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「はー……」
一頻り驚いた後、篠木は長く息を吐き出す。
感嘆混じりの吐息を吐き終え、脱力したように背凭れに身を預けた。
まじまじと見られて居心地悪そうにしながら、羊花はパーカーを脱いで丁寧に畳む。袋に戻してバッグに詰めた。
「確かによくよく思い返してみると、特徴はまんま羊花ちゃんだわ」
腕組みをした篠木は、しみじみと呟く。
「てか透君、凄いな。正体気付いてないくせに、同じ女の子好きになるとか……愛ってより野生の勘っぽくて若干引く」
「好き……なのかなぁ? なんか思い込み激しいから、勘違いしてるだけのような」
「うーん、どうだろ」
篠木も判断がつかないらしく、どっちつかずの返答だった。
「それよりも、だ」
視線を上へ向け、悩む表情から一転。前のめりになって羊花と距離を詰める。
「羊花ちゃん、黒崎の彼女なの? 凄くない?」
キラキラと目を輝かせる美少女の圧に、羊花は少しのけ反った。
「前世でも黒崎推しだったの? どういう作戦でお近づきになったの? そんな大人しそうな顔して行動力ぱないね!」
畳み掛けるようにぶつけられた質問は、何一つ答えられないまま積み上がっていく。
「ち、ちがうよ!?」
「え、どれの話?」
とりあえず否定してみたものの、確かにどれの返答なのか分からない。
羊花は思い返しながら、一個一個答えた。
「黒崎さんの彼女じゃないし、漫画で特に推しはいなかった。あと私から近付いた訳じゃないよ」
それから黒崎達との出会いを、かいつまんで話す。
羊花は淡々と事実だけを説明しているが、聞いている篠木は、まるで映画の観客のような顔で聞き入っていた。
「夢小説のヒロインじゃん! 『面白れぇ女』枠じゃん!」
「そんなものになった覚えない……」
「いやいやいや、それで彼女じゃないとか嘘でしょ。明らかに特別扱いされてて、なんで気付かないの!?」
羊花はぐっと言葉に詰まる。
特別扱いされているのは、鈍い羊花でも流石に気付いている。ただ、それが恋愛的な色合いを含んでいるようには思えなかった。
「彼女とかじゃなくて、なんていうか……ペット扱い、みたいな?」
「ペット!?」
篠木が頬を赤らめたのを見て、羊花は数秒固まった。だんだん理解が追い付いてきて、「いやらしい意味のじゃないよ!?」と慌てて否定する。
「だ、だよね」
焦った、と呟きながら篠木は額の汗を拭う。
お互いの真っ赤な顔を見て、二人して気まずくなった。
「そういうのじゃなくて、本当に動物可愛がってるみたいな感じのやつ。会う度に餌付けされてるし……」
「なるほど。小動物っていうか、妹みたいに可愛がられてるのね? 確かに羊花ちゃんは仕草が可愛いから、可愛がりたくなる黒崎の気持ちも分からなくもない」
羊花が説明すると、篠木は納得したように数度頷く。
「いいなぁ。黒崎に可愛がられるのもだけど、お高いスイーツ貢がれるのも羨ましい」
正直過ぎる感想に、羊花はほっと息を吐く。
羨望に擬態した悪意をぶつけてくる人がいるけれど、篠木はそうじゃない。裏表のない言葉に安心したし、羊花は好感を持った。
「黒崎の事だから、馬鹿みたいに高いやつばっかり買ってくるんでしょ? 何処のやつ?」
羊花もそうじゃないかと薄々思ってはいたが、どうやら公式設定でも黒崎はお金持ちらしい。
興味津々な様子の篠木に、羊花は苦笑を返した。
「買ってきた物じゃなくて、手作りのをご馳走になってるんだ」
「……うん? 金銭感覚バグってるから、どっかのパティシエを引き抜いたって事? ん? でもそれも、おかしいか。食に興味ゼロだし……」
「?」
ぶつぶつと何事かを呟いている篠木に、羊花は首を傾げる。
「引き抜いたとかじゃなくて、黒崎さんの手作りだよ?」
「はぁっ!?」
篠木は驚愕し、目を見開いて叫ぶ。
羊花はその勢いに気圧されて体を揺らし、目を丸くする。
身を乗り出した篠木に両肩を掴まれ、顔を覗き込まれた羊花は動きを止めた。
「本気で言ってる?」
真顔で問われ、羊花は壊れた人形みたいに何度も頷く。
「黒崎が手作り……? それ食べて大丈夫なやつ? 羊花ちゃん、お腹壊さなかった?」
「え、大丈夫……というか、プロ並みの物が出てくるけど。黒崎さんって料理が趣味なんじゃないの?」
「待って。理解が追い付かない」
篠木は額に手を当てて、唸り始めた。
律儀に羊花は黙って待っている為、長い沈黙が続く。やがて顔を上げた篠木は、羊花と視線を合わせた。
「正直、どこから話していいか分からないんだけど……まず、羊花ちゃんはファンブック読んでないと思っていいよね?」
「うん。原作漫画しか読んでない」
「だと思った。アレを履修してるのとしてないのとじゃ、情報量が格段に違うから」
アニメ化もされた人気作品だったので、ファンブックも確か数冊出ていた。
けれど羊花は普通に漫画を読むだけのライトな読者だったので、手を出した事はない。
原作漫画にも出てこない設定も多く載っており、特に脇役ながらダントツの人気を誇る『Zoo』のメンバーは細かく解説されていたらしい。
それを読んだ事のある篠木が驚いている、という情報から導き出された答えを羊花は口に出した。
「ファンブックの情報では、黒崎さんの趣味って料理じゃないの?」
「違うね。というか、そんなレベルの話じゃない」
篠木ははっきりと否定し、首を横に振る。
「まず黒崎は、食事に一切興味がない。料理が上手とか下手とか以前に、作ろうと思った事もないと思う」
「え?」
羊花の口から、呆気にとられた声が洩れた。
篠木は「その辺は生い立ちが絡んでくるんだけど」と前置きをして話し出す。
「黒崎って物心つく前に母親を病気で亡くしてるの。で、父親は仕事人間で、子供に関心がなかった。幼少期の黒崎の面倒を見ていたのは、ベビーシッターとか家政婦さんとかだったんだけど、そっちともどうやら折り合いが悪かったらしいよ」
本に載っていた情報として淡々と語っているが、篠木の表情も硬い。
「用意された食事も手を付けずに、ショートブレッドとかゼリーとかの栄養食品で、最低限の栄養を賄ってたみたい。中学生くらいの頃に父親も急死して、大金が転がり込んできても、食事のスタンスは変わらなかったって書いてあった」
「…………」
「プロフィールに『好きな食べ物、嫌いな食べ物』の欄があるんだけど、黒崎だけどっちも空欄なの。作者曰く、食に興味がないから好きも嫌いもないんだって」
驚き過ぎて、声も出なかった。
羊花の知っている黒崎とは、あまりにも違い過ぎる。丁寧に作られた美味しい料理やお菓子、それから感想を伝えた時の柔らかい表情。どれを思い返しても、食に無関心だなんて到底思えない。
「その反応を見ると、黒崎も原作とはかなり違うっぽいね」
呆然としている羊花を見て、篠木は眉を下げた。
「石動萌絵や透君の変化は羊花ちゃんが関わってるのかもだけど、黒崎は流石に違うか」
混乱しながらも、羊花は小さく頷く。
「初めて会ったのが最近だし」
「じゃあ羊花ちゃんじゃなくて、別の人の影響で変わったのかな」
篠木は考えながら言う。
「よく考えてみると、女の子の好みも違うよね。羊花ちゃんが聞いた『素朴で笑顔が可愛い子』って、原作の石動萌絵には掠りもしないし」
篠木の言うように、原作での萌絵のイメージではない。
イジメられた経験から不登校ぎみの萌絵は、精神的に不安定で滅多に笑わない。それに目の覚めるような美少女を、素朴と表現する人は稀だろう。
「初恋の女の子が、素朴で笑顔が可愛い子だったのかな。その子の影響で食生活も変わったのかも」
「……そっか、なるほど」
羊花は小さく呟く。
ほんの少し、胸の奥で閊えた何かに気付かないフリして。




