白川の父
そして夏休みがやってきて、ジリジリ肌が焼けるなか、二人は白川の父親のところへ出発した。
ローカル線を乗り継いで、車内に備えられた扇風機の風に髪を巻き上げられながら、二人は駅弁を食べた。
この辺りは無人駅が多くて、駅弁もまだひとけがあるところで買ったものだ。
目的地に近づくにつれ、どんどん乗客も減っていき、ほとんど貸しきり状態の車内で、二人はずっと騒いでいた。
車掌もそれを注意はせず、周りの大人も微笑ましく見守っていた。
そうして、家を出発してから四時間がたった頃、くたくたの二人はやっと小説家の家の前にたどり着く。
ありふれた古い家の玄関は、雑草が高く伸びていて、一見すると人が住んでいるようには思えなかった。
それでも緊張気味の白川が扉を叩くと、それに答えて玄関の扉が開いた。
現れた優しそうな男を見て、白川は少し喜ぶ。
「あなたが、白川省吾さんですか?」
「ああ、先生のファンの方ですね。僕は違いますよ。
先生は奥にいます」
「そうですか。あの、会わせて頂けませんか?」
「ちょっと確認してきますので、少し待ってて下さい」
薄緑のエプロンをつけた男は事務的に告げて、奥へ消えた。
うだるような熱気の中、二人は流れる汗の滴を指でぬぐう。
数分間そのままで待っていると、再びさっきの男が扉を開けて、顔を出した。
「会ってくださるそうですよ。どうぞ」
二人はハイタッチをして、男のあとへついていった。
家の中はひんやりと空気が冷たく、薄暗い。
二階への階段が玄関のすぐ近くにあったが、もうずっと通っていないのか、荷物置き場になっていた。
さらに奥に進むと、台所がある部屋と大きな掘りごたつがある部屋が両脇にならんでいる。
すべて和風の造りで、畳は日焼けして色褪せていた。
そして廊下の突き当たりまで行くと、破けたふすまの向こうから声がした。
「いつまでもグズグズとなにをしているんだ。早く連れてこい」
「はいはい。今行きますよ」
先頭の男がふすまを開けて、横たわる小説家の方へ回り込んだ。
部屋の中心に敷かれた布団に挟まれて、彼は不機嫌そうにこちらを見ている。
まず小説家の年齢に驚いて、白川と設楽は顔を見合わせた。
小説家は皮肉ぶって、片方の口の端を吊り上げる。
「なんだ、お前らのようなガキが私の作品を読んでいるのか。
私の小説も落ちぶれたものだな」
「あの、僕たちファンって訳じゃないんですけど」
「なんだと?」
老齢の小説家に、設楽は飄々と言い放った。
その指先は白川の腕をつついている。
白川は仕方なく、あとに言葉を続けた。
「僕は白川彰って言うんですけど……ご存じですか?」
「白川?白川由香の子供か?」
「はい……」
しわがれた声に竦み上がる白川へ、小説家はさらに怯えさせるように顔を歪ませた。
「よくも私の前へ顔を出せたものだな。この期に及んでまだ私の財産を狙っているのか」
「財産ってなんのことですか?」
「とぼけるな!お前の母親が私から全てを奪って逃げ出したんじゃないか」
「へっ?」
「あとから聞けば、お前の母親は有名な結婚詐欺師だったようだな。
私を欺いて全てを奪い、私は作家としての権威も汚された。
私にはもうなにも残されてはいない!」
「先生、あまり興奮されてはダメですよ」
勢いに任せて起き上がろうとした小説家を、エプロンの男はゆっくり寝かせた。
その手つきや物腰の柔らかさから、男は介護士なんだろうと思った。
老人は呼吸を整えて、少しだけ落ち着きを取り戻す。
しかし、また神経を逆撫でするように、設楽が聞いた。
「それって、本当ですか?そんな話聞いたことないですけど」
青ざめている白川の代わりに、設楽は小説家を問い詰める。
小説家はそんな設楽にも噛みついた。
「唯一証明できるとするなら、それは私の名だ。
私の小説家としての今の名前は、由香が考え強引に変えさせたものだ。
詐欺師の分際で、私の名誉も欲しかったのだろうな。
そのおかげで今だに私は、この名前で作品を書かなければならない。
呪われた白川の名を使ってな!」
設楽の隣で、白川はぐっと唇を噛み、手をきつく握りしめた。
涙が浮かぶ目を見ながら、設楽は怒りを込めて言った。
「白川、こんなじいさんの話なんて真に受けるなよ。
きっと頭がどうかしちまってんだよ」
「なんだと?」
「俺はアンタの小説なんて読んだこともないし、アンタの名前だって聞いたこともねぇよ!
なにが小説家としての名誉だよ。
アンタは白川の母ちゃんにいい年して惚れた、ヨボヨボの色ボケじじいだ!」
「このガキが!」
小説家は二人に襲いかかろうと、布団をはねのけて起き上がった。
介護士に後ろから羽交い締めにされる小説家を見ながら、二人は老人の家から逃げ出した。
二人にはなにも残っておらず、むなしさだけが体の芯に居座っている。
白川はなにも言わずに、設楽と帰りの電車へ乗り込んだ。
この時も、それから時が経っても、設楽は闇に落ちていく白川を励まし続けた。
しかし、白川の小説の作風はガラリと変わり、陰気で鬱々として、最初に設楽が読んだ冒険物語のような爽快さは失われてしまった。
なぜ、あんなことがあって白川は、あの老人の小説に自分のものを似せていくのか分からない。
本人に聞いてみても、全く似ていないと怒り出すだけで、その糸口はつかめなかった。
そして、白川は高校を卒業すると、都会の方へ出てしまい、設楽達と会うことはなくなった。
あの日、設楽の妹と再会するまでは。




