↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界コンパイル  作者: エルスイフ
第一章 Initialize("竜人族・ラグナ村編");

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/14

第六話「EXCEPTION="平和の終わり";」

 //—— Rena ——


 レイがお父さんと狩りへ出かけてから、しばらく経った。

 まだ朝も早かったこともあり、お母さんは「もう少し寝ようかしら」と言って、再び寝床へ戻っていった。

 でも、私は眠れなかった。


 「…………」


 寝床に横になって、目を閉じる。

 右を向く。

 左を向く。

 もう一度目を閉じる。


 「……眠れない」


 やっぱり駄目だった。

 頭に浮かんでくるのは、レイのことばかり。

 今頃どこにいるんだろう。

 もう狩り場には着いたのかな。

 怪我、してないよね。


 「…………」


 レイはすごい。

 私たちにはできない、不思議な力を持っている。

 砂を増やしたり、水を増やしたり。

 あの力がどういうものなのか、何度説明されても私にはよく分からない。

 でも、レイがすごいことだけは分かる。


 だけど——戦うことには、まだ慣れていない。

 魔獣を前にして、怖くて動けなくなったことだってある。

 だから心配だった。


 「お父さんがいるんだから、大丈夫」


 声に出して、自分に言い聞かせる。

 お父さんは強い。

 私よりずっと強い。

 お父さんと一緒なら、きっと大丈夫。


 「…………」


 分かってる。

 分かってるけど。


 「……散歩しよ」


 これ以上寝床にいても、余計なことばかり考えてしまいそうだった。

 私はそっと家を出た。

 外へ出た瞬間、朝のひんやりとした空気が頬を撫でる。


 「気持ちいい……」


 大きく息を吸う。

 昼間はあれだけ暑くなる砂漠も、朝は驚くほど涼しい。

 昇ったばかりの太陽が、遠くの砂丘を少しずつ黄金色に染め始めていた。

 まだ眠っている人が多いのか、村は静かだった。

 砂と土で作られた家々。

 その間を通る細い道。

 風が吹くたび、さらさらと砂が地面を滑っていく。

 私は、この時間が好きだ。


 そして——この村が好き。

 ここに住んでいるみんなが好き。

 生まれてからずっと見てきた、大切な場所だ。


 昔、この辺りでは"竜人狩り"があったらしい。

 私はそれを知らない。

 私が生まれた頃には、もう昔ほど人族を恐れて暮らす必要はなくなっていたから。

 それでも私は、小さい頃から何度も言われてきた。


 『村から遠く離れるな』

 『人族には近づくな』

 『絶対に一人で遠くへ行くな』


 正直、過保護だと思う。

 私だってもう、そこら辺の魔獣になら負けない。


 でも。

 お父さんたちがそこまで心配する理由も、分かっている。

 私には、お兄ちゃんがいる。


 ロキ。


 私がまだ赤ん坊だった頃、竜人族を守るために村を離れた。

 だから、記憶はない。

 顔だって覚えていない。

 私にとってのお兄ちゃんは、お父さんやお母さんから聞いた話の中にしかいない。


 「お兄ちゃん……か」


 どんな人なんだろう。

 お父さんみたいに大きいのかな。

 もし会ったら、何を話せばいいんだろう。

 そもそも向こうは、私のことを妹だと思ってくれるのかな。

 考えても答えは出ない。


 それでも。


 「……いつか会ってみたいな」


 小さくつぶやいた、そのときだった。


 「レナ、おはよう」

 「わっ!」


 突然後ろから声をかけられ、翼がびくっと跳ねる。

 振り返ると、農具を持ったサナさんが立っていた。


 「なんだい、そんなに驚いて」

 「サナさんが急に声かけるからだよ!」

 「朝からぼーっとしてるレナが悪いんじゃないかい?」

 「もう……。おはよう、サナさん」

 「はい、おはよう」


 サナさんの手に持っている農具を見る。


 「今日も畑?」

 「そうよ。せっかく作物がまともに育つようになったからね」

 「……そっか」

 「全部レイのおかげだよ」


 その言葉を聞いて、なんだか私まで嬉しくなる。


 「うん」


 レイが来る前、この村で一番大変だったのは水だった。

 畑に好きなだけ使えるほどの水なんてなかった。

 足りなくなるたび、お父さんやガロさん、シキさんたち、村でも特に強い人たちが遠くの泉まで水を取りに行っていた。


 でも、砂漠で水がある場所は貴重だ。

 私たちだけじゃない。

 魔獣だって、生きるために水を求めて集まってくる。

 だから水を取りに行くだけでも危険だった。

 怪我をして帰ってくる人もいた。

 何日も戻ってこなくて、村中で心配したこともあった。


 それを、レイは変えた。

 村にある水を、不思議な力で増やしてくれた。

 たったそれだけ。

 レイはそう思っているかもしれない。


 でも、私たちにとっては全然違う。


 水を取りに行く必要がなくなった。

 怪我をする人がいなくなった。

 畑にも水を使えるようになった。

 今まで育てられなかった作物も、少しずつ育ち始めている。

 レイがこの村に来てから、みんなの生活は大きく変わった。


 英雄。

 たぶん、それでも足りないくらい。

 なのに本人は……。


 『僕にはこれくらいしかできないから』


 なんて言う。


 「……本当にすごいんだから」

 「ん?何か言ったかい?」

 「なんでもない!」


 慌てて首を振る。


 「私、暇だから畑手伝うよ」

 「そうかい?それならお願いしようかな」

 「うん!」


 二人で畑へ向かって歩き始める。

 すると。


 「ところで、レナ」

 「なに?」

 「最近、レイとはどうなんだい?」

 「…………え?」


 足が止まった、嫌な予感がする。


 サナさんを見る。


 すごく楽しそうな顔をしていた。


 「どうって……何が?」

 「レイ君のこと、好きなんだろ?」

 「——っ!?」


 バサッ!


 自分でも驚くほど勢いよく翼が開いた。


 「ちょっ! サ、サナさん!」

 「おやおや」

 「なんでそんな話になるの!?」

 「レナ、翼」

 「え?」


 見ると、翼が思いっきり広がっていた。


 「わっ!」


 慌てて畳む。


 「そんなに慌てなくてもいいじゃないか」

 「だ、だってサナさんが変なこと言うから!」

 「変かねぇ?」

 「変だよ!」


 顔が熱い。

 絶対、赤くなってる。


 「まあ、レイ君は村のみんなから好かれてるからねぇ」

 「……え?」

 「レナも、うかうかしてられないかもね」

 「どういう意味?」

 「例えば——ハナとか」

 「…………ハナ?」


 思わず聞き返した。


 「ハナもレイ君を見ると、いつも嬉しそうにしてるからねぇ」

 「…………」


 ハナ。


 私と同じくらいの歳の女の子。

 村の中でも一番と言っていいくらい綺麗な子だ。

 同年代の男の子は、ハナを除けば私とあと二人。

 その二人とも、昔からハナの気を引こうと必死だった。

 それくらい魅力的なのだ。


 「…………」


 なんだろう。

 胸の奥が、もやっとする。

 ハナがレイと話しているところを想像する。

 レイが笑っている。

 ハナも笑っている。


 「…………嫌だな」

 「ん?」

 「なんでもない!」


 思わず口に出してしまった。


 でも。

 レイって、どんな女の子が好きなんだろう。

 考えたことがなかった。

 私みたいな女の子でもいいのかな。


 「…………」


 思い出す。


 あの日。


 二人きりになったとき。


 私からレイに近づいた。


 顔と顔が近づいて、あと少しで唇が触れてしまいそうなところまで。


 あのときは夢中だった。


 でも、今思い返すと——。


 「うぅ……」

 「どうしたんだい?」

 「なんでもない……」


 恥ずかしい。


 なんで私、あんなことできたんだろう。

 でも、それ以上に気になることがあった。


 レイは——嫌じゃなかったのかな。

 私が近づいたとき、避けなかった。

 

 でも。嫌だったのに、どうしていいか分からなかっただけかもしれない。

 もしかしたら、困らせてしまったのかも。

 そう考え始めると、どんどん不安になってくる。


 私は自分の服を見下ろした。


 いつも着ている、動きやすさを優先した服。

 ハナはもっとおしゃれに気を使っている。


 「私も……もうちょっとハナみたいに、大人っぽい服にしたほうがいいのかな」

 「レナ」

 「なに?」

 「焦るんじゃないよ」

 「…………え?」


 顔を上げる。

 サナさんは、優しい顔で笑っていた。


 「…………もしかして」

 「ん?」

 「全部分かってた?」

 「何年レナを見てきたと思ってるんだい」

 「うぅ……」


 思わず両手で顔を覆う。

 恥ずかしい。

 全部見透かされてる。


 「いいかい、レナ」


 サナさんが歩きながら言う。


 「ハナにはハナの良いところがある」

 「……うん」

 「でも、レナにはレナの良いところがあるんだから、無理に誰かみたいになる必要なんてないよ」

 「私の……良いところ?」

 「それは自分で考えな」

 「そこは教えてよ!」

 「ははは!」


 サナさんが楽しそうに笑う。


 「それにね」

 「?」

 「レイ君がこの一年、一番一緒にいた女の子は誰だい?」

 「…………」


 そんなの。

 考えるまでもない。


 「……私」

 「なら、もっと自信を持ちな」

 「…………うん」


 胸の奥が、少しだけ軽くなった。

 サナさんはすごい。

 私が何を考えているのか、全部お見通しみたいだ。


 「さて、恋の相談はこれくらいにして、畑を手伝ってもらおうかね」

 「こ、恋の相談じゃないから!」

 「はいはい」

 「本当だから!」


 サナさんを追いかける。

 朝日が高くなり始め、冷たかった砂漠の空気も少しずつ暖かくなっていた。

 でも、結局頭の中に浮かんでくるのはレイのことばかり。


 今頃、何してるのかな。

 ちゃんと魔物を倒せたかな。

 怪我してないかな。


 「…………」


 早く帰ってこないかな。

 帰ってきたら、まずは笑って「おかえり」って言おう。


 それから——。


 狩りがどうだったのか、いっぱい話を聞こう。


 無事に帰ってきてくれれば、それでいい。


 今はまだ、それだけでいい。


 //——


 畑仕事を終えると、サナさんは腰に手を当てながら満足そうに笑った。


 「ありがとうね、レナ。助かったよ」


 朝のうちは涼しかった砂漠も、太陽が高くなるにつれて少しずつ暑さを増している。

 額に浮かんだ汗を腕で拭う。


 「ううん。私も暇だったし」

 「そうかい。じゃあ、お昼になったらまた遊びにおいで。おやつを用意しておくから」

 「ほんと!?」


 思わず翼がぴくっと動く。


 「楽しみにしてる!」

 「はいはい。転ばないように帰るんだよ」

 「じゃあ、またね!」


 手を振る。

 サナさんも笑いながら手を振り返してくれた。

 私はそのまま家へ向かった。

 

 //——


 「ただいまー」


 家の扉を開ける。


 「おかえり、レナ」


 お母さんはもう起きていた。

 家に入った瞬間、ふわっと美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。


 「……いい匂い」


 思わず鼻を鳴らす。


 「サビットのシチューよ」

 「やっぱり!」


 鍋を見る。

 大きな鍋の中で、とろりとした茶色のスープがゆっくり煮えている。

 ぐつぐつ、と小さな泡が浮かび、そのたびに肉と香草の匂いが部屋いっぱいに広がった。

 お母さんの得意料理だ。

 

 サビットの肉は、そのまま焼くとかなり硬い。

 噛み切るだけでも大変なくらいだ。

 でも、時間をかけて煮込むと驚くほど柔らかくなる。

 口に入れた瞬間、ほどけるくらいに。


 「レイたちのため?」

 「そうよ。帰ってくる頃にはちょうどいいでしょう?」


 やっぱり。

 お父さんとレイが狩りから帰ってきたときのために、朝早くから仕込んでいたんだ。


 「……いい匂い嗅いでたら、お腹空いてきた」

 「はいはい」


 お母さんが笑う。


 「朝ごはん、まだ食べてなかったでしょう?」

 「うん!」


 すでに準備してくれていたらしい。

 小さな皿が二つ、食卓に並べられる。

 木の実のゴナダ。

 それと、焼いたタグラの肉。

 我が家では定番の朝ごはんだ。

 

 レイはいつもタグラの肉を見ると、


 『……これ、本当に食べ物だよね?』


 みたいな微妙な顔をする。

 おいしいのに。

 見た目がちょっと虫っぽいだけなのに。


 「いただきます」

 「いただきます」


 お母さんと向かい合って食べ始める。

 ゴナダを一つ口に入れる。

 甘酸っぱい汁が口いっぱいに広がった。


 「そういえば」

 「ん?」


 お母さんがタグラの肉を切りながら言った。


 「レイがどうして急に狩りに行きたくなったのか、知ってる?」

 「……え?」


 手が止まった。

 そういえば。

 どうしてだろう。

 レイが急に狩りに行きたいと言い始めたのは——。


 「…………」


 思い当たることが、一つあった。


 あの日。


 私のお気に入りの場所へ、レイを連れて行った日に魔物と遭遇した。


 あのときのレイは震えていた。

 手から砂の入った小瓶を落として。

 地面に座り込んで。

 本当に怖そうだった。


 私たち竜人族は、一部の竜種と言葉や意思を交わすことができる。

 だから私にとっては、恐ろしい存在ではなかった。

 

 でも、レイにとっては違った。


 もしかして——。


 (まだ、あのときのこと気にしてるのかな)


 「何かあったの?」

 「ちょっとね」


 私は気にしていない。

 レイが弱いなんて思ったこともない。

 それなのに。


 もし。


 もし、あのときのことが悔しくて、私を守れるくらい強くなりたいとか……。


 ……そんなことを思っていたりしたら——。


 「…………へへ」

 「レナ?」

 「な、なんでもない!」


 慌ててゴナダを口へ放り込む。


 だめだ、顔が緩む。

 もし本当に私のためだったら。


 嬉しい。


 すごく。


 でも、そんな都合のいい話あるわけ——。


 「レナ」

 「なに?」

 「いい?」


 お母さんが妙に真剣な顔をしていた。


 「好きな人ができたら、うじうじしてちゃ駄目よ」

 「ぶっ!」


 危うくゴナダを吹き出しかけた。


 「な、なんで急に!?」

 「顔に全部書いてあるもの」

 「書いてない!」

 「書いてあるわよ」

 「書いてない!」

 「じゃあレイのこと考えてなかった?」

 「…………」


 言葉が出ない。

 お母さんがにっこり笑った。


 「ほら」

 「もう!」


 なんで大人ってこんなに何でも分かるんだろう。


 「お母さんはね」


 お母さんは少し得意げに胸を張った。


 「お父さんをいいなって思ったその日に、私から告白したのよ」

 「その日に!?」

 「そう」

 「早すぎない!?」

 「いい男は、迷ってる間に誰かに取られるものよ」

 「お、お母さんだからできるんだよ」

 「あら、どうして?」

 「だってお母さん、昔からすごくモテたって聞いたし……今でも凄く……。」

 「否定はできないわね。」

 「そこ否定しないんだ……」


 さすがお母さん。

 自信がすごい。


 「でも」


 お母さんが笑う。


 「レナは私の娘でしょう?」

 「?」

 「あなたの良さに気づかないような男なら、こっちから願い下げでいいのよ」

 「…………」

 「もっと自信を持ちなさい」


 そう言って、お母さんは私の頭を撫でる。


 「むぅ……」


 子供扱いされている気がして少し不満だけど、嫌じゃない。

 お母さんは昔からこうだ。


 強くて。

 綺麗で。

 何でも自信満々で。

 私が落ち込んでいると、いつも当たり前みたいに励ましてくれる。

 

 私もいつか、お母さんみたいな大人になれるのかな。


 「大丈夫よ」

 「レナは世界一かわいいから」


 また顔に出ていたのだろう。

 お母さんは優しく手を握ってくれる。

 お母さんの手は温かかった。


 レイがいて。

 お父さんがいて。

 お母さんがいて。

 村のみんながいる。

 今日の夜には、お父さんとレイが帰ってきて。

 みんなでサビットのシチューを食べる。

 きっとレイは


 『これ、本当にあのウサギ?』


 なんて驚く。

 私はそれを見て笑う。


 「…………」


 幸せだな。

 こんな毎日が、ずっと続けばいいのに。





 そう思った——その瞬間だった。






 ——ドォォォォォンッ!!






 「っ!?」


 家全体が跳ねた。

 食卓の皿が宙へ浮き、床へ落ちる。

 ゴナダが転がった。


 「な、なに!?」


 地面が揺れている。

 いや。

 揺れているなんてものじゃない。

 家そのものを、巨大な何かが下から殴りつけているみたいだった。


 「地震……?」


 こんなの、経験したことがない。

 私は机にしがみつく。

 でも。

 お母さんは違った。


 「…………」


 さっきまで笑っていた表情が、一瞬で消えた。

 目が鋭くなる。

 立ち上がり、外を見る。


 「竜人狩り……?」


 小さく呟く。


 「いや……違う。こんなやり方……」


 何かを考えている。


 そして。


 顔色が変わった。


 「レナ」

 「え?」

 「裏から逃げなさい」

 「……なに言ってるの?」

 「早く!!」

 「っ!」


 聞いたことのない声だった。


 怒鳴られたことは何度もある。


 でも、こんなお母さんは知らない。


 顔が。


 怖い。


 「でも、お母さ——」


 ——ドォンッ!!


 再び地面が揺れた。


 「きゃっ!」


 今度は、外から声が聞こえた。


 「助け——!」

 「いやぁぁぁぁっ!」


 悲鳴。


 一つじゃない。

 村中から聞こえる。


 「なに……?」


 頭が追いつかない。


 何が起きてるの。


 さっきまであんなに静かだったのに。


 私は気づけば家の外へ出ていた。


 砂煙が舞っている。

 家の一部が崩れている。

 村人たちが走っている。


 「いやいやぁ」


 知らない声がした。


 「本当に遠かったですよ、ここ」

 「……?」


 声のした方向を見る。


 「朝早くからすみませんねぇ」


 男がいた。


 砂埃だらけの村の中に、一人だけ場違いなほど白い服を着た男。


 金色の髪。


 穏やかな笑顔。


 まるで。


 散歩でもしに来たみたいな顔。


 でも。


 その右手に持っているものを見た瞬間。


 息が止まった。


 「…………え」


 見覚えのある髪。

 見覚えのある顔。

 少し前まで。

 私に笑いかけていた。


 『お昼にまたおやつあげるから遊びにおいで』



 「……サナ……さん?」



 返事はない。

 あるはずがない。

 男が手にしていたのは。


 サナさんの頭だった。

 首から下は何もない。


 「…………」


 何も考えられない。

 でも、一つだけ分かった。


 敵だ。


 「誰だ、お前は!!」


 お母さんが叫んだ。

 私の前へ立つ。

 背中で私を隠すように。


 「おやおや」


 男は面倒そうに首を傾げた。


 「いきなり名乗れとは、ずいぶん失礼な女性だ」


 そして。

 お母さんの顔を見る。


 「……ん?」


 笑顔が止まった。


 「待てよ」


 じっと見る。


 「どこかで見たことが……」

 「…………」

 「ああ!」


 男が突然、嬉しそうに手を叩いた。


 「思い出した!」


 指をさす。


 「お前、昔勇者の仲間にいたロナだな?」

 「——っ」

 「え……?」


 勇者。


 仲間?


 お母さんが?


 何の話?


 初めて聞いた。


 「なぜ、それを……」


 お母さんの声が低くなる。


 「いやあ、懐かしいですねぇ。ずいぶん雰囲気が変わりましたが——」


 男が何かを続けようとした。


 その瞬間。


 お母さんの姿が消えた。


 「え?」


 いや。消えたんじゃない。

 速すぎて見えなかった。

 次に見えたときには、お母さんは男の目の前にいた。


 「死ね!!」


 拳が振り抜かれる。


 ——バァンッ!!


 空気が爆発した。


 「っ!」


 衝撃だけで体が吹き飛びそうになる。

 地面の砂が円を描くように舞い上がった。

 でも。


 「……人が話してる途中でしょう?」


 男は立っていた。

 何事もなかったみたいに。


 そして。


 「邪魔しないでくださいよ」


 ぞくり。


 全身が冷たくなる。


 今まで感じたことのない殺気。


 「お母さ——」


 次の瞬間。


 何かが光った。


 「……え?」


 赤いものが宙を舞った。

 地面に落ちる。


 「…………」


 何が起きたのか、分からなかった。


 でも。


 お母さんの左腕が——なくなっていた。


 「お母さん!!」


 血が砂の上へ落ちる。


 信じられない。

 竜人族の鱗は硬い。

 魔力も通しにくい。

 並の武器で傷つけることなんてできない。


 それが。

 一瞬だった。


 そのとき。やっと理解した。

 目の前にいる男は。

 私たちが戦っていい相手じゃない。


 そして。


 今まで当たり前だった村の平和が——。


 終わった。


 「ぐっ……!」


 お母さんの体が吹き飛ばされる。


 「お母さん!」


 私の近くまで転がってきた。

 でも。

 すぐに立ち上がった。


 「レナァァァァ!!」

 「っ!」

 「逃げなさい!!」


 聞いたことのない叫び声だった。

 私は動けなかった。

 足が震えている。

 翼も動かない。


 怖い。


 怖い。


 怖い。


 「いや……」


 涙が勝手に溢れてくる。


 「お母さん……一緒に……」

 「レナ!」

 「いやだ……!」


 その瞬間——お母さんの右手が私の背中を掴んでいた。


 「……え?」


 目が合う。


 朝。

 私の頭を撫でてくれたお母さんとは、まるで別人だった。

 特徴的な赤い瞳。

 いつも綺麗だった顔には、血が流れている。


 それでも。

 目だけは優しかった。


 「レナ」

 「お母さ——」

 「生きて」


 その言葉を聞いた瞬間。

 体が浮いた。


 「え?」


 ものすごい力で放り投げられた。


 「お母さぁぁぁん!!」


 私は空中へ飛ばされる。

 反射的に翼を広げた。

 風を掴む。


 振り返る。

 お母さんが。

 村の真ん中に立っている。


 そして。

 炎が上がった。


 「……!」


 村全体を飲み込むほどの炎。

 空へ向かって巨大な渦が立ち上る。


 聞いたことがある。

 竜人族の中でも、ごく一部しか使えない大技。

 炎で全てを薙ぎ払う。


 ——ファイア・テンペスト。


 「お母さん……」


 もしかしたら。

 あいつを倒せるかもしれない。

 そう思った。


 しかし。


 白い光が走った。


 「…………え?」


 一筋。


 ただ、それだけ。


 一瞬にして炎が消えた。


 まるで。


 最初から何もなかったみたいに。


 「…………」


 頭が真っ白になった。考えられない。

 お母さん。

 サナさん。

 村のみんな。


 「……っ」


 それでも翼だけは動かした。

 全力で風を切る。

 涙が後ろへ流れていく。


 振り返らない。

 振り返ったら戻ってしまう気がした。

 お母さんが最後に言った言葉だけが、頭の中で何度も繰り返される。


 『生きて』


 「……っ、うぅ……!」


 死にたくない。


 できるだけ遠くへ。


 もっと。




 もっと——。





 「おい」





 声がした。


 「逃げられると思うなよ」

 「…………え?」


 すぐ横から。

 ありえない場所から声がした。

 恐る恐る顔を向ける。


 「——っ!」


 いた。


 さっきの男が。

 金色の髪。

 白い服。

 あの笑った顔。

 まるで最初からずっと隣を飛んでいたみたいに、男は空中に浮かんでいた。


 「なん……で……」


 声が出ない。

 お母さんの炎に包まれたはずなのに。


 どうして。


 どうしてここにいるの。


 逃げなきゃ。

 もっと速く。

 私は必死に翼へ力を込めた。


 でも。


 「……え?」


 何も感じない。

 さっきまで確かに風を掴んでいたはずなのに。

 翼を動かしている感覚が——ない。


 違う。

 動いていないんじゃない。


 「……ない」


 背中を見る。


 「私の……翼……」


 なかった。

 そこにあるはずの翼が。

 消えていた。


 「あ……」


 体が傾く。


 「ああああああああああああっ!!」


 一気に地面が近づいてくる。


 落ちる。


 怖い。


 死ぬ。


 私は反射的に腕で頭を覆った。


 ドンッ!!


 「ぐっ……!」


 全身に衝撃が走る。

 砂の上を何度も転がった。


 息ができない。

 背中が痛い。

 腕も。

 足も。

 どこが痛いのか分からない。


 「う……っ」


 それでも必死に顔を上げる。


 男が、ゆっくり空から降りてきた。

 足が砂に触れる。

 白い服には、ほとんど汚れ一つついていなかった。


 「質問に答えろ」


 男が言う。


 「……え?」

 「神の子はどこだ?」

 「神の……子……?」


 何を言っているのか分からない。


 聞いたこともない。


 「知りません……」

 「ん?」

 「分かりません! 私には何も分かりません!」


 声が震える。

 涙で視界が歪む。


 でも。

 男は何の感情も見せなかった。


 「そうか」


 ただ、それだけ。


 「じゃあ、お前も死ね」

 「…………」


 男が右手を上げた。


 手のひらに白い光が集まり始める。

 さっき見た光。

 お母さんの腕を、一瞬で——。


 嫌だ。死にたくない。

 私は目を閉じた。

 でも。


 「おい」


 男の声がした。


 「しつこいぞ」

 「……え?」


 恐る恐る目を開く。

 男の手は、私ではなく横を向いていた。


 「娘に——」


 聞き慣れた声。


 「手を出すなああああああああ!!」


 「お母さん!?」


 白い閃光が放たれる。


 同時に、金属がぶつかるような甲高い音が響いた。


 キィィィン!!


 光が弾かれる。

 砂漠の遠くへ飛び、巨大な岩を吹き飛ばした。


 そこに、お母さんがいた。

 片腕を失い、全身を血で濡らしながら、それでも右手には一本の剣を握っていた。


 赤黒い刃。


 鱗のような模様が刀身全体に走っている。

 男が目を細める。


 「竜剣ロナ」


 楽しそうに笑った。


 「そうだよなぁ。やっぱり剣を持ったお前は別物だ」

 「…………」


 男の手のひらが再び光る。


 でも。


 次の瞬間だった。

 お母さんが消えた。


 「——っ?」


 金髪の男が初めて目を見開く。

 シュッ。

 何かが宙を舞った。


 「…………あ?」


 男の右腕だった。


 肩から先が切断され、砂の上へ落ちる。


 そして。


 「燃えろ!!」


 轟音。


 視界いっぱいが炎に包まれた。


 「レナ!」

 「お母さん!」


 気づけば、目の前にお母さんがいた。


 「大丈夫!?」

 「お母さん……!」


 私は考えるより先に抱きついた。


 「お母さん! お母さん……!」

 「大丈夫。私は大丈夫だから」

 「でも腕が…………!」

 「今はいいの」


 お母さんは私の頭を抱き寄せる。


 「ここを離れるわよ」

 「……え?」

 「手に負えない」


 その言葉に、胸が冷たくなった。


 お母さんが。

 あのお母さんが。

 勝てないと言っている。


 「行くわよ」

 「……うん」


 お母さんが翼を大きく広げる。

 そして私を抱えたまま地面を蹴った。

 砂が爆発するように舞い上がる。


 一気に空へ。


 私はお母さんにしがみついた。

 何も考えられない。

 ただ怖かった。

 怖くて。

 怖くて。

 声すら出なかった。


 どれくらい飛んだのか分からない。

 数分だったのか。

 もっと長かったのか。

 やがて、お母さんは岩山に囲まれた場所へ降りた。


 「レナ」


 私を地面に下ろす。


 「ここに隠れていて」

 「…………」


 嫌だ。


 そう言いたかった。


 行かないで。


 一緒にいて。


 私を一人にしないで。


 でも。


 「…………っ」


 喉が震えるだけで、声にならない。

 お母さんはそんな私を見ると、いつものように優しく笑った。


 「大丈夫」


 頭を撫でる。


 「大丈夫よ」


 そして。

 額に、そっと口づけた。


 「お母さ——」


 言い終わる前に。

 お母さんの姿が消えた。

 空へ飛び上がり、村の方向へ戻っていく。


 「…………」


 私は一人になった。

 岩陰に座り込む。

 遠くで轟音が響いた。


 ドンッ。


 ドォォンッ。


 地面が何度も揺れる。


 戦っている。


 お母さんが。


 きっと村のみんなを守るために。


 「…………」


 怖い。


 「怖いよ……」


 膝を抱える。

 震えが止まらない。

 私は昔のことを思い出していた。


 十歳の誕生日。

 初めて、お父さんと村から少し遠い場所まで出かけた日。


 楽しかった。

 いつもは行けない場所へ連れて行ってもらえて。

 私はずっとはしゃいでいた。


 でも、そこで巨大なサンドワームに遭遇した。

 初めてだった。

 本気で——死ぬ。そう思ったのは。


 私は怪我をした。

 大した傷じゃなかったが、お父さんとお母さんは泣いた。

 私よりもずっと。


 それからだった。

 前よりも外へ出ることを止められるようになったのは。


 危険なことはするな。

 魔物には近づくな。

 戦う必要なんてない。


 お父さんとお母さんが守るから。

 だから私は、まともな戦闘訓練なんて、ほとんど受けたことがない。

 レイが、お父さんに狩りを教えてほしいと頼んだとき。

 少し羨ましかった。


 私だって、もっと色々できるようになりたい。

 もっと強くなりたい。

 でも同時に。


 レイに守ってほしい。

 そんなことも思っていた。


 レイが強くなって、いつか私の前に立ってくれたら。

 そんな都合のいいことを考えていた。

 私はずっと、守ってもらえる環境の中で生きてきた。


 「お母さん……」


 地面が揺れる。


 「お母さん……」


 また。


 「お母さん……!」


 嫌だ。

 死なないで。

 お願い。

 帰ってきて。


 「お母さぁん……!」


 声を押し殺せなくなった。


 「嫌だ……死んじゃ嫌だよぉ……!」


 涙が止まらない。


 そのとき。




 ——ドォォォォォォォンッ!!





 「っ!?」


 今までとは比べものにならない地響き。

 岩山そのものが崩れるんじゃないかと思うほど地面が揺れた。


 砂埃が舞い上がる。


 そして。


 「やーっと見つけた」

 「…………」


 聞きたくなかった声。


 ゆっくり顔を上げる。


 遠くに男が立っていた。


 白い服。


 金色の髪。


 離れているはずなのに。


 異様なくらい大きく見えた。


 「…………なんで」


 生きてるの?

 お母さんがあれだけ攻撃したのに。


 腕だって切った。


 炎にも包まれた。


 なのに、男は立っている。無傷で。

 右腕も、何事もなかったかのように元通りになっていた。


 傷跡すらない。

 焼け焦げた跡も。

 血の跡さえ。


 「お母さん……?」


 胸がざわつく。


 「お母さんは……?」


 答えは返ってこない。


 その代わりに。


 最悪の考えだけが頭に浮かぶ。


 「いや……」


 嘘。


 「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 「うるさいな」


 男が顔をしかめた。


 「泣き叫ぶなよ」


 一歩。


 また一歩。


 近づいてくる。


 「それでも竜剣ロナの娘か?」

 「…………」


 足が動かない。

 逃げたいのに。

 翼もない。

 立ち上がることすらできない。


 「まあいい」


 男が手を上げる。


 「神の子も見つからなかった」


 手のひらが光る。


 「お前にも、もう用はない」


 眩しい。

 白い光が視界いっぱいに広がっていく。


 「死ね」

 「…………」


 私は目を閉じた。


 もう。


 駄目なんだ。





 そう思った瞬間。






「——HelloWorld(ハローワールド)!!!!」


「…………え?」


 声がした。


 聞き慣れた声。


 何度も聞いた声。


 いつも変な言葉を叫んでいる。


 でも。


 今だけは。


 世界で一番安心する声だった。


 「レイ……?」


 「Execute(エグゼキュート)!!」


 次の瞬間。


 男の頭上に大量の砂が覆った。


 「あ?」


 男の姿が消える。


 砂。


 砂。


 砂。


 何も見えないほどの砂が、一瞬で辺りを埋め尽くす。


 そして。


 「レナ!!」


 「え?」


 体が浮いた。

 誰かの腕に抱え上げられる。


 「お父さん!?」

 「レナ!」


 お父さんだった。


 私は必死に掴む。


 「どういう状況だ!?」

 「分かんない……! 分かんないよ!」


 涙が止まらない。


 「急にあの人が村に来て! みんなを! サナさんも!」

 「…………」


 お父さんの表情が変わった。


 「ロナは?」

 「…………」


 答えられなかった。


 言葉にしたら。


 本当にそうなってしまいそうで。


 「お母さん……戻って……それで……」


 そのとき。

 遠くで白い光が瞬いた。


 「ラキさん!!」


 レイの声。


 「——っ!」


 お父さんが体をひねる。


 でも間に合わなかった。


 光が翼をかすめる。


 バシュッ!!


 「ぐっ!」

 「お父さん!?」


 翼が大きく裂けた。


 高度が一気に落ちる。


 「うわっ!」


 地面へ落ちる。

 でもお父さんは、私とレイを抱えたまま体を回した。

 自分を下にして。


 ドンッ!!


 「お父さん!」

 「大丈夫だ!」


 すぐに立ち上がる。


 傷ついた翼。

 血。

 それでもお父さんは前を見る。


 「レイ!」

 「はい!」

 「レナ!」

 「……っ」


 私を見る。


 「二人で守り合え!!」


 「え……?」


 お父さんが剣を抜く。


 「そして——」


 背中を向けたまま。


 叫んだ。


 「絶対に生きろ!!」


 「お父さん……?」


 意味を理解する前に。


 「レナ!」


 レイが私の腕を掴んだ。


 「行くよ!」


 「待って!」


 嫌。

 また。

 また置いていかれる。


 「なんで……」

 「レナ!」

 「なんでよ!!」


 声が勝手に出た。


 「嫌だ!また何もできない!」


 お母さんにも守られた。


 今度はお父さん。


 私は。


 また逃げるだけ。


 「お父さん!!」


 振り返る。


 お父さんもこちらを見ていた。


 そして。


 笑った。


 「…………」


 いつも見ていた笑顔。

 私が失敗したとき。

 落ち込んだとき。

 大丈夫だって言ってくれるとき。

 いつも見せてくれた、優しい笑顔。


 でも。


 「…………いや」


 違う。


 今の笑顔は。


 全然、大丈夫じゃない。

 口元は笑っているのに、目が泣きそうだった。


「お父さん……?」


 その顔を見た瞬間。


 分かってしまった。


 お父さんは。

 私たちと一緒に逃げるつもりなんて——。


 ——最初から、なかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。