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羊花の知らない話を、篠木はたくさん教えてくれた。
黒崎と浅黄達、Zooの主要メンバーは小学校からの同級生だとか。そこは裕福な家の子供が通う学校だとか。他にも色々。
すっかり仲良くなった篠木は、鱒渕がいなくとも羊花のクラスに遊びに来るようになった。珍しい組み合わせに注目を集めていたが、篠木は一切気にしない。
仲良くなった二人に鱒渕が驚き、萌絵が拗ねるなどの小さなトラブルはあったものの、概ね羊花は平和な日々を送っていた。
「……着いちゃった」
溜まり場であるバーの裏口のドアを見つめ、羊花は呟いた。
ここに来るのは約一週間ぶり。たかが一週間、されど一週間。久しぶりだと緊張する。
黒崎達とはアプリで遣り取りをしていたものの、珍しく『来い』とせっつかれる事がなかった。
せっかく綺麗にクッキーを焼けるようになって、萌絵だけでなく口煩い兄からもお墨付きを貰ったのに、会いに行く機会がない。
勝手に来ていいと言われているのに、招かれないと行けない。羊花は妙なところで自信がなく、引っ込み思案だった。
どうにか覚悟を決めるまでに日にちが経過していた訳だが、臆病な羊花にしてみれば上出来だろう。
以前の羊花なら、呼び出されないのを良い事に、このままフェードアウトを目指していただろうから。
「こんにちはー……」
小さな声で挨拶をしながら、恐る恐る扉を開ける。
静かな店内は薄暗く、そこでまた勇気がしゅんと萎む。それでもどうにか足を動かし、中へと入った。
いつもなら店内に入る前に誰かしらに遭遇する為、一人で入る機会自体ほぼほぼ無いので、余計に緊張するのだろう。
通りがかりに厨房をそっと覗いてみても、黒崎の姿はない。タイミング悪く、全員が不在という可能性が頭を掠める。
でもせっかく来たのだからと、いつも『Zoo』のメンバーがいる個室まで行ってみる事にした。
扉がほんの少しだけ開いていて、隙間から光が洩れている。廊下に細い影が伸びているのを確認して、羊花はほっと安堵の息を零した。
どうやら誰かしらは、来ているらしい。
ほいほいと扉まで近づいてから、ふと羊花は足を止める。
『Zoo』の主要メンバーとは既に知り合いだが、全員ではない。殆どここには寄らないメンバーもいるので、数人は未だに顔さえ知らない。
その人達だったらどうしようと、羊花の人見知りが発揮された。
黒崎達のいない場所で会った場合、変な女が紛れ込んできたと通報されてしまうのでは、という不安もある。
実際は黒崎達が大事にしている存在として、ちゃんと情報共有はされているのだが、そんなのは羊花の与り知らぬ事だ。
(やっぱり帰ろうかな……。でも、せっかく来たのに)
迷いながら羊花は、扉と裏口とを交互に見る。
(……行儀悪いけど、ちょっと中の様子見てみようかな)
近づけば、扉の隙間から話し声くらい聞こえるだろう。
足音を立てないよう、そっと扉に近付く。間近まで来てようやく、中の声が聞こえるようになった。
「はぁー、……つまんね」
(この声は茶臼山さん、だよね?)
「いつまでこの状況が続くんだか」
拗ねた子供のような口調は、茶臼山で確定だろう。
取り敢えずは一人、知り合いがいる事が確定した。
「もう少し待ってみようよ」
宥めるように言うのは、相方の灰賀の声だ。
彼がいるのなら、知らない人が一緒でもきっと説明してくれるだろうと羊花は安心した。室内に入るべく、ドアノブに手を伸ばす。
しかし次の茶臼山の言葉に、羊花は再び固まった。
「そういや総長が探している女って、まだ見つからねぇの?」
ぎしりと油切れのロボットみたいに不自然に、羊花の動きが止まる。
脳にダイレクトに放り込まれた言葉が、ぐるりと頭の中を巡る。草食動物が反芻するみたいに、何度も繰り返した。
(黒崎さんが、探している女の子……?)
色っぽい美女に迫られても、可憐な美少女に告白されても、興味ないとばかりに無視する黒崎が女性を探している。
とても珍しい話に羊花は驚いた。けれど、それだけではない。
汗がじわりと滲み、手が微かに震える。
羊花は自分が動揺している事に気付き、その事にも更に動揺した。
「まだみたいだね。探偵雇って探させているみたいだけど、各地を転々としているらしくて」
扉の外で立ち竦む羊花に気付く事なく、会話は進む。
探偵を雇うなんて、普通の高校生はしない。
金銭的に余裕があるとはいえ、安い金額ではないはずだ。
つまり黒崎にとっては、それほど大事な人なんだろうと羊花は結論付ける。
それと同時に、篠木の言葉が頭の中に蘇った。
『初恋の女の子が、素朴で笑顔が可愛い子だったのかな』
「……っ」
痛みを訴える胸を押さえ、羊花は必死に頭を振る。
黒崎に特別な女の子がいても関係ない。
ペット扱いされているって、分かっていたはずだ。
良くて妹扱いだと、自分を戒めていたはずだ。
容姿も能力も金銭的にも、住む世界が違うのだと分かっていたのに。
(馬鹿みたい……。いつの間にか、特別扱いされて嬉しいと思ってたんだ)
羊花は自嘲的な笑いを浮かべる。
「面倒臭ぇな。なんならオレの家の奴らに探させるか」
茶臼山は苛立ち混じりに呟く。
「横槍入れるなって、総長が怒ると思うよ。あんまり話を大きくして、バレちゃってもマズいだろうし」
「ワガママかよ」
吐き捨てる茶臼山に、「コタには言われたくないと思う」と灰賀が突っ込む。
羊花はドアノブに伸ばしていた手をそっと引っ込めた。
行きと同じく、足音を立てないように引き返す。裏口目指して、ゆっくりと。
外に出て、静かに扉を閉める。そこで詰めていた息を、長く吐き出した。
(余計な事はするもんじゃないなぁ……)
ビビリな羊花が勇気を出すと、空回る事も多い。
今回もそう。呼ばれていないのに来て、話を立ち聞きして、勝手にショックを受けている。
知らなければ良かったのに、と。
妙な行動力を発揮してしまった本日の自分に対して、羊花は毒づいてみる。
「……ひつじ?」
「!?」
ドアを閉めた体勢のまま物思いに耽っていた羊花は、唐突に呼ばれてビクリと跳ねる。
弾かれたように顔を上げると、黒崎と浅黄が近付いてきているところだった。
「ひつじちゃん、どうしたの?」
扉の前で固まっている羊花を、二人は訝しむように見る。
羊花が蒼褪めると、黒崎の眉間に皺が刻まれた。
「……何かあったか?」
その言葉を聞いて、浅黄の表情も険しくなる。
「変な連中に絡まれた?」
どんどん不穏な方へと向かう話に、羊花は必死に首を横に振った。
「ち、違います! ちょっと用事を忘れてたの思い出して!」
「本当にか?」
「はい!」
庇ってないかと、二人は厳しい顔で問いただす。羊花は壊れた振り子のように、何度も深く頷いた。
「それなら良かったけど、気を付けてね。最近、他の地区から流れてきたアホ共が、うちに突っかかってきてるから」
「お前は暫く、ここには近寄らない方がいい」
来るなと遠回しに言われ、ズキリと胸が痛む。
邪魔だと思われていたらどうしようと、ネガティブな思考が頭を掠めた。
「……分かりました」
「掃除が終わったら教えるが、その前に用があったら連絡しろ」
「用がなくても連絡してくれていいからね、オレに」
軽口を挟んだ浅黄を、黒崎は横眼で睨む。
羊花はどうにか不自然にならないように笑って、もう一度「分かりました」と告げた。
「今日は兄に用があるので、帰ります」
「送っていく」
「まだ明るいので大丈夫ですよ」
「駄目だ」
強引にバッグを取り上げて、黒崎は歩き出す。
少し先で立ち止まり、振り返った黒崎に視線で促され、羊花は泣きたいような気持になった。
優しくしないでほしい。
勘違いさせないでほしい。
そんな言葉はあまりにも場違いすぎて、羊花は言えなかった。




