第二十二話 命じられました
村の外れに、焼け残った納屋があった。
俺たちはそこに入った。
外では、魔族の兵が村を包囲したまま待機している。東の街道では、三百七十人が列をなして歩いている。
砂時計が落ちきるまでに、あと数時間。
「話しなさい」
リーニャは、納屋の柱にもたれて言った。
「全部よ。ここで聞くって言ったでしょ」
「はい」
俺は膝をついた。
そして、話した。
◇
トラックに轢かれて死んだこと。
白い部屋で女神に会ったこと。
拒否権はないと言われたこと。
三十三人の執事が、全員同じ世界から来た人間だったこと。
余白に日本語が書いてあること。
シンヤという男が、かぐや姫の説明に失敗したこと。
そして――
「私は、死ぬとその日の朝に戻ります」
リーニャの肩が、跳ねた。
「……なに、それ」
「ホコリで一度、紅茶の温度で一度。足置き台で一度」
「……」
「ガイゼルに一度。庇って一度。書類の綴じ方で一度」
俺は指を折るのをやめた。
数えても、意味がなかった。
「二十三回でございます」
◇
納屋の中が、静かになった。
外から、兵の点呼の声が遠く聞こえていた。
「……嘘」
「はい。信じられないと思います」
「嘘よ」
リーニャの声が、掠れていた。
「わたしが、あんたを、二十三回」
「十六回でございます。残りは、事故のようなものです」
「そんな数え方しないで!」
彼女が叫んだ。
初めて聞く声だった。
◇
「……なんで」
リーニャは、柱にもたれたまま、ずるずるとしゃがみ込んだ。
「なんで、まだいるのよ」
「はい?」
「十六回殺した相手のところに、なんで戻ってくるの」
「……」
「わたしなら逃げるわ。三人が逃げたのよ、実際に」
俺は、その小さな体を見た。
膝を抱えて、顔を伏せている。
言うなら、今だった。
◇
「――女神は、私に任務を与えました」
「任務」
「魔王軍幹部を、攻略しろと」
リーニャが顔を上げた。
「物理的にではなく、精神的に。……つまり」
俺は、息を吸った。
(言え)
(二十八人目が言えなかったことだ)
「リーニャ様に恋をさせて、無力化しろと。そう命じられて、私はここに来ました」
◇
彼女は、動かなかった。
まばたきもしなかった。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
「……じゃあ」
「はい」
「紅茶の温度を三つ用意したのも」
「任務でございます」
「椅子を替えたのも」
「任務でございます」
「ガイゼルの前で、数字を並べたのも」
「任務でございます」
「墓のところに、水と布を持ってきたのも」
俺は、顔を上げられなかった。
「……はい」
◇
平手が飛んでくると思った。
鎌が出ると思った。
どちらも来なかった。
「――知ってたわよ」
「え」
「あんたが何か企んでるくらい、最初から知ってたわ」
リーニャは、鼻を鳴らした。
「三日目に紅茶を三つ持ってきた執事なんて、企んでるに決まってるでしょ」
「……」
「三十三人ぜんぶ、何か企んでたわよ。わたしを利用しようとしたり、逃げ出そうとしたり、取り入ろうとしたり」
彼女の声が、少しずつ低くなった。
「そんなの、どうでもいいの」
「リーニャ様」
「問題は、そこじゃないの」
◇
リーニャは、俺の前に立った。
見上げるのではなく、膝をついた俺を、見下ろす形で。
「わたしが知りたいのは、ひとつだけよ」
「……はい」
「あんた、任務のために死んだの?」
◇
答えるまでに、時間はかからなかった。
「いいえ」
「じゃあ何のために」
「一回目は、任務です」
俺は正直に言った。
「二回目も、たぶん任務でした。三回目もです。四回目から、わからなくなりました」
「……」
「足が床に届かないのは体に悪いと思ったので、台を持っていきました。あれは任務ではありません。あれで死にました」
リーニャの唇が、震えた。
「昨夜は、遅くなると言えばよかったと思っております。心配させました」
「……」
「街の果物屋で九歳と申し上げたのは、完全に私の失敗でございます」
◇
「――ばか」
小さな手が、俺の襟を掴んだ。
引き寄せられて、俺は前のめりになった。
「ばか。ばか。ばか」
「はい」
「なんで言うのよ、そんなこと」
「申し上げないと、私は三十四人目のままですので」
リーニャの目から、涙が落ちた。
一滴ではなかった。
三年ぶんが、いっぺんに来たようだった。
◇
俺は、その頭に手を伸ばしかけて、やめた。
代わりに、言わなければならないことを言った。
「リーニャ様。もうひとつ、申し上げます」
「……なによ」
「女神は、進捗を数字で示します。攻略度と呼ぶそうです」
「かず」
「リーニャ様が私に恋をすれば、百でございます」
彼女の手が、襟から離れた。
「……今は」
「三十四」
「……」
「そして」
俺は、彼女の目を見た。
「これは、数字とは別の話でございます」
「別の話」
「二十八人目が、中央の記録庫で調べました。魔王軍の記録に、職務遂行不能と判定された幹部が四件ございます」
リーニャの喉が、小さく動いた。
「四件とも、処分されております」
「……理由は」
「記録には書かれておりません。恋か、恐れか、病か、それすらも」
俺は、言葉を選んだ。
「ただ――幹部が殺せなくなった時、魔王軍がどうするかだけは、四回とも同じでした」
◇
納屋の中の空気が、変わった。
リーニャの顔から、涙の痕はそのままに、表情だけが引いていった。
「――ヴェルナ」
「はい」
「あの人が、そうだったの」
「シンヤという執事の数字は、八十四まで行きました」
「……」
「その男が『降ります』と書いた翌日から、記録がありません。そして三か月後に、先代は中庭で」
俺は、そこで言葉を切った。
「……ガイゼルよ」
リーニャが、静かに言った。
「知ってたわ。わたし、見てたもの」
◇
(――見てた)
十二歳の彼女は、二階のヨナだけではなく。
(あの庭にいたのか)
「わたし、庭にいたの」
リーニャは、自分の手のひらを見ていた。
「あの人の後ろに立ってた。何もできなかった。鎌も出せなかった」
「……」
「あの人はね、わたしに言ったの。『下がっていなさい。あなたは死んじゃだめ』って」
俺は、息が止まった。
今朝、丘の上で。
下がってなさい。あんたは、死んじゃだめ。
一言一句、同じだった。
そして、この子はたぶん、そのことに気づいていない。
三年前に一度だけ聞いた言葉を、自分が同じ立場になった時に、そのまま使ったことに。
◇
「だからね、ユウマ」
リーニャは顔を上げた。
濡れた目のまま、まっすぐに。
「その数字、百にしちゃだめよ」
「はい」
「絶対にだめ。わかった?」
「かしこまりました」
「……」
「……」
俺たちは、しばらく黙っていた。
外で、伝令の声がした。
「街道の先頭、到着まで二刻!」
砂時計が、落ちていく。
◇
「ユウマ」
「はい」
「ひとつ、聞いていい?」
「なんなりと」
リーニャは、顔を背けた。
そして、納屋の壁を見ながら、小さく言った。
「もう三十四なら、遅くない?」
「……は?」
「なんでもないわ」
「今、なんと」
「なんでもないって言ってるでしょ!」
彼女は俺の頭をぱしんと叩いて、納屋の外へ歩いていった。
扉のところで立ち止まって、こちらを見ずに言った。
「作戦を終わらせるわよ」
「かしこまりました」
「終わったら、ガイゼルが紙を開く」
「……はい」
「だから、その前に勝ち方を決める」
◇
リーニャは振り返った。
赤い瞳に、迷いがなかった。
「ユウマ。あの勇者、あんたと同じ国の人間なのよね」
「はい」
「言葉が通じるのよね」
「はい」
「じゃあ、伝えなさい」
彼女は、鎌を出した。
そして、その刃を自分の足元に突き立てた。
「降伏しなさい、って」
「……は?」
「殺さないわ。捕らえるだけよ。勇者は最高の捕虜だもの」
リーニャは、初めて笑った。
意地の悪い、幹部の笑い方だった。
「手が止まったんじゃない。獲物が大きかっただけ――そう報告するのよ」
六の月十三日、正午。街道到着まで、あと二刻。
デス:23(残り、なし)
(第二十三話につづく)




