第十三話 六十八日
その夜、久しぶりに白い部屋の夢を見た。
コツ。コツ。コツ。
「お久しぶりです、三十四人目」
女神ルミナリアは、一ミリも変わらない微笑みで立っていた。
「十四回死にましたね」
「数えてたのか」
「もちろんです。ご報告を」
指が鳴り、光の板が現れる。
『攻略度:9%』
「……九」
「五日で九パーセント。異常な速度です」
女神は満足そうに頷いた。
「歴代最高は、二十八人目の四パーセントでした」
俺は、その数字を胸の内側で受け止めた。
(――四パーセント)
あの男は、四パーセントまで行って、それから記録庫に潜って、そして戻らなかった。
「ひとつ聞かせろ」
「なんでしょう」
「加護の返却って、なんだ」
白い空間が、しん、と静まった。
女神の微笑みは、崩れなかった。
崩れなかったが――一拍、遅れた。
「どこでその言葉を」
「答えろよ」
「それは、あなたが気にすることではありません」
「三十人が戻らなかった。ぜんぶ返却か?」
「三十四人目」
女神の声が、少しだけ低くなった。
「あなたは今、とても良い仕事をしています。順調です。余計なことを調べた者から順に、順調ではなくなりました」
背筋が、冷えた。
脅されている。しかも、はっきりと。
「……もうひとつだけ」
「どうぞ」
「ミルカは、あんたが置いたのか」
女神は答えなかった。
代わりに、光の板を消した。
「では、いってらっしゃい」
「おい――」
足元が抜けた。
落ちながら、俺は思った。
(あの女、ミルカのことだけは二回とも答えなかった)
◇
六日目。
『第百三版・第一項 女神には何も聞くな。何も渡すな。』
◇
八日目。
朝の紅茶を出すと、リーニャが妙な顔をした。
「これ、三つもいらないわ」
「では二つに」
「一つでいいの」
「かしこまりました。何度に」
「……七十一度」
「かしこまりました」
俺は台車を押して下がろうとした。
「ユウマ」
「はい」
「なんで、わたしの温度を覚えてるの」
答えを間違えたら死ぬやつだ、と直感した。
「執事ですので」
「ふうん」
生き延びた。
◇
十一日目。
ホコリで死んだ。
十一日ぶりのホコリだった。あまりに久しぶりすぎて、鎌が出てから「あっ、これ知ってる」と思う余裕すらあった。
デス:15
◇
十二日目。
余白に、返事があった。
俺の日本語の下に、たどたどしい日本語で。
『よみました。じがよめないのに、いみがわかります。ふしぎです。
がっこう、というのですね。
わたしは、そこにいたのでしょうか。
ミルカ』
俺は、その三行を厨房で読んだ。
窯の前では、当のミルカが何も知らない顔でパンを焼いていた。
昨日の彼女が書いた文字を、今日の彼女は覚えていない――わけではない。日を跨げば残る。彼女は今朝もこれを読んで、たぶん、俺と同じくらい混乱している。
「ユウマ様。あの、変なことをお聞きしますが」
「なんだ」
「わたし、自分に手紙を書く癖がありますか?」
「……あるみたいだな」
「気持ち悪いですね」
「そうでもない」
◇
十五日目。
リーニャが、執務室に椅子をもう一脚入れた。
俺は最初、来客用かと思った。
「座りなさい」
「は?」
「立ってるの、目障りなの」
三年間、執事は立たせてきたはずの人間が、そう言った。
俺は座った。座って、書類の仕分けをした。
ペンの音が二つになった執務室は、思っていたよりずっと静かだった。
◇
十九日目。
ガイゼルが来た。
扉は壊さなかった。
「よお、リーニャちゃん」
「幹部会の資料、遅れてるわよ」
「うるせえな」
三十分で帰っていった。
帰り際、あの巨体が俺の横で立ち止まった。
「おい、執事」
「はい」
「あんまり長生きするなよ」
低い声だった。
「あの椅子に長くいた奴は、みんな最後が悪い」
俺が返事をする前に、ガイゼルは行ってしまった。
(……忠告か? あれは)
◇
二十二日目。
死んだ。
原因は今も不明だ。朝の挨拶をして、紅茶を出して、それだけだった。
強いて言えば、その日の俺は少し寝坊して、髭を剃り忘れていた。
デス:16
◇
二十三日目(髭を剃った)。
生き延びた。
『第百七版・第三項 髭。』
十四人目の「ホコリ。ホコリ。ホコリ」を笑えなくなった。
◇
二十八日目。
夜、中庭でリーニャが素振りをしていた。
俺は水と布を持って、いつもの墓標の前に立った。
「今日は、見に来るの早いのね」
「窓から見ておりましたので」
「暇なの?」
「はい」
リーニャは布を受け取って、それから、ふと言った。
「ねえ。あんたの故郷って、どんなところ?」
心臓が、跳ねた。
(言えない)
(言ったら、俺が何者かを言うことになる)
「……つまらないところです」
「へえ」
「空が青くて、鉄の箱が道を走っていて、人が多すぎる場所です」
「鉄の箱?」
「馬のいない馬車のようなもので」
「便利ね」
「便利ですが、私はそれに轢かれて死にました」
言ってから、しまったと思った。
リーニャが、こちらを見ていた。
「……は?」
「例え話でございます」
「あんた、たまに変なこと言うわね」
「よく言われます」
嘘だ。
言われたことなんて、一度もない。
俺の話をまともに聞いてくれた人間なんて、この世界にはあいつしかいない。
◇
三十三日目。
墓が、三十三個のままだった。
俺は毎晩、数えていた。増えていない。俺が十六回死んでも、三十四個目は建たない。
当たり前だ。あいつは俺の死を一度も覚えていないのだから。
(だから、いいんだ)
(建たないほうが、いい)
◇
三十六日目。
ミルカとの余白のやりとりは、二十通を超えていた。
『ゆうまさま。きのうのわたしが、あなたにおれいをかいていました。
わたしは、きのうのわたしをしりません。
でも、じがへたなのはおなじです。』
俺は声を出して笑った。
厨房で一人、羊皮紙を持って笑っていたら、通りかかったメイドに気味悪がられた。
◇
四十日目。
執務室に、封蝋の黒い書状が届いた。
二通目だった。
リーニャは、それを開いて、読んで、机の上に伏せて置いた。
そのまま、しばらく動かなかった。
「リーニャ様」
「……なんでもないわ」
「かしこまりました」
その夜、俺はその書状を読んだ。
『第三幹部リーニャ・ブラックマンへ
六の月十三日、ヴェルド村進攻。準備状況の報告を求める。
なお、当該作戦の監察官として、第五幹部ガイゼルを派遣する。』
(――ガイゼル)
あの巨体の「あんまり長生きするなよ」が、耳の奥で鳴った。
◇
四十五日目。
死んだ。
久々に、はっきりした理由で死んだ。
書類の山から、ヴェルド村の地図を探しているところを見られた。
「なんで、あんたが村の地図を見てるの」
赤い瞳が、幹部の目に戻っていた。
弁明の余地はなかった。俺は執事だ。執事が敵国の村の地図を調べる理由なんて、どこにもない。
デス:17
◇
四十六日目。
俺は地図を見なかった。
代わりに、リーニャが自分から広げるのを待った。
三日待った。
四十九日目の夜、彼女は執務室で一人、その地図を広げていた。
俺は紅茶を持って入った。
「……ユウマ」
「はい」
「ヴェルド村って、知ってる?」
「いいえ」
「人間の村よ。人口、四百人くらい。畑と、水車と、小さい教会がある」
リーニャは、地図の上を指でなぞった。
「六の月十三日に、ここを焼くの」
言い方は、いつもの平坦な声だった。
だが、指が止まっていた。
教会の印の上で、止まっていた。
「……焼かなきゃいけないの」
俺は、紅茶を置いた。
置いてから、言葉を選んだ。十七回死んだ男が、人生でいちばん慎重に選んだ。
「――焼きたくないのですか」
リーニャの肩が、跳ねた。
そして、彼女は初めて、俺の質問に答えなかった。
答えないまま、地図を巻いた。
「明日、早いから。下がりなさい」
「かしこまりました」
俺は扉を閉めた。
閉めてから、廊下でしゃがみ込んだ。
(――今、あいつは「命令だから」って言わなかった)
(言えたはずなのに、言わなかった)
心臓が、うるさかった。
◇
五十日目の朝。
ミルカが、いつもより早く扉を叩いた。
「ユウマ様! 起きていらっしゃいますか!」
「起きてる。どうした」
「リーニャ様が、朝からずっとお待ちです」
「紅茶の時間には早いだろ」
「そうなんですけど、その」
ミルカの角が、困ったように傾いた。
「旅の支度をしろ、と」
◇
大広間に降りると、リーニャが旅装で立っていた。
黒いローブ。あの、お忍びのやつだ。
「遅い」
「申し訳ございません。どちらへ」
リーニャは、こちらを見ずに言った。
「ヴェルド村」
俺は、息を止めた。
「下見よ。焼く前に、地形を見ておかないといけないから」
「……お供いたします」
「当たり前でしょ。荷物持ちなんだから」
そして彼女は、ほんの少しだけ振り返った。
「それと、ユウマ」
「はい」
「昨日の質問には、答えないから」
六の月十三日まで、あと十八日。
デス:17
(第十四話につづく)




