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異世界コンパイル  作者: エルスイフ
第一章 Initialize("竜人族・ラグナ村編");

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第二話「SavePoint= "ラグナ村";」

 あの砂漠で倒れていた僕が、こうして今も生きていられるのは、三人のおかげだった。


 僕を助けてくれたのは、竜人族の女の子、レナ。

 そして、レナのお父さんのラキさんと、お母さんのロナさんだった。


 三人が暮らすのは、砂漠の奥深くにある竜人族の集落──《ラグナ村》。

 外の人間にはほとんど知られていない、小さな隠れ里だ。


 知らない場所で、知らない人たちに囲まれ、言葉すら通じなかった。

 それでも三人は、僕を追い出さなかった。


 言葉が通じない僕に食べ物を分けてくれて、眠る場所まで用意してくれた。

 言葉が通じるようになるにつれ、僕に帰る場所がないことも伝わった。

 それを知った三人は、僕を家族として迎え入れてくれた。


 あの日から、気づけば一年以上が過ぎていた。

 現実世界なら中学校に通っていただろう。


 最初は言葉なんてほとんど分からなかった。

 水を「ム」と呼ぶことしか知らなかった僕が、今では日常会話くらいなら困らないくらい話せるようになっている。

 それも全部、レナのおかげだった。


 この世界にはゲームもない。

 漫画もない。

 スマホもない。

 もちろんパソコンなんてあるはずもない。

 見渡す限り広がるのは砂。

 昼は焼けるように暑く、夜は凍えるほど寒い。

 遊ぶものなんてほとんどない。

 だからなのか、レナは毎日のように僕に話しかけてくれた。


 石を拾って名前を教えてくれる。

 空を飛ぶ鳥を指差して名前を教えてくれる。

 自分の翼を指差して笑いながら教えてくれる。


 僕が分からなそうな顔をすると、今度は身振り手振りを交えて何度も何度も教えてくれた。

 まるで小さな子と遊ぶみたいに。

 きっとレナにとっては、それも遊びの一つだったんだろう。

 そんな毎日を繰り返しているうちに、少しずつ言葉が分かるようになった。


 そして、ある程度会話ができるようになった頃。

 僕はずっと気になっていたことを聞いてみた。


 「そういえば、レナって何歳なの?」

 「十三歳だよ?」

 「えっ!?」


 思わず聞き返した。


 「僕と同い年じゃん!」

 「そうなの?」

 「そうだよ!」


 僕より背が高かったし、てっきり少し年上だと思っていた。

 それに竜人族だ。

 竜は長生きする、なんて知識が頭にあったせいで、もしかしたら見た目は子供でも何十歳だったりするのかと本気で考えていた。

 どうやら、そんなことはなかったらしい。

 それなら当然、次に気になることがある。


 「じゃあ、ラキさんは何歳なんですか?」

 「41歳だ。」


 聞いてみると、ラキさんは普通に教えてくれた。

 思っていたより、ずっと若い。


 「えっ、うちの父さんより若いんだ……」


 竜人族だから百歳とか二百歳とか、勝手にそんな想像をしていた。

 でも、よく考えれば、僕には年上の姉がいる。

 姉が生まれてから僕が生まれたのだから、両親がラキさんより年上でも不思議ではなかった。


 「お姉ちゃんが生まれて、そのあとに僕が生まれたんだから、うちの両親のほうが年上でも別におかしくないのかな……」


 いまいち納得できないまま、今度はその隣にいたロナさんを見る。

 そして、その流れで——。


 「ロナさんは?」

 「…………」

 「…………えっと。」

 「…………」

 「…………ロナさん?」


 ロナさんが笑った。

 いつもの優しい笑顔だった。

 笑っている。

 間違いなく笑っている。

 なのに。

 あの宝石みたいな赤い瞳を見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。


 「……なんでもないです」

 「あら……何歳に見えるのかしら?」

 「いや……本当になんでもないです……。」

 「そう?」

 「はい」

 「ふふっ。レイは相変わらずいい子ね」

 「…………」


 こ……こわい……。

 ロナさんの年齢だけは、一生聞かないことに決めた。


 そんな出来事もありながら、僕は少しずつこの世界の言葉を覚えていった。

 その一番の先生が、レナだった。


 //——


 「レイ、今日も行こ!」


 朝から元気いっぱいの声が家に響く。


 「うん!」


 今日も——水を増やしに行く日だ。


 この集落には二十五人の竜人族が暮らしている。

 小さな村だけど、みんな家族みたいに仲がいい。

 でも、一つだけ困っていることがあった。


 水だ。


 この辺りは雨なんてほとんど降らない。

 近くの水場へ行くだけでも片道二日。

 村の大人たちは、何日もかけて水場と村を往復し、大きな壺で少しずつ水を運んでいた。

 それでも村のみんなが暮らすには全然足りない。

 一日に飲める水の量を減らすことも珍しくなかったそうだ。


 前に一度、僕はラキさんへ聞いたことがある。


 「だったら、もっと水のある場所へ引っ越せばいいんじゃないんですか?」


 するとラキさんは少し困ったように笑って、遠くの砂漠へ目を向けた。


 「そう簡単な話じゃないんだ。」


 この世界には、それぞれの種族が守る縄張りがあるらしい。

 勝手に住めば争いになる。

 それに竜人族は、ほかの種族とも昔から何か因縁があるようだった。

 僕が詳しく聞こうとしても、ラキさんは静かに首を横へ振るだけだった。


 「レイは、まだ知らなくていい。」


 その表情は、いつもの優しい笑顔とはまるで違っていた。

 赤く透き通る瞳の奥で、まるで炎が揺らめいているように見えた。

 怒りなのか、悲しみなのか、それとも悔しさなのか。

 僕には分からなかった。

 だけど、その目には重たい何かが宿っている気がした。

 だから僕も、それ以上は聞かなかった。


 少なくとも今の僕にできることは一つだけ。


 この村のみんなが、水に困らないようにすること。

 それが、この村へ迎え入れてもらった僕にできる恩返しだった。

 だから僕の能力は、この村にとってすごく大切なものになっていた。


 「ママ、行ってきます!」


 レナが元気よく言う。


 「行ってらっしゃい。レイもよろしくね。」


 ロナさんが優しく笑う。


 「はい! 任せてください!」


 胸を張って答えると、ロナさんもくすっと笑った。

 家を出ると、朝の砂漠はまだ少しだけ涼しかった。

 遠くでは竜人族のおじさんたちが井戸の様子を見ている。

 子どもたちは翼をばたつかせながら追いかけっこをしていた。

 そんな中、レナが当たり前のように手を差し出してくる。


 「行こ。」

 「……うん。」


 自然にその手を握る。

 これも、この一年ですっかり日課になっていた。

 でも最近は少しだけ困っている。


 手を握られるたび、胸の奥が落ち着かなくなる。

 嫌ではない。むしろ、手を離される方が少し寂しい。

 でも、その理由はまだ分からなかった。

 なんなんだろう、この気持ち。

 まぁ、竜人族では普通のことなのかもしれない。

 そう思うことにした。


 //——


 最初に向かったのは隣に住むサナさんの家だった。


 「レイ、今日も悪いねぇ。」

 「そんな! 気にしないでください!」


 僕にはこれくらいしかできない。

 だから少しでも役に立てるなら嬉しい。


 壺へ手を向ける。


 「AddWater(アドウォーター)! Execute(エグゼキュート)!」


 次の瞬間。

 壺の中で、水がぶわっと増え始めた。

 水面がみるみる上がっていき、あっという間に空っぽだった壺が満たされる。


 「おぉ……!」


 サナさんが目を丸くする。

 もう何度も見ているはずなのに、毎回同じように驚いてくれる。


 この一年で、自分の能力についてもだいぶ分かってきた。

 まず、ステータスに表示されている"PP"。

 これは、プログラムを書くために必要なポイントだ。

 一ポイントにつき、一文字。

 ただし、空白や改行は文字数に含まれない。


 そして、書いたプログラムを実行するたびに"MP"を一消費する。

 MPは時間が経てば回復するけど、PPはそうじゃない。

 一度使えば戻らず、レベルが上がったときにだけ増える。


 ただ、一つだけありがたい仕様がある。

 一度完成させたプログラムは、消えないことだ。

 自分で名前を付けて保存しておけば、あとから何度でも呼び出せる。

 それだけじゃなく、保存したプログラムは後から編集することもできる。


 例えば、数字を書き換えたり、新しい処理を付け足したり。

 ただし、一度使ったPPは、文字を消しても戻ってこない。


 そして、さっき唱えた『AddWater(アドウォーター)』。


 これは一年前、レナ達と初めて会った時に書いた"水を増やすプログラム"に付けた名前だ。


 そして、この一年で分かったことがもう一つ。

 プログラムを"何に対して実行するのか"という、対象の決まりだ。


 今のAddWater(アドウォーター)は、簡単に言えば"対象になった水の量を九倍にする"プログラムになっている。

 じゃあ、その"対象"はどうやって決まるのか。

 最初は僕にも分からなかった。

 でも、この一年でいろいろ試しているうちに、だいたいのルールが分かってきた。


 まず一つ目。

 対象となるものを、僕自身が認識できていること。


 といっても、水そのものが直接見えている必要はない。

 例えば、中身の見えない瓶に水が入っていたとしても、その瓶を見て"この中に水がある"と認識できていれば対象にできる。

 逆に、存在すら知らない水を勝手に増やすことはできない。


 そして二つ目。

 僕自身が"これを増やす"と意識すること。


 例えば、両手にそれぞれ水の入ったコップを持っていたとする。

 その状態で右手の水だけを意識して実行すれば、増えるのは右手のコップに入った水だけ。

 つまり、視界に入っている水が全部まとめて対象になるわけじゃない。

 どれを対象にするのかは、僕の意思で選ぶことができる。


 そして、この"意識"は対象だけじゃなく、範囲にも関係していた。


 例えば、目の前に巨大なプールがあったとする。

 中に入っている水は、当然全部つながっている。

 だから最初は、一部分を対象にしただけでも、プールの水全部が九倍になるんじゃないかと思っていた。


 でも、実際は違った。


 どこまでを"一つの対象"として捉えるか。

 それも、僕の意識次第だった。


 コップ一杯分くらいの範囲を思い浮かべれば、その部分だけ。

 プール全体を一つの水の塊として意識すれば、プール全体。

 同じようにつながっている水でも、僕が頭の中でどこまでを対象として捉えているかによって、効果の及ぶ範囲が変わるらしい。


 ……もし。

 この制限を知らなかった頃の僕が、好奇心だけで砂漠を指差して――。


 『この砂、九倍にしたらどうなるんだろう?』


 なんて考えていたら。


 「……怖っ」


 自分で想像して、背筋が寒くなった。

 もし目の前の砂だけじゃなく、砂漠全体を想像していたら。

 たぶん、この村が砂の下に消えていた。

 

 (……よかった。)


 「相変わらずすごいねぇ。」


 サナさんは嬉しそうに笑うと、大きなお皿を持ってきた。


 「ほら、おやつ食べていきな。」


 皿の上に乗っていたのは、五つも頭があるヤモリみたいな生き物だった。


 「……え。」


 思わず固まる。

 なんだこれ。

 食べるの?

 僕の顔を見たレナが笑いながら指差した。


 「これはメナ! おいしいよ!」

 「レナも食べるかい?」

 「うん!」


 レナは嬉しそうに受け取ると、そのまま頭からかじりついた。

 ガリッ。

 バキッ。

 骨ごと噛み砕き始めた。


 「えぇ……。」


 音がすごい。

 見ているだけで歯が痛くなりそうだ。

 僕は気になって、心の中でつぶやく。


 『Inspect(インスペクト)


 そう唱えると、ヤモリの上に青白い文字が浮かび上がった。

 本当は、頭の中で「見たい」と思うだけでいい。

 わざわざ声に出す必要なんてない。

 それでも最近は、こうして「Inspect(インスペクト)」と唱えてから能力を使うようにしていた。


 理由は簡単だ。


 ――こっちのほうが、かっこいいから。


 「…………」


 あれ。

 もしかして、これが中二病ってやつなのか?

 そういえば、元の世界にいたらもうすぐ中学二年生になる歳だった。


 (……時期までぴったりじゃないか。)


 いや、違う。

 これは中二病じゃない。

 気分の問題だ。

 たぶん。


 気を取り直してヤモリに目を向ける。


 Monster_Mena

 {

 Name = "Mena(メナ)"

  Level = 23

 HP = 50

  MP = 150

  ……

 }


 最近分かったことがある。

 最初は、見えるのは変数名だけだと思っていた。

 だけど違った。

 どうやら表示する情報にはフィルター機能があるらしい。

 変数だけじゃなく、オブジェクトが持つデータや設定、場合によってはプログラムの中身まで見ることができるようになってきた。


 だけど、この能力には一つだけ欠点がある。


 表示する情報をちゃんと絞り込まないと、大変なことになる。

 一度、興味本位でフィルターを外し、見えるものを全部表示してみたことがある。


 その瞬間。

 家も、人も、砂も、空も。

 情報が文字になって視界を埋め尽くした。

 目の前が真っ白になるくらい文字だらけになって、その場で吐いてしまった。


 (あれは二度とやりたくない。)


 思い出すだけで気持ち悪くなる。

 だから最近は、必要最低限の変数だけが見えるように、フィルターの機能を設定した。


 「レイも食べる?」


 気づくとレナがメナを一匹差し出していた。

 サナさんも期待した目で見ている。

 断れない雰囲気だ。


 「……いただきます。」


 恐る恐るかじる。


 ――ガキン。


 「っ!!」


 歯にすごい衝撃が走った。


 「いったぁ……。」


 全然噛めない。

 レナはバリバリ食べてたのに。

 竜人族の歯ってどれだけ丈夫なんだ。


 ——もしかして僕が弱すぎるだけ?


 そういえば、さっき見たメナのステータス。

 HPもMPも、ずっと高かった。


 ちなみに今の僕は


 Level = 2

 HP = 35

 MP = 6

 PP = 5


 たったこれだけ。

 一年もいたのにレベルは二。

 正直かなりショックだった。


 どうやら、レベルを上げるには魔物を倒さないといけないらしい。

 それに気づいたのは、一度だけ家の近くに魔獣が現れたときだった。

 見た目は、うさぎによく似ていた。

 長い耳に、小さな体。

 元の世界で見かけたら、たぶん「かわいい」と思っていたはずだ。


 でも、こいつは全然かわいくなかった。

 とにかく速い。

 砂を蹴ったと思った次の瞬間には、もう別の場所にいる。

 目で追うのがやっとだった。


 「無理だろ、こんなの……」


 そう思っていた僕の横を、レナが駆け抜けた。

 そして――あっという間だった。


 僕がまともに姿すら追えなかった魔獣を、レナは一瞬で追い詰めてしまった。

 最後は動けなくなった魔獣を、僕が恐る恐る倒しただけ。

 正直、自分が倒したと言っていいのかも怪しい。


 それでも、その直後。

 僕のレベルは一つ上がった。


 もっと強くなりたい気持ちはある。でも――。


 『ありがとう、レイ!』

 『本当に助かるよ!』

 『命の恩人じゃな!』


 村のみんなが笑ってくれる。

 水がいっぱいになった壺を見て、子どもたちがはしゃいでいる。

 その笑顔を見ていると

 今は、この毎日で十分だと思えた。


 この平和な時間が、好きだった。



 //——



 村じゅうの家を回り終えたころには、太陽はだいぶ傾き始めていた。

 壺という壺は水でいっぱい。

 村のあちこちから「ありがとう!」という声が聞こえてくる。


 僕も嬉しかった。

 でも、それ以上に嬉しそうだったのは——。


 「ふぅ~……。」


 隣を歩くレナだった。


 お腹をぽんぽん叩きながら、満足そうに笑っている。

 今日だけで何軒もの家を回った。

 そのたびに「お礼だよ」と、おやつをもらっていたからだ。


 五つ頭のメナ。

 見ているだけで肌がむずむずするほど、細かなぶつぶつに覆われた木の実。

 焼かれていても、ずっとうねうね動く虫。

 途中から僕は数えるのをやめた。


 「……レナ。」

 「ん?」

 「今日、食べすぎじゃない?」

 「えへへ。」


 笑ってごまかされた。


 「ロナさんに怒られるよ?」

 「……。」


 一瞬だけ笑顔が止まる。

 そして


 「……たぶん怒られる。」


 しゅん、と肩を落とした。

 やっぱり。

 思わず笑ってしまう。

 レナはしばらくの間、しょんぼりと肩を落としていた。

 けれど、いつまでも落ち込んでいるような性格ではないらしい。

 何かを思いついたように顔を上げると、さっきまでの沈んだ表情が嘘だったみたいに、ぱっと笑顔になった。


 「ねぇ、レイ!」


 勢いよく名前を呼ばれ、僕は少し驚いて振り返る。

 さっきまであんなに落ち込んでいたのに、もうすっかり元気になっていた。


 「ちょっとだけ遊びに行こ!」

 「遊びに? うん、いいけど。」

 「やった!」


 レナは嬉しそうに笑うと、僕のすぐ近くまで歩いてきた。


 「じゃあ、しっかりつかまって。」

 「え?」


 次の瞬間。

 ぎゅっ。

 僕の体を抱き寄せた。


 「わっ!」


 近い!

 近すぎる……。

 それとなんか硬いのに柔らかい感触——バランスボールを触った時のような。

 

 また胸の奥が変な感じになる。


 「行くよ!」


 バサァッ!!

 白い翼が大きく広がる。

 砂がふわっと舞い上がったかと思うと、次の瞬間には地面が遠ざかっていた。


 「うわぁぁぁっ!」


 風が顔にぶつかる。

 一瞬で村が小さくなっていく。


 「気持ちいいー!!」


 思わず叫んでしまう。

 どこまでも続く空。

 遠くまで広がる黄金色の砂漠。

 太陽の光を受けて砂丘が輝いている。

 こんな景色、前の世界じゃ絶対に見られなかった。


 しばらく飛んだところで、景色が一変した。


 「わぁ……。」


 赤や茶色の岩肌が、夕日を受けて輝いていた。

 深く切り込まれた谷が、どこまでも続いている。

 テレビで見たグランドキャニオンに似ていた。

 いや、それよりずっと綺麗かもしれない。


 レナは崖の上へふわりと降り立つ。

 そして僕をそっと地面へ下ろした。


 「どう?」


 得意そうに笑う。


 「すごい……。」


 本当にそれしか言えなかった。


 「絶景だね。」

 「でしょ!」


 レナは嬉しそうに笑った。


 「レイに一番見せたかった場所なんだ。」


 風が吹く。

 白い髪がふわりと揺れる。

 夕日に照らされたレナは、本当に綺麗だった。見とれてしまうくらいに。


 レナが僕の手をそっと握る。

 いつもより少しだけ弱く。


 「ねぇ、レイ。今日も皆、いっぱい感謝してくれてたね。」

 「うん、そうだね。」

 「レイのおかげだよ。この景色を、こうして綺麗だなって思いながら見られるのも。」


 レナはそう言うと、夕焼けに染まる砂漠へ目を向けた。

 風が吹き、金色の砂がさらさらと舞い上がる。

 しばらく二人で何も話さず、その景色を眺めていた。

 やがてレナは僕の手をぎゅっと握り直す。

 いつもより少しだけ強く。


 「ねぇレイ。ずっと、一緒にいてくれる?」

 「え?」


 レナがまっすぐ僕を見る。

 赤い瞳、少しだけ赤くなった頬、いつもの元気な笑顔じゃない。

 真剣な顔だった。


 胸がまた苦しくなる。

 何も言えない。


 レナの顔が少しずつ近づいてくる。


 僕は動けなかった。

 鼻先が触れる。

 吐息がかかる。


 (え……。)

 (これって……。)

 (キス……!?)


 頭の中が真っ白になった、そのとき。


 「ギャオオオオオオオッ!!」


 空気を震わせるような咆哮が谷に響いた。


 「!!!」


 二人同時に振り向く。


 そこにいたのは——竜。


 砂色の鱗。巨大な翼。鋭い牙。

 体は大人ほどではない。

 たぶん子供なんだろう。

 それでも、僕たちの何倍も大きかった。

 全身からものすごい威圧感があふれている。

 僕は反射的に能力を使う。


 『Inspect(インスペクト)


 文字が浮かぶ。


 Monster_SandDragon

 {

  Name = "SandDragon(サンドドラゴン)"

  Level = 235

 HP = 5530

  MP = 3200

  ……

 }


 「レベル二百三十五!?」


 ありえない。

 こんなの勝てるわけがない。


 「レナ! 逃げよう!」


 だけど。

 レナは動かなかった。

 じっと竜を見つめている。

 きっと、動けないんだ。


 (どうしよう。)


 今使えるプログラムは、水を増やすものと砂を増やすものだけ。


 (そうだ。)


 砂を大量に増やして目くらましをする。

 その隙にレナと逃げればいい。


 大丈夫。


 ——僕には力がある。


 そう自分に言い聞かせながら、腰に下げていた小瓶へ手を伸ばす。

 中には、いつでも能力を使えるように砂を入れてある。


 「これを……投げて……」


 瓶を掴もうとした。

 でも——。

 カラン。


 「……え?」


 小瓶は僕の手をすり抜け、地面に落ちた。

 拾おうと手を伸ばす。

 けれど、掴めない。

 指が震えていた。


 「なんで……。」


 止まらない。

 手だけじゃない。足も。歯も。体全部が震えていた。

 そこで、やっと気づいた。


 怖い。


 ——僕は今、ものすごく怖いんだ。


 忘れていた。

 ここがゲームの中じゃないってことを。

 画面の向こうからキャラクターを動かしているわけじゃない。

 ここは異世界で。

 あの竜は本当に生きていて。


 もし攻撃されたら——僕は本当に死ぬ。


 足から力が抜けた。


 どさっ。

 尻もちをつく。

 (立たなきゃ。)

 (逃げなきゃ。)


 頭では分かっているのに、足が動いてくれない。


 「グルルルルル……!」


 竜が低く唸った。

 砂色の翼が大きく広がる。

 鋭い爪が地面をえぐり、砂と小石が飛び散った。


 次の瞬間――。


 「ギャアアアアアッ!!」


 竜が飛びかかってきた。


 「――っ!」


 無理だ。

 死ぬ。

 そう思って、僕はぎゅっと目を閉じた。


 ――――。


 けれど。

 いつまで経っても、痛みは来なかった。


 「……?」


 聞こえるのは、風の音だけ。

 さっきまでの咆哮が嘘みたいに静かだった。

 恐る恐る目を開ける。


 「……レナ?」


 僕の目の前に、レナが立っていた。

 レナが片手を竜の鼻先へ当てて、その巨体を受け止めていた。

 あれだけ怖かった竜を。

 片手で。


 「うそ……。」


 竜は低く唸り、荒い鼻息を繰り返す。

 爪を砂へ食い込ませ、必死に前へ進もうとしている。

 それなのにレナは一歩も動かない。

 僕は地面に座り込んだまま、その背中を見上げることしかできなかった。


 「ごめんね。」


 レナは、竜に優しく話しかけ始めた。


 「ここ、きみのお家だったんだね。」


 竜がじっとレナを見る。


 「私たち、奪いに来たんじゃないよ。」

 「この景色が大好きで、見に来ただけ。」


 レナはゆっくり手を伸ばす。

 そして竜の鼻先へ触れた。


 「うん。」

 「うんうん。」


 竜が短く唸るたび、レナは相づちを打った。


 「びっくりしただけなんだね。」

 「ごめんね。」


 竜の唸り声が少しずつ小さくなっていく。

 険しかった目も、だんだん穏やかになっていった。

 まるで大きな犬をなでているみたいだった。


 「また来てもいい?」


 竜は小さく鳴く。


 「ありがとう!」


 レナは満面の笑みを浮かべた。

 竜も嬉しそうに翼を広げると、大きく空へ飛び去っていった。


 「……。」


 すごい。

 戦ってない。

 命令もしてない。

 ただ話しただけで帰っていった。


 そのとき、ふと思った。


 (そういえば……

 レナのステータス、一度も見たことがなかった)


 心の中でつぶやく。


 『Inspect(インスペクト)


 文字が浮かび上がる。


 player_Rena

 {

 Name = "Rena"

  Level = 363

  HP = 17780

 MP = 25200

 ……

 }


 「…………。」


 言葉が出なかった。

 レベル三百六十三。

 桁が違う。

 比べることすらおこがましい。


 「レイ?」


 レナが笑っている。

 夕日に照らされて、白い髪が風になびく。


 その笑顔を見た瞬間。

 胸の奥がまた苦しくなった。

 でも今度は分かった。

 この気持ちが何なのか。


 ——僕はレナが好きだ。


 異世界に来たばかりのころは、ゲームみたいな力を手に入れたことに、ただわくわくしていた。

 それから一年。

 水を増やせる僕の力は、村のみんなの役に立つようになった。


 「ありがとう」

 「助かったよ」


 そう言ってもらえるたびに嬉しかった。

 僕にもできることがある。

 それだけで十分だと思っていた。

 強くなくてもいい。

 魔物と戦えなくても、みんなの役に立てているならそれでいい。

 ずっと、そう思っていた。


 でも――今は違う。

 目の前で笑っているレナを見る。

 僕よりずっと強くて、僕が危ないときはいつも守ってくれる女の子。


 今度は僕が守りたい。


 「……決めた。」


 小さくつぶやく。


 僕は強くなる。

 今はまだレベル二。

 レナには全然届かない。

 それでも、いつか絶対に追いついてみせる。


 そしていつか――。

 僕がレナを守れるくらい、強くなりたい。


 この日から、僕には新しい目標ができた。


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