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壁転生 壁になって悩める若者たちを高みの見物  作者: Ridge


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79話 C15

「あの、信じているか信じていないかしかないのではないですか?」

「そうだが、父さんが生きていると信じているのか、そう信じているということにしているのか俺にはよく分からない」

「どういうことですか…?」

「つまりはこういうことだ。俺が頑張れるのは一流の選手になって父さんに見つけてもらうという目的があるから。その目的達成を目指すには父さんは生きていると信じるか、俺がそう信じていると自分を偽って演じるかだ。そして俺はそのどちらなのかよく分からない。いっそ分からなくてもいいと思っている。なぜだか分かるか?」

「なぜか…」


 リベンは思い当たることがあった。かつて復讐をしたいのか捨てたいのかよく分からなくなっていた時、それを明らかにしたいとは思っていなかった。やらなければならないと理由を付けてそこで思考停止していた。更に考えれば復讐をやめてしまうかもしれないと感じていたからだ。やめることを恐れていた。


「下手に明らかにしたらやる気が失せるかもしれないから…でしょうか?」

「ま、そういうことだ」


 ザークは自嘲気味に答え、椅子にもたれかかった。

 それを自覚していてあえてそのままにしているのか。この口ぶりからして自分を偽っている方が可能性が高そうだ。


「不満そうだな」

「個人的には…。俺は死んだ母親のために頑張ったことがありますが、自分や目の前の人のためではなく、ずっと遠い人のためだけに生きる人生だと考えると虚しく感じます。しかし、先輩がそこまで分かってやっているなら、俺とは違って上手く行ける気がします」

「そうか。お前も大変だったんだな。気を遣ってくれてありがとな」


 ザークは怒るでもなく冷静に淡々とお礼を述べた。

 少しの沈黙の後、ザークが口を開き、沈黙を破った。


「…子供の頃、父さんが遭難していつまでも帰って来なくて、どんどんと落ち込んでいった時、ケンラン協会の叔父さんから気分転換にと試合を見に連れて行ってくれたんだ」


 その叔父はザークの後見人で、現在は協会幹部をやっている人だ。


「そこで見た試合で興奮して心に火が点き、俺もそこに立ちたいと思った。そして父さんはいつか帰って来ると思っていた俺は、選手になって見つけ出してもらおうという目的を持ち、目立てるトップクラスの選手になろうという目標を持つようになった」

「そうだったんですね…」

「それからは充実していた。練習を重ねて強くなっていき、ケンランの試合や劇を見て刺激を受けることは心の支えとなっていた。衰弱していた俺に生きる希望をくれた。ケンランは命を救ってくれて大好きだ。だからもし父さんを見つけ出すことはできないと分かったとしても、好きなことを続けたいという思いで頑張れると思う。俺の中ではその両方があって、無理に非現実な片方を消さなくても自然と現実的なもう片方が大きくなっていくと薄々感じている」


 そこまで考えているのならそう遠くないかもしれない。余計な心配だったか…。いや、心配をして聞き出さなければ心配要らないということすら分からなかったことだ。無駄じゃなかったと思う。考え方を知ることもできた。


「分かりました。先輩には先輩に合ったやり方があるのですね」

「俗っぽい話になるが、選手になった時に父親探しキャラ付けとしてもアリだと思うんだ。表立って宣言するか、実はこんな思いがあるんだと裏話的に知らせるかは分からないが。罰当たりかもしれないがそれで業界が盛り上がってくれるならそれでいい」

「あはは…逞しいですね」

「話が暗くなっちまったな。そうだ、協会絡みでこんな話がある」


 ザークは肘置きに両手を置いて腰を浮かせて深く座り直し、背筋を伸ばして話し始めた。


「知っているか?ケンラン協会は不況時に拡大していくんだ。一般的に好況では高価な娯楽に、不況では安価な娯楽に人が流れる。だからチケット代払って現地に見に行くというのが基本のケンランはマイナスになりそうなもんだろ?」

「確かに…拡大とは不思議ですね」

「その時に応じて重点を変えているんだ。一例としては、好況時には大金を出してこの世界で所有したい珍しいものを多くして、不況時には安く身近で安心なものや、この世界からの逃避、怒りを多くする。ケンランはどちらも実現できる。まあ、切り替えられると言っても不況時は流石にダメージはあるけどな」

「成程…色々考えているんですね」

「そしてもう一つ。資産の一部が買収資金として債券を5年と短い期間のラダー型運用されている。これが拡大の原資となる」


 債券のラダー型運用とは、残存期間の違う債券をはしごのように均等に所有して運用する方法。最短の債券が償還されて現金になった後はそれで最長の債券を買い、それを繰り返す方法。途中で売却しないため、確定損失が出にくいローリスク・ローリターンな方法。デフォルトするか債券利回り以上のインフレで損失が発生する。リターンがささやかすぎるのでこれだけでは協会は食っていけないが、非常用の貯えとして一部だけその形で保有している。


「不況時は債券を再投資せずに現金として残して、それで劇場やスタジアムのこの先何年かの予約を安く借りれる権利を買ったりIPを安く手に入れたりする。そして好況時には抜けている年の債券を買い直しておく」


 債券は基本的に残存期間が長い方が利回りが高くなるが、だからと言って30年でラダーを組むと償還されて現金になるのは30分の1だけになる。一方で5年なら利回りは低くなるが5分の1が現金として手に入る。協会はチャンスに動かせる現金が多く欲しいので利回りは低いが5年で組んでいる。


「ははあ、すごいですね」


 金融に疎いリベンは言葉の意味がよく分かって無かったが、要するに普段収益を作り出すものに投じる資金を減らして普段の稼ぎが減る代わりに、非常時に動けるようにしているという旨を話の雰囲気から理解した。


「ふー…色々喋ってすっきりした。そろそろお開きにしていいか?」

「はい、お付き合いいただきありがとうございます」

「俺も人に伝えることで自分の心が整理できてよかった。じゃあまたな」


 ザークは空のお椀を持って席を立ち、返却場所の水の張った桶に入れ、ちゃぽんと音がした。そして談話室を出て自室へと戻って行った。

 リベンも片づけを終えて部屋を出ようとすると声をかけられて立ち止まった。振り向くと椅子に座ったアペソンがおり、膝の上に猫が乗ってくつろいでいて動けないでいた。


「こんばんは先輩」

「こんばんはリベン君。帰るところ悪いけどちょっとだけごめんね」

「大丈夫ですよ」


 リベンはテーブルにある椅子を引いてアペソンの前に座った。


「ここで猫ちゃんと過ごしてたらザーク君との話が聞こえてきちゃってね。全部聞いてたわけじゃないんだけど、彼が色々考えていたんだなと初めて知ったわ。しかも密室で話すでもなく、誰かに聞かれる談話室で話してた。私たちは触れないでいようと気を遣い過ぎていたのかもしれない」

「先輩たちは間違ってないと思いますよ。言っては何ですが、学年もクラスも違って顔を合わせる機会の少ない俺だから後のことをあまり気にせずできたことだと思います」

「そう…、ありがとね」


 猫は欠伸をしてアペソンの膝から降りてどこかへと歩いて行った。


「これで部屋に帰れるわ。最後にもう一つ、これからも妹をよろしくね」

「はい」


 その返答にアペソンは優しく微笑んで頷いた。2人は話を終え、立ち上がって自室へと戻って行った。夜は更けていき、寮が静寂に包まれていった。



 ケンラン協会幹部たちは人々に嘘をついている自覚がある。彼らはケンランが生きる上で必須であるかのように宣伝するがそれは嘘だと理解している。食料やエネルギーのように生きる上で必要なものではなく、無くても生きていける娯楽、それもいくらでも選択肢のある娯楽の一つに過ぎないと分かっている。本当は生きる上で必須のものではない。


 そして、彼らは人々が彼らの嘘だと分かった上で付き合っていると考えている。この嘘に付き合い、嘘の世界に身を置くことで人々は稼ぐ機会を得ているからだ。この業界そのものへのビジネスの他、その選手や観客が訪れる店、泊る宿、使う交通機関、上がる地価、様々な形で稼ぐ機会を提供している。それらに直接関わらない人も余計な衝突を避けるために、心の中では欺瞞と思いながらもあえて口にしない。そう考えている。


 人々が協会の嘘に付き合わなくなるのは、協会が稼ぐ場を提供できなくなる時。すなわちケンランの魅力が低下して観客が致命的に減った時。彼らはそうならないように観客を常に考えている。

 彼らは生きるために必須だなどというのは嘘だと思っている。それは事実だ。しかし、ザークのようにケンランに命を救われ、生きる力となった者もいる。生きるために必要ないものでも、命を救うことがある。その事実が彼らの心を救うことだろう。

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