72話 B26
「あの…」
「ん?」
「晴れて良かったわね。風も穏やかで」
「ああ。運がいい。おかげで船が出てる」
再び沈黙が流れ、リベンはリラックスしてぼんやりと海を眺めていたがパーリラは落ち着かない様子だった。
「どうした?」
「別に何でもないわ」
「言わないと分からないぞ」
「何でもないって」
「そうか、悪かったな」
何か機嫌を損ねることでもしただろうか。面倒くさいな…。いや、気づけない俺が悪いのか?この程度の俺に彼女が2人というのは分不相応だったか?一回くらいでちょっと弱気になりすぎか?
「あ…」
リベンが神妙な顔で考えているとパーリラは捨てられる恐怖を感じて彼の手を掴んで懇願した。
「私ならメランドが嫌がるようなことでもするから。だからどうか捨てないで」
「捨てる?いきなり何言ってるんだ?」
「面倒だって思ったでしょ?あっ、こんなこと言われるのも面倒よね」
「分かってるならやめてほしいが…お前とだけ付き合っていればそんな不安にさせることも無かっただろうから俺の責任だ。不安を取り除くべくじっくり話したいところだがそろそろ船の時間だ。後で話そう」
「ごめんなさい。折角の気分を台無しにして…」
「そう謝ってばかりいるなよ。綺麗な景色を見たら吹き飛ぶさ。行こう」
リベンは立ち上がってパーリラの手を引いて乗船ゲートへと歩いて行った。ゲートの前で手を離して2人とも事前に買ったチケットを取り出してゲートのセンサーに当てて通り、係員の案内に沿って船に乗った。
船には客が入れる場所として照明に照らされた部屋と、手すりを兼ねた柵で囲まれた甲板があり、部屋で避難時の行動を含めて説明を受けた後、甲板に出た。手すりに掴まり、磯の香りが漂う海風を頬や腕で感じていると船が出るアナウンスが流れ、揺れと共に動きだした。
「っと…」
パーリラは揺れでよろめき、リベンが倒れる方向に立って体で受け止めて片手は手すりに、もう片方は彼女の肩を抑えて支えた。
「あ、ありがと…ヒール履き慣れてなくて…」
パーリラは急に相手を触れるほど近くで感じ取り、動悸が早くなって顔を赤らめた。
「足捻ってないか?受け止めたことで着地失敗したりとか」
「大丈夫…ちゃんと立てた」
「なら良かった」
リベンは肩から手を離して頭をポンと軽く叩き、前屈みになって手すりに肘を置いて頬杖をついて景色を眺めた。コンビナートが見えて来て船は速度を落としていくと、彼は目を輝かせて体を起こし、景色を目に焼き付けた。
闇夜の中、無機質で人工的で機能美な建造物や配管たちが白い光や緑の光に照らされ、各所のランプが点滅し、白い蒸気がそれらの光を受けて姿を現していた。揺れる水面にはそれらの光景が映り、縮んだり伸びたり混ざったり、不規則な波と規則的な波の織りなす水面に一瞬で一期一会の揺らめく景色を映していた。それが目の前に広がっていた。
船はゆっくりと旋回した後、港へと戻っていった。港町の街灯やビルの明かりが水面に映り、近づくにつれて徐々に大きくなっていき、それが安心感と終わりに向かう切なさを感じさせた。
港に戻り、船が接岸すると部屋の明かりが強くなり、窓から外にもその明かりが漏れて、アナウンスと相まって終わりを告げた。幻想的な異なる世界から、見慣れた世界へと戻ってきたような気分だった。
2人は船を降りて広場と公園を歩いた。街灯が点々と照らし、目が慣れていれば真っ暗というほどではない。
「いやあ、良かった。こんなに綺麗とは知らなかったよ」
「そう…ならよかったわ」
リベンの楽し気な声に反してパーリラの声は元気が無かった。
「大丈夫か?もしかして酔った?」
「そういうわけじゃないわ」
「お前の趣味には合わなかったか?」
「…違う」
「じゃあなぜ?」
パーリラは沈黙して答えなかった。船で手を伸ばしたがリベンが夜景に夢中で手を握ってくれなかったことに傷ついていた。しかし、楽しんでいるのに邪魔したら悪いという思いとそれくらい言わなくても気付いてくれてもいいじゃないかという思いがあった。自身が嫌っている母と思考がよく似ていて言葉足らずである。
「それよりも船に乗る前の話の続きがしたいわ。不安を取り除いてくれるって」
パーリラは気を張り詰め続けていた疲れから、段々と遠慮する余裕も強気になる余裕もなくなって来て、素直に頼み込んだ。夜になって理性が弱まっているのもある。
「ああ、そうだったな。綺麗な景色見て吹っ飛んでないか」
「多分他に彼女がいなかったとしても私は捨てられる不安があったと思うわ。今一番の脅威に感じているのがメランドというだけで、仮にあの子がいなくなっても不安は残り続けるわ。それでもあの子と比べると不安になるの」
「劣等感があるのか?」
「そうよ。だってメランドの体はマシュマロみたいに柔らかくて張りがあって、賢くて交友関係も広くて自信があって精神的にも強くて…。私なんかと比べるべくもない」
「お前も魅力的だ。上位下位の存在ではない、別の魅力がある」
「フッ…私を励まそうとして本心じゃなくても言うでしょうね」
困らせたら嫌われちゃうと思いながらも、自制が利かずに突っかかった。
「本心だよ。お前は俺と同じく選手を目指す者で、真面目で律儀で集中力もあって素敵じゃないか」
「もしそうでも彼女じゃなくて仕事仲間でもいいじゃない。こんな小さな胸では異性として魅力で負けてしまうわ」
「なんだそんなことを気にしていたのか」
「なんだって何よ!私は真剣に悩んでいるんだから!」
そういえばメランドの魅力を挙げる時に内面ではなく体つきのことから挙げていた。結構気にしていたようだ。
「…恥ずかしいからあまり言いたくないけど納得できる理論的な説明が必要なら話そう」
リベンは目を閉じ、一呼吸おいて覚悟を決めて話を始めた。
「いいか?俺にとって大きい胸が小さい胸の上位互換というわけではない。大きな胸に惹かれる時もあれば小さな胸を愛でたくなる時もある。そんなのその時の気分次第だ。赤い服の気分もあれば青い服の気分もある。それと同じで別物なんだ。どちらが上とかじゃない。お前のつつましやかなサイズも魅力的だからコンプレックスに思うことはない」
「貧乳好きは巨乳嫌いじゃないの?あんなの邪魔だって考える人」
「そういう好き嫌いがある人もいるかもしれない。だが少なくとも俺は違う。俺の友人たちもそう。巨乳好きは貧乳好きになってはいけないというルールはない。貧乳は巨乳を僻んでいなきゃいけないというルールもない。お前は気にし過ぎだ。もっと胸を張れ。胸元のひらひらで誤魔化さない平坦なのが見たい気分の時だってあるんだ」
リベンの赤裸々な熱弁にパーリラは励ますための嘘じゃ無さそうだと感じ、少し勇気が出てきた。しかしまだ言葉だけでは完全ではなかった。
なぜか相手をフォローするたびに恥ずかしいことを言わされているような気がする。俺の発想力が足りないせいか、それともそういう法則でもあるのか?説得力を持たせるために表面的なことではなく、普段言わないようなことを言うことになるわけだから自然と恥ずかしいことになるのか?まあいい、それくらいの恥で大事な人を苦しみから救えるのなら。
「…証拠を見せて欲しいわ。私の体に魅力を感じている証拠を」
「周りは暗いけどこんなところで…」
「じゃあそういう場所に行こ」
パーリラはリベンの腕に抱き着き、その証明の行為に適した建物へと入っていった。その後そこで証明された。
翌朝、2人は宿泊先から寮に帰って来た。パーリラは自信を得て心に余裕が生じ、メランドに対する劣等感が払拭されて、苦手意識なく対等に話せそうになった。自信の無さからくる不安や、不安を覆い隠すような強気な物言いはなりを潜め、少し素直になって強くなるために異なるものを受け入れやすくなった。寄り道のようで強くなるための道をちゃんと進んでいた。




