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ポコンと気の抜ける音が鳴った。
スマホを見ると、ロック画面にメッセージアプリの受信の知らせが映っている。スタンプなので内容までは、開かないと分からない。
けれど羊花は触れる事に躊躇した。そのままじっと見つめていると、やがて時間切れとなり、メッセージごと画面が暗転する。
溜まり場に近付かない方がいいと言われてから、羊花はずっとモヤモヤとした気持ちを抱えていた。
明確に名前を付ける事が難しい感情は、自分でも持て余し気味だ。
怒りとも違うし、不満とも違う。
一番近いのは『不安』だけれど、それだけでもない。
そんな気持ちのまま、今までと変わらず黒崎達と遣り取りが出来るほど羊花は器用でない。
送られてくるメッセージには一応目は通しているものの、どう返していいのか分からなくて、悩んでいるうちに既読スルーになってしまう事も多かった。
それが気まずくて、更に返信に迷うという悪循環。
返信するのは三回に一回くらい。
私は一体何様のつもりなんだと自己嫌悪に陥りながらも、羊花はこのループから抜け出せずにいる。
「……羊花?」
しょぼんと萎れていた羊花に声が掛かる。
羊花の前の席に座った萌絵は、体ごと振り返って羊花を覗き込んだ。
「元気ないけど、何かあった?」
「え、あ、ううん。大した事じゃないよ」
我に返った羊花は、慌てて表情を取り繕った。
しかし萌絵は誤魔化されず、逆に不服そうな顔つきとなる。
「その割にはここ最近、ずっとそんな顔してるじゃない。スマホ見て溜息ばっかり吐いてるし」
「う……」
どうやらバレバレだったらしい。
呻いた羊花に、萌絵は気遣う眼差しを向ける。
「誰かと喧嘩でもした?」
「喧嘩、ではないかな。……私が一方的に嫌な態度とっちゃって」
吊り上がり気味の萌絵の目が、丸くなった。
ぱちくりと瞬いてから、「珍しいわね」と呟く。
「珍しい?」
「アンタって良くも悪くも平和主義だし、苦手な人間でも対立するより、関係を断つ方を選ぶでしょ。それなのに嫌な態度とって、しかも後悔しているって事は、相手が許してくれるかもって甘えがあるんじゃないの?」
「き、厳しい……」
「間違ってる?」
「当たってる」
羊花が肯定すると、萌絵は大人びた顔で笑う。
しかしすぐにその表情は、年齢より幼めの拗ねた顔に変わった。
「……で、相手は誰?」
「え?」
「アンタがそんな風に気を許している相手は誰よ。……まさか隣のクラスの篠木じゃないでしょうね?」
今度は羊花が目を丸くする番だった。
篠木と羊花の距離が縮まった事を、萌絵が内心で面白くないと感じているのを薄々気付いてはいたが、こうもストレートに言葉に出すとは思っていなかった。
(ヤキモチだよね? 萌絵ちゃん可愛いなぁ)
羊花はにやけそうになりながら、どうにか平静を装う。
馬鹿正直に「妬いているのか」なんて言おうものなら、本気で拗ねてしまうだろうから。
取り敢えずは、否定しておいた方がいいだろう。
実際に、嫌な態度をとった相手は篠木ではない事だし。
そう考えて羊花は口を開いた。
「違……」
「呼んだ?」
羊花の声に別の声が被さる。
いつのまに教室に入ってきていたのか、篠木は羊花の背後からひょっこりと現れた。
「呼んでない」
萌絵は分かりやすく渋面を作る。
しかし篠木は欠片も堪えた様子はなく、笑顔のままだ。
「えー? 呼んでたよね、羊花ちゃん。石動ってば本当、ツンデレなんだから」
「アンタにデレた記憶は一切ないわ」
傍から聞くと喧嘩腰な会話なせいか、羊花達の周囲から人が遠ざかっていく。
しかし実際のところ、篠木と萌絵の相性はそれほど悪くない。遠慮のない物言いは、寧ろ仲良いのではと感じさせる程だ。
だから羊花も、にこにこと安心して見守っていられる。
「てか用がないなら、さっさと自分のクラスに帰りなさいよ」
萌絵は、しっしと動物を追い払うように手を振る。
「用はちゃんとあるんだな、これが」
「は?」
「担任からの伝言で、昼休み中に職員室に来いって」
萌絵の眉間に深い皺が刻まれた。
行きたくないと顔に書いてあるが、行かないと余計に面倒な事になると理解しているので、葛藤は数秒だった。
長い溜息を吐き出して、席を立つ。
「面倒だけど行ってくるわ」
「うん、いってらっしゃい」
軽く手を挙げた萌絵は、じろりと篠木を睨んでから教室を出て行った。
そして空いた席に、今度は篠木が座る。
「これでやっと話せるわ」
「え? 萌絵ちゃんに用事だったんじゃないの?」
「私の用事があったのは羊花ちゃんよ」
篠木の言い方からすると、萌絵がいる場所では話せない内容なのだろう。
一体なんだろうと、羊花の胸に一抹の不安が過った。
「羊花ちゃん、最近真っ直ぐ帰ってるよね?」
「塾がある日以外は、普通に帰宅してるけど」
唐突な質問に、羊花は面食らった。
一体なんの意味があるのだろうと思いつつも、素直に答える。
「って事は、最近なってないよね?」
そう言いながら篠木は、フードを被るジェスチャーをした。
アニマルパーカーを着た『ひつじ』になっていないかと、そう問うている。質問の意図を理解した羊花は、戸惑いながらも頷いた。
「近寄ってすらいない」
「だよね。一昨日は途中まで一緒に帰ったし」
一昨日は水泳部の活動がない日で、偶然、靴箱で遭遇した羊花と篠木は駅まで一緒だった。
「やっぱり偽物か」
難しい顔をした篠木の呟きに、羊花は驚く。
不穏な単語を鸚鵡返しすると、篠木は重々しく頷いた。
「なんか最近、目撃情報が増えてるらしいんだ」
言葉は伏せているが、何の、と問わずとも分かる。
篠木の話では、『Zoo』のマスコットとして認知されている『ひつじ』が、至る所で目撃されているという。
それだけなら特に問題ではないが、どうやら『Zoo』の敵対チームと一緒にいた事から騒ぎになっているらしい。
『Zoo』ファンの女の子達は多い。
特別扱いされている『ひつじ』を最初は妬んでいたが、だんだんと認める空気になっていったという時にこれだ。
目撃情報が増える程に、裏切りか、それとも脅されているのかと殺伐とした空気が広がっているとの事。
篠木の友人もその一人で、そこからの情報だと言った。
「でもその子が見たって言った日、羊花ちゃん、普通に私と帰ってたからさ。おかしいなって思って」
それに羊花ちゃん、ビビリだし、と篠木は付け加える。
目撃されるのは、臆病な羊花では近付けない治安の悪い場所が多い。端からガセだと篠木は睨んでいた。
「友達を通じて、偽物だって広めてもらってるから」
笑顔の篠木はとても頼もしい。
けれど羊花の心には、言い知れぬ不安が募っていた。




