第二十五話 報告書
「十七人目だと?」
ガイゼルの声には、苛立ちがあった。
「知らねえな。執事の名前なんざ、いちいち覚えてねえ」
「だろうな」
ヨナは咳をしてから、答えた。
「あんたが覚えてるのは、あの人の名前だけだろ」
灰色の巨体が、動きを止めた。
◇
「ヴェルナ・ブラックマン」
ヨナは、その名前を言った。
「あんた、三年前、あの人の名前を三回言った」
「……」
「命令書を読む前に一回。読んでる途中で一回。終わった後に、もう一回」
「黙れ」
「聞こえたんだよ。二階の窓から」
ヨナは咳き込んだ。長い咳だった。
それでも、彼は言い切った。
「あんた、あの人の名前を呼びながら殺したんだ」
◇
三百の兵が、静まり返っていた。
ガイゼルは、羊皮紙を持ったまま立っていた。
その手が、わずかに震えていた。
「――だから、なんだ」
低い声だった。
「命令は命令だ。俺が断れば、次の奴が来る。次の奴は、あの人にもっとひでえことをしただろうよ」
「そうだな」
ヨナは頷いた。
「だから俺も逃げた。同じ理屈でな」
「……」
「三年、その理屈で生きてみた。最悪だったぞ」
◇
その時。
村のほうから、足音がした。
砂を踏む音。ゆっくりとした、堂々とした足音だった。
三百の兵が、一斉にそちらを向いた。
高橋健太が、歩いてきていた。
剣を鞘ごと外して、両手で持って。
彼は、リーニャの三歩手前で立ち止まった。
そして、剣を地面に置いた。
◇
「ユウマ。通訳」
「はい」
「勇者、高橋健太。投降する」
俺は、それを魔族の言葉に直した。
三百の兵が、どよめいた。
「勇者だと」
「勇者が降伏したぞ」
「第三幹部が、勇者を……」
ざわめきが、波のように広がっていった。
ガイゼルは、それを黙って聞いていた。
◇
リーニャが、一歩前に出た。
「監察官殿」
「……なんだ」
「報告いたします」
彼女の声は、平坦だった。
いつもの、あの平坦な声だった。
「本日の作戦。村落一つ焼失。住民四百名を捕縛し、労働力として西部戦線へ輸送予定。加えて、勇者一名を捕獲」
「……」
「途中、火勢が捕虜の列に及びました。捕虜は魔王軍の資産です。よって私は、資産の保全のため、これを消火いたしました」
俺は、その言葉を聞いていた。
(――そう来たか)
◇
「資産の保全、だと」
「四百人分の労働力です。焼けば損失になります」
「教会に入ったのは」
「捕虜の頭数を合わせるためです」
リーニャは、木彫りの人形を握ったまま言った。
「一人でも欠ければ、報告書の数字が合いません」
ガイゼルは、しばらく黙っていた。
そして、俺のほうをちらりと見た。
「……執事」
「はい」
「お前が仕込んだのか、これ」
「いいえ」
俺は、正直に答えた。
「私は、そこまで賢くありません」
◇
ガイゼルは、羊皮紙を巻いた。
ゆっくりと、丁寧に巻いて、腰の筒に戻した。
「……ちっ」
「監察官殿」
「うるせえ」
彼は背を向けかけて、止まった。
そして、こう言った。
「三年前もな」
「……」
「あの人も、屁理屈のひとつでも言えばよかったんだ」
灰色の背中は、こちらを向かなかった。
「捕虜を逃がしたのは、輸送費が足りなかったからです、とかな。そう言ってりゃ、俺は帰ってた」
「……」
「あの人は、何も言わなかった。言い訳ひとつしないで、そこに立ってた」
ガイゼルは、丘のほうへ歩き出した。
「馬鹿な人だったよ」
◇
数歩進んで、彼は立ち止まった。
「執事」
「はい」
「報告書は、お前が書け」
「……よろしいのですか」
「監察官が書くと、監察にならねえだろうが」
彼は振り返らずに手を振った。
「焼失の程度も、お前が数えろ。俺は数を数えるのが苦手でな」
俺は、その大きな背中に向かって頭を下げた。
深く、長く。
◇
ガイゼルが行ってしまうと、場が緩んだ。
兵が動きはじめる。村人の列が東へ進みはじめる。健太は縄を打たれて、それでも妙に楽しそうな顔をしていた。
「なあユウマ」
「はい」
「捕虜って、飯出るの」
「出ます」
「うまい?」
「メイドが焼くパンは、たいへんうまいです」
「よっしゃ」
◇
ヨナは、少し離れた岩の上に座っていた。
俺はその隣に立った。
「来てくれて、ありがとう」
「……別に」
「何が、あんたを動かした」
ヨナは、しばらく黙っていた。
そして、ぼそりと言った。
「三年間な、俺は自分に言い聞かせてた。あれは呪われた屋敷で、あの子は化け物だって」
「……」
「そう思っとかねえと、逃げた自分が説明つかねえからな」
彼は咳をした。
「でもよ。まだ生きてる人間の墓を建てるってのは」
「はい」
「あれ、子どもが考えたことだよな」
俺は、頷いた。
「十二歳でした」
「そうか」
ヨナは、両手で顔を覆った。
「……そうか」
◇
日が傾きはじめていた。
焼けた村から、まだ細い煙が上がっていた。
俺は、その煙を見ながら、頭の中で数字を並べはじめていた。
焼失家屋の数。倒壊した納屋。教会の被害。
(書き方はある)
(火勢の記録。風向き。消火の判断。すべて事実だ)
(事実だけを並べて、焼けたことにする)
三年前、ヴェルナは何も言わなかった。
言い訳ひとつしないで、庭に立っていた。
(――俺は、言い訳のほうを担当する)
(それが執事の仕事だ)
◇
「ユウマ」
振り返ると、リーニャが立っていた。
木彫りの人形を、まだ持っていた。
「はい」
「あんた、今日、何回死んだ?」
「一回も死んでおりません」
「そう」
彼女は、人形を外套の内側にしまった。
「……よかった」
「はい」
「よかったわ」
二回言った。
◇
その時。
縄を打たれた健太が、急に足を止めた。
顔をしかめて、頭を押さえている。
「高橋さん?」
「……また、言ってる」
「あの声ですか」
「うん」
彼は顔を上げた。
その顔は、笑っていなかった。
「なんて言ってるんですか」
健太は、しばらく黙っていた。
そして、こう言った。
「『失敗しました』」
「……え」
「そう言ってる。何回も。俺に言ってるんじゃないみたいだ」
夕日が、焼けた麦畑を赤く染めていた。
俺は、自分の手の甲を見た。
紋章は、ほとんど消えかけている。
(――誰に言ってるんだ)
(何を失敗したんだ)
六の月十三日、日没。
デス:23(残り、なし)
(第二十六話につづく)




