第三十二話 墓石の値段
「一人ぶん、いくらだと思っておられますか」
円卓が、静まっていた。
ザルヴィアの、ほとんど動かない目が、リーニャを見ていた。
「……存ぜぬ」
「銀貨四枚です」
リーニャは、はっきりと言った。
「石代が三枚。彫り賃が一枚。ただし、彫り賃は払っていません」
「なぜだ」
「わたしが彫ったからです」
◇
第四幹部の指が、止まった。
「……彫った?」
「はい」
「幹部が?」
「十六個です。わたしの代の分は、全部」
リーニャの声は、平坦だった。
いつもの、あの平坦な声だった。
「一つ彫るのに、四刻かかります。文字が読めない者の名前は、音を聞いて彫ります。十六回やりました」
「……残りは」
「先代が彫りました。十七個」
リーニャは、まっすぐ議長を見た。
「あの庭の石は、全部、幹部が彫ったものです」
「……」
「ですので、墓石代は、わたしが一番よく知っています」
◇
俺は、壁際でそれを聞いていた。
聞きながら、拳を握っていた。
(――そこからか)
(そこから始めるのか、あんたは)
◇
「……感傷の話をしに来たのか」
ザルヴィアが言った。
「いいえ」
リーニャは、首を振った。
「数の話です」
「数だと」
「銀貨四枚。三十三回。十二年」
彼女は、円卓の縁に指を置いた。
「議長。他の四つの幹部屋敷に、墓石代という費目はありますか」
◇
ザルヴィアの指が、止まった。
第四幹部が、顔をしかめた。
「……ねえよ、そんなもん」
「第五幹部は」
「ねえな」
ガイゼルが低く答えた。
「うちの屋敷の使用人は、辞めても死なねえ」
「第二幹部は」
仮面が、静かに横に動いた。
リーニャは、議長に向き直った。
「十二年間、第三幹部の屋敷だけが、執事の墓石を買い続けています」
「……」
「毎年です。途切れていません。会計簿を見れば、誰にでもわかります」
「なぜ、誰も気づかなんだ」
「気づく必要がなかったからです」
彼女は言った。
「銀貨四枚だからです」
◇
円卓が、静まった。
「四百名の捕虜なら、誰かが数えます。砦一つなら、報告書が上がります」
リーニャの声は、平坦だった。
「銀貨四枚の支出は、誰も数えません。十二年続いても、三十三回続いても」
「……」
「議長は先ほど、墓石代など釣りが来るとおっしゃいました」
彼女は、まっすぐ老魔族を見た。
「その言い方こそが、十二年間、誰にも気づかれなかった理由です」
◇
ザルヴィアは、長いあいだ黙っていた。
そして、低く言った。
「……続けよ」
「はい」
リーニャは、こちらを向いた。
「ユウマ」
「はい」
「持ってきなさい」
◇
俺は、羊皮紙の束を円卓の上に置いた。
分厚い、綴じ紐の傷んだ束。
『リーニャ様 怒らせないための注意事項 第百二十版』
「なんだ、これは」
「屋敷の業務記録でございます」
俺は答えた。
「十二年分でございます」
「執事の引き継ぎか」
「はい。ですが――ご覧いただきたいのは、余白です」
◇
ザルヴィアが、ページをめくった。
痩せた指が止まった。
魔族の文字の隙間に、小さな別の文字が並んでいた。
「……読めぬな」
「読めません」
リーニャが言った。
「魔族の誰にも読めません。十二年間、誰にも読まれませんでした」
「では、なんの意味がある」
「筆跡の数を数えてください」
◇
円卓の四人が、羊皮紙を回した。
第四幹部が、途中で顔を上げた。
「……おい」
「数えたか」
「多いぞ。二十……いや、三十以上ある」
第四幹部は、指で数えながらページを繰った。
「……三十五だ。三十五人分ある」
「三十四です」
リーニャが言った。
「わたしの屋敷に仕えた執事、三十三人。それと――」
彼女は、壁際の俺を見た。
「そこにいる、三十四人目」
「……」
「全員、同じ文字を書いています」
◇
俺は、頭を下げたまま動かなかった。
(――三十五だ)
第四幹部の数え方は、正確だった。
三十三人の執事。俺。そして。
(ミルカ)
窯の前で、下手な字で返事を書き続けた、あの子の筆跡が、あの束の中にある。
言えば、話が早い。十二年前から屋敷にいる不老のメイド。工作の証拠としては、これ以上ないものだ。
言えば、あの子は円卓に呼ばれる。
(――言わない)
俺は、口を閉じたままでいた。
◇
石の円卓が、しんとした。
ザルヴィアの目が、初めてはっきりと動いた。
「同じ……文字」
「同じ国の文字です」
「三十三人が」
「十二年間、途切れることなく」
リーニャは、円卓の縁に手を置いた。
「一人や二人ではありません。三十三人です。全員が同じ国から来て、全員がわたしの屋敷に仕え、三十人が死にました」
「……偶然であろう」
「十二年間、第三幹部の屋敷にだけ、でしょうか」
◇
第四幹部が、椅子を鳴らして立ち上がった。
「おい待て。それ、まずいだろ」
「何がまずい」
「わからねえのか!? 誰かが第三幹部の屋敷に、十二年かけて人を送り込み続けてたってことだぞ!」
「……」
「そんで三十人死んでる。幹部も二人代わってる。これ、工作じゃねえのか」
ザルヴィアは、羊皮紙を閉じなかった。
閉じられなかった。
◇
「証人がおります」
リーニャが言った。
「証人だと」
「捕虜の勇者です」
円卓が、どよめいた。
「呼びなさい」
◇
縄を打たれた健太が、衛兵に連れられて入ってきた。
彼は円卓を見回して、それから俺を見つけて、小さく頷いた。
「ユウマ。通訳」
「かしこまりました」
「あなたを、誰が送ったか」
俺は、それを日本語に直した。
健太は、少し目を閉じた。
そして、はっきりと言った。
「――女神だ」
◇
俺は、それを魔族の言葉にした。
「女神と名乗る者に送られた、と申しております」
「女神」
「白い部屋に呼ばれ、魔王軍幹部を討てと命じられたそうです」
第四幹部が、身を乗り出した。
「人間国の神か」
「いいえ」
健太が、首を振った。
俺は、続きを訳した。
「同じ者が、私を送りました」
◇
円卓が、凍った。
「……もう一度、言え」
「同じ女神が、三十三人の執事を第三幹部の屋敷へ送り、同じ女神が、この勇者を送りました」
俺は、自分の声が震えていないことに驚いていた。
「私も、その一人でございます」
ザルヴィアの目が、俺を捉えた。
「……執事」
「はい」
「そなたも、同じ国の者か」
「はい」
「三十四人目でございます」
◇
長い沈黙が、円卓を覆った。
やがて、ザルヴィアが低く言った。
「――つまり、こういうことか」
「はい」
「何者かが、十二年にわたり、我が軍の第三幹部の席と、人間国の勇者の両方に、駒を送り込んでいる」
「はい」
「双方に」
「はい」
「……戦を、続けさせるために」
俺は、頭を下げた。
「そこまでは、申し上げられません」
嘘だった。
だが、この場では、こちらが言うより、この老魔族が自分で言い切ったほうがいい。
◇
ザルヴィアは、目を閉じた。
そして、言った。
「第三幹部の席は――汚染されておる」
◇
「十二年間、監視されていた。執事を通じて、屋敷の情報が漏れ続けていた可能性がある」
「そうなるかと」
「先代の死も」
「記録と、部隊の位置が合っておりません」
ザルヴィアの手が、円卓を叩いた。
乾いた音だった。
「――統合案を、再審議する」
「議長」
第四幹部が言った。
「再審議もクソもねえよ。そんな席、置いとけるか」
「賛成の者」
四本の手が、挙がった。
第二幹部の仮面が、初めて縦に動いた。
◇
「第三幹部職掌統合案、可決」
ザルヴィアが宣言した。
「第三幹部の席は、これをもって廃する。職掌は第五幹部へ移管。屋敷は封鎖。記録は封印」
俺は、壁際で息を止めていた。
(――通った)
(席が、なくなった)
三十六人目は、来ない。
十二歳の誰かが、あの椅子に座ることもない。
俺は、壁際の宮本を見た。
彼は、自分の手の甲を見つめていた。
(あんたが、最後だ)
◇
ガイゼルが、腕を組んだまま天井を見ていた。
「……仕事が倍か」
「監察官殿」
「うるせえ」
彼は、ちらりとこちらを見た。
そして、小さく親指を立てた。
魔族にもその仕草があるのかと、俺は少し驚いた。
◇
だが、終わりではなかった。
ザルヴィアが、リーニャを見ていた。
「第三幹部」
「……はい」
「席は廃された。そなたの処遇は、別議である」
円卓の空気が、また重くなった。
「十二年、敵の工作の只中にいた者だ。しかも三年間、その屋敷の主であった」
「……」
「そなた自身が、汚染されておらぬという証はあるか」
リーニャは、答えなかった。
答えられるはずがなかった。
彼女の外套の内側には、人間の子どもがくれた木彫りの人形が入っている。
◇
俺は、一歩前に出ようとした。
出る前に、袖を掴まれた。
宮本だった。
彼は、青い顔で首を振った。
「……ユウマさん。ここで前に出たら、あなたも汚染されたことになります」
「離してください」
「だめです」
「宮本さん」
「だめです」
◇
ザルヴィアが、羊皮紙を一枚、卓に置いた。
黒い封蝋が、まだ新しかった。
「では、諮る」
老魔族の声は、平坦だった。
「元第三幹部リーニャ・ブラックマンの、処分について」
デス:23(加護、返却済み)
(第三十三話につづく)




