第六話 執事は、剣を振らない
大広間に、メイドが十四人並んでいた。
全員、角が下がっている。屋敷中のメイドの角が一斉に下がっている光景というのは、なかなか壮観だ。
「執事様……本当にやるんですか……?」
ミルカが涙目で聞いてきた。
「やる」
「ガイゼル様ですよ? 第五幹部ですよ? 前に来た時、玄関を壊して、庭師さんを二人吹き飛ばして帰ったんですよ?」
「知ってる」
「なんで知ってるんですか!?」
「いいから聞け」
俺は羊皮紙を掲げた。
『第五幹部ガイゼル来訪 迎撃計画』
「迎撃!?」
「言葉のあやだ。殴らない。指一本触れない」
俺は一歩前に出た。
「今日、正午にガイゼルが来る。あいつはリーニャ様を『屋敷ひとつまとめられない未熟者』だと思ってる。だから、こう言う。『なめられてんだよ、お前は』ってな」
メイドたちがざわついた。
「だから俺たちは、あいつがそう言えなくなる状況を作る。剣も魔法もいらない。紅茶と、掃除と、段取りで殺す」
「言い方が怖いです……」
「ルールは三つだ」
俺は指を三本立てた。
「一、屋敷のすべてを完璧に回す。塵ひとつ、遅れ一秒、許すな」
「二、ガイゼルに聞かれたら、こう答えろ。『リーニャ様のご指示です』」
「三、俺たちは有能に見えるな。優秀なのは主だ」
ミルカが、ぽかんと口を開けた。
「……あの、それ、執事様には何の得も」
「ないな」
「ないんですか!?」
「執事だからな」
俺は笑った。
「主が偉く見えたら、それが手柄だ」
◇
七周目、正午。
扉が壊れた。
「よお、リーニャちゃん」
床が揺れる。牛の角。灰色の岩肌。三メートルの威圧。
だが、今日は違った。
扉の左右に、メイドが六人ずつ整列していた。全員が一分の隙もない礼をしていた。廊下の絨毯は毛先の向きまで揃えられ、燭台の炎は一本残らず同じ高さで揺れていた。
ガイゼルの足が、ほんの一瞬、止まった。
「……なんだこりゃ」
「ようこそおいでくださいました、第五幹部ガイゼル様」
俺は深く頭を下げた。
「魔王軍第三幹部リーニャ・ブラックマン様の屋敷へ、心より歓迎申し上げます」
「……ふん」
ガイゼルは執務室へ進んだ。散らばるはずだった羊皮紙は、今日は分類され、封をされ、赤い紐で綴じられていた。
「相変わらず書類仕事は真面目だな。えらいえら――」
「西部戦線への補給書類でございます」
俺は淀みなく続けた。
「当屋敷より、過去三か月で計十一回。うち八回はリーニャ様のご判断で前倒し出荷しております。おかげさまで、第五幹部様の部隊は一度も物資切れを起こしておられません」
執務室が、静まり返った。
ガイゼルの眉が、ぴくりと動いた。
「……お前がやったのか」
「いいえ」
俺は即答した。
「リーニャ様のご指示です」
◇
ガイゼルは、しばらく黙っていた。
それから、にやりと笑った。
「へえ。ずいぶん躾のいい執事じゃねえか」
嫌な予感がした。
「なあリーニャちゃん。こいつの手柄だろ、これ」
「……」
「三年経ってやっと、まともな使用人を一人拾えたってわけだ。よかったなあ、拾い物同士で」
背後の空気が、ずんと重くなった。
――しまった。
俺は完璧すぎた。あまりに滑らかに答えすぎた。あの男は、俺が優秀であることを、リーニャが無能であることの証拠にすり替えた。
振り返る。
リーニャが、こちらを見ていた。
血の気の引いた顔。
そして、静かに死んでいく赤い瞳。
「あ」
くるり。
「ちょ、待――」
――デス:7
◇
石造りの天井。紫の光。
「……なるほどな」
俺はゆっくりと起き上がった。
不思議と、悔しくはなかった。
わかったからだ。俺が見えていること自体が、間違いだった。
執事が目立つ屋敷は、主が薄くなる。俺は「リーニャ様のご指示です」と言いながら、その台詞を言う俺自身を舞台の中央に置いていた。
正解は、もっと単純だ。
俺が、いなくなればいい。
「ミルカ! 集合だ!」
「ひぃっ! 朝の大声、これで七回目ですよ!?」
俺の手から、羊皮紙が落ちた。
「……今、なんて言った」
「え? 朝から大声はやめてくださいって」
「その前だ。回数を言っただろ」
ミルカがきょとんとした顔で、自分の口元に手を当てた。
「回数……? わたし、何か言いましたっけ」
「七回目、って」
「……え?」
角が、ぴんと立った。
「な、なんでわたし、そんなこと」
ミルカの顔から、みるみる血の気が引いていった。自分の言葉に自分で驚いている、という顔だった。
「今日、執事様が大声を出したの、これが最初ですよね。朝も、まだ一回目で。なのに、なんで七って数字が――」
そこで言葉が止まった。
ミルカは、両手で自分の頭を抱えた。
「……変です。おかしいです。知らないはずのことを、知ってる気がする」
俺は、落とした羊皮紙を拾わなかった。
心臓が、うるさく鳴っていた。
ループしているのは、俺だけのはずだ。俺だけが死んで、俺だけが朝に戻る。三十三個の墓も、七回分の首も、全部俺一人の記憶のはずだった。
なのに。
「ミルカ」
「は、はい」
「前にも、こういうことあったか」
ミルカは長いこと黙っていた。
それから、消え入りそうな声で言った。
「……たまに、あります」
「たまに」
「初めて来た部屋の間取りを、先に知ってたり。会ったことのない人の名前が、口から出たり。この屋敷に来る前のこと、わたし、ほとんど覚えてなくて。だから、そういうものだと思って、誰にも言ってません」
角が、しゅんと下がった。
「……気持ち悪いですよね」
「いや」
俺は首を振った。
言いたいことは山ほどあった。だが、そのどれも、今この場で口にしていい言葉じゃなかった。
「――今は、いい。仕事だ」
「は、はい!」
ミルカが走っていく。
その背中を見送りながら、俺は手の甲の紋章を見た。
淡く光る、女神の加護。
(三十四人目、って言ったよな。あの女神)
(じゃあ、一人目から三十三人目は、どうなった?)
背筋を、冷たいものが這った。
俺は頭を振って、羊皮紙を拾い上げた。
今は、ガイゼルだ。
◇
八周目、正午。
扉が壊れた。
「よお、リーニャち――」
その先が、続かなかった。
執務室に、執事はいなかった。
いたのはリーニャ一人と、壁際に控えた無言のメイド。
そして、机の上にはすでに紅茶が置かれていた。ガイゼルが到着する、ちょうど三十秒前に淹れられたものだ。湯気の立ち方まで計算されている。誰が置いたのかは、わからない。
「……執事はどうした」
ガイゼルが顔をしかめた。
リーニャは、書類から顔も上げずに答えた。
「知らない。呼んでないから」
俺は、扉の外の柱の陰にいた。
心の中で、静かに拳を握った。――そうだ。それでいい。
「ふん。まあいい。なあリーニャちゃん、その椅子な。先代の――」
「西部戦線、第七補給路」
リーニャが遮った。
羽根ペンを置き、ようやく顔を上げる。
「三日前、あなたの部隊が勝手に迂回した。おかげでこっちは荷馬車を十二台、組み直したの」
「……あ?」
「報告、上がってるわよ。読んでないの?」
赤い瞳が、まっすぐ三メートルの巨体を射抜いた。
「書類仕事は真面目にやりなさい」
◇
俺は柱の陰で、息を止めていた。
あの数字は、俺が今朝メイド十四人を叩き起こして集めさせたものだ。そして俺は、それを一言も自分の口から言わなかった。ただ、リーニャの机の上に、朝いちばんに置いておいただけだ。
紅茶と一緒に。何も言わずに。
あとは、あいつが自分で読んで、自分で使った。
ガイゼルは、しばらく口を開けていた。
それから、鼻を鳴らした。
「……ちっ。うるせえガキだ」
「幹部よ。同格の」
「……」
「お帰りはあちら。扉は壊さないで。修理費、あなたに請求するから」
ガイゼルは、何も言わずに出て行った。
今度は、扉を壊さなかった。
◇
廊下で、メイド十四人が一斉に膝から崩れ落ちた。
「終わった……終わりました……」
「よくやった。全員、今日は上がっていい」
俺は柱の陰から出て、大きく息を吐いた。膝が笑っている。三メートルの巨体と同じ空気を吸うだけで、これだけ体力を持っていかれるものらしい。
「執事様」
ミルカがふらふらと寄ってきた。
「あの、わたし、生きた心地がしませんでした」
「俺もだ」
「胃に穴が空きそうです」
「わかる。餅は餅屋って言うだろ。ああいうのは幹部同士でやってくれ」
「ですよねー。餅つきじゃないんですから」
ミルカがけらけらと笑った。
俺は笑わなかった。
笑えなかった。
「……ミルカ」
「はい?」
「餅つきって、なんだ」
ミルカの笑いが、止まった。
「え」
角が、ぴくりと動く。
「餅つき……杵と臼で、蒸したお米を、こう、ぺったんぺったんって……」
言いながら、ミルカは自分の両手を上下に振った。
そして、その手が、途中で止まった。
「……あれ?」
夕暮れの光が、廊下を紫に染めていた。
「わたし、なんで知ってるんですか、それ」
ミルカの声が、震えていた。
「杵って、なんですか。臼って、なんですか。お米って――お米って、なんですか」
俺は何も言えなかった。
言えるはずがなかった。
この世界に、餅はない。俺は、それを確認済みだった。着任初日に厨房を全部見て回っている。米も、餅も、醤油も、この世界にはない。
なのに、目の前のメイドは、今、確かに餅つきの動作をした。
「……ミルカ」
「はい」
「その話、誰にもするなよ」
「……はい」
角を握りしめて、ミルカは小さく頷いた。
俺は、その怯えた顔を見ながら、まったく別のことを考えていた。
(女神は、三十四人目って言った)
(三十三人は、死んだ。中庭に墓がある)
(じゃあ、メイドは?)
答えは出なかった。
出さないほうがいい気がして、俺はそれ以上考えるのをやめた。
◇
日が傾いた。
紫の空が、少しずつ濃い藍色に沈んでいく。
執務室に戻ると、リーニャは椅子に座ったまま、窓の外を見ていた。
足は、床に届いていた。
「……ユウマ」
「はい」
「今日のあんた、変よ」
心臓が跳ねた。
「わたしが必要としたものが、必要としたタイミングで、全部そこにあった」
リーニャがこちらを向いた。
赤い瞳が、今日初めて、俺をまっすぐ見ていた。
「なんで?」
俺は少し考えて、正直に答えた。
「三十四人目なので」
「……は?」
「三十三人分の失敗が、資料としてありましたから」
嘘は言っていない。
そのうち七人分は、今日の俺だ。
リーニャは、しばらく俺を見つめていた。
それから、ふいと窓のほうへ顔を戻した。
「……ふうん」
その横顔の頬が、うっすら赤い気がしたが、夕暮れの色かもしれない。たぶん夕暮れの色だ。そういうことにしておこう。生き延びるために。
「ねえ」
「はい」
「なんで笑ってるの」
言われて初めて、自分が笑っていることに気づいた。
「生きてるので」
「……変な奴」
リーニャは立ち上がった。小さな体が、大きな椅子から降りる。
そして、扉の前で立ち止まって、こちらを見ないまま言った。
「明日も、来なさい」
俺は膝をついた。
胸の奥が、七回分の首より、ずっと熱くなっていた。
「――かしこまりました」
一日目、終了。
デス:7
(第七話につづく)




