第三話 さびしそうな横顔
目が覚めた。石造りの天井。紫の光。
「気分で変わるのかよ!!」
叫んだ俺の声に、扉の外でミルカが小さく悲鳴を上げた。
「し、失礼します……新しい執事様、起きていらっしゃいますか……?」
「起きてる。起きてるよ。二回目だけどな」
「二回目……?」
「こっちの話」
俺はベッドの上で頭を抱えた。
ホコリは物理法則の問題だ。努力でなんとかなる。だが「今日の気分は七十一度」はどうしようもない。相手の内面の話だ。正解が存在しない。
……いや。
待てよ。
正解が存在しないなら。
全部用意すればいいんじゃないか?
「ミルカ」
「は、はい!」
「厨房、借りるぞ。あと台車も」
◇
三周目。
俺は紅茶を三種類、六十八度・七十一度・七十四度で用意して大広間に運び込んだ。台車ごと。
三つのカップが、湯気の量を微妙に変えながら並んでいる。
「なにこれ」
リーニャが眉をひそめた。
「本日のリーニャ様のお気分に合わせて、お選びいただけるようにいたしました」
リーニャの眉が、ぴくりと動いた。
「……ふうん」
赤い瞳が、少しだけ細くなる。怒りではない。何か別の感情が、そこに一瞬だけ揺れた気がした。
リーニャは真ん中のカップを取り、一口飲んだ。
小さな喉が、こくりと動く。
「……悪くないわね」
「ありがとうございます」
やった。
俺は今度こそ確信した。いける。ここから信頼関係を築いて、少しずつ距離を縮めて――
「ねえ」
「はい」
「なんでそんなに必死なの」
思わず顔を上げた。
リーニャは、カップの縁を指でなぞりながら、俺を見ていなかった。
「みんな、三日で逃げるか、死ぬかのどっちかなのに」
その横顔が。
玉座みたいな大きすぎる椅子に沈み込んだ小さな体が。
窓から差す紫の光の中で、ひどく輪郭の細い影を落としていて。
なんというか。
――さびしそうに、見えた。
胸の奥が、変な角度で軋んだ。
俺はこの子を「攻略」しに来た。恋をさせて、無力化しろと命じられて。任務として。仕事として。
なのに今、口から出たのは、任務とはまるで関係のない言葉だった。
「……あの」
「なに」
「俺は、逃げませんよ」
言ってから、しまったと思った。ホコリ一粒で首を落とされる相手に、何を口走っているんだ俺は。
リーニャの手が、止まった。
カップの表面で、紅茶がわずかに震えている。
赤い瞳が、ゆっくりとこちらを向いた。
その瞳が、一瞬だけ――ほんの一瞬だけ、大きく見開かれた気がした。
そして。
その顔が、みるみる赤くなって。
「気持ち悪いこと言わないで」
くるり。
「ええええええ!?」
――デス:3
◇
石造りの天井。紫の光。
俺はベッドの上で天井を睨み、拳を握った。
「……上等だ」
三回死んだ。三回戻った。
けど、三回目の最後。
あいつ、たしかに顔が赤かった。
首を切る直前、あの短気で理不尽な魔王軍幹部は、耳まで真っ赤になっていた。
――あれは、怒りの赤か?
違う気がする。少なくとも、一回目と二回目の「そう」と言った時の、あの氷みたいな無表情とは明らかに別物だった。
前世で取り柄なんて何もなかった俺に、初めて与えられた武器がこれだ。何度でもやり直せる。何度でも挑める。
なら、やってやる。
あの短気で理不尽で、ホコリ一粒で人を殺す、あのちっちゃくて、さびしそうな魔王軍幹部を。
「――攻略してやる」
扉がノックされた。
「し、失礼します……新しい執事様、起きていらっしゃいますか……?」
「起きてる。ミルカ、注意事項の第九十八版を作るぞ。俺が書く」
「え、えっ!? 執事様が、書く……?」
「ああ。三十三人分の遺産に、俺の分を足す」
こうして、俺の長い長い一日目が始まった。
(第四話につづく)




