で意外と真面目なことを、本当は知っている。
無駄な意地を張る意味がないことも、本当は知っている。
たとえ聖龍が認めなかったのだとしても、アストリッドはもうロディオンを信じられる。
「はい、一緒に行きましょう。わたしにだって、あなたのために戦う覚悟がありますから」
思い返せばこの一連の顛末で、真実の愛を判定されたのはアストリッドの方だったなと、ふと思い――そのまま重なった二回目の彼の唇の味は、甘いミルクティーの味だった。
終盤、更新速度が失速してしまい、申し訳ありませんでした。
すべては適当すぎたプロットを作った過去の私の責任です。(30~31の部分、一行しかないんです……)
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ここまでのお付き合い、ありがとうございました!




