63話 E17
「大丈夫か?」
リベンは転ばないように川に慎重に入って尋ねた。
「大丈夫。受け身取ったし、水の浮力があったから」
メランドは尻餅をついていて、曲げた膝と胸より上は水面に出ていた。水を被った髪をかきあげた。
「ほら捕まって」
「ありがと」
リベンは手を伸ばし、メランドが掴んだ腕をぐいっとひきあげた。勢い余って胸に彼女の頭と胸が当たったが、体格差と強い体幹でビクともしなかった。
「あっ、ごめん…」
互いに触れた相手の体に異性を感じてドキッとした。
「もう大丈夫。リュックにタオルあるから拭いて来る」
メランドは恥ずかしがって逃げるように横を抜けてシートに戻り、タオルを取り出して頭に被せて拭き始めた。その照れた顔はリベンからは見えない。リベンは邪魔しないように、近くの石に腰掛けて足を水に浸からせて涼み、体を斜め横に倒して右手で水に触れ、濡れた手で首元や左腕に触れて涼んだ。
そうしているうちに双方落ち着きを取り戻してきた。メランドはタオルを取ってシートの上に置いて重石を置いて干し、川に入ってリベンの斜め前の岩にやって来て足先を水に浸して腰を下ろした。
「着替えないのか?」
「持って来てない。でも暑くてじきに乾くから大丈夫」
「まあ夏だしすぐ乾くか」
「着替えは用意してないけど、転んで服が濡れる事態は想定してるよ。透けないように下に着てる」
両腕をハの字に広げて服を見せた。下着は見えないものの肌に張り付いていた。
「残念だった?もっと隙がある方が好み?」
「いや別に…」
「それはそれで私に魅力が無いみたいで嫌だな」
どう答えりゃいいんだ。
「じゃあ本音を言うけど引くなよ」
「聞いてみないと分からないな」
「じゃあやめておこう」
「あ、気になるから言ってよ。引かないから」
「本当だろうな?」
「ほんとほんと」
優しく気楽な声色でお願いするように言い、リベンは折れて答え始めた。
「…水で服が張り付いてきゅっとしたくびれが強調されて魅惑的だ。細ければ細いほどいいというわけではなく、自然で健康的な太さがあるのがいい。あと、張り付いて強調された胸も見てしまう」
「ふーん…」
その相槌は知識欲を満たされた喜び半分、からかって面白がるの半分で、上機嫌でからかうような声色だった。
「でも良かった。ちゃんと魅力があるみたい」
「恥ずかしいこと言ってしまった」
「その割には赤面もせず普通の表情だね。もっと心を解放してリフレッシュしよう」
「リフレッシュか…。まだ行ってなかったが、遊びに誘ってくれてありがとう」
「どういたしまして。私も来たかったからいいってことよ」
メランドが遊びに来たかったというのもあるが、部活の時からリベンの元気が無いのを案じてのことだった。
普段と全く違う環境に身を置くのはリフレッシュになる。気持ちを入れ替えようと頭で考えても上手く行かない時でも、普段と違う環境の匂いや音、そして景色による刺激が靄のかかったような頭をスッキリさせてくれる。標高が高く、気温が低いのも、肌感覚で違う環境だと感じさせる。
ひんやりとした流水の感覚や、シャラシャラと葉の擦れる音、チャプチャプと落ち着く水の音、遠くから小さく聞こえる人々が楽しそうにはしゃぐ声、揺れる木漏れ日や時々魚が跳ねてチャポンと音を立てる様子に、穏やかな時間の流れを感じ、気が緩んで行った。そして心の中で引っかかっていたことを口にした。
「最近読んだ本…まだ最後まで読んでないんだけど、亡き友の夢のために頑張る主人公がいるんだ」
「それは素敵ね」
「だけどその話では、夢が重荷として出てくる。不向きなことをしてボロボロになって行く姿を見て、読者視点ではもうやめてくれと思うんだ」
「ふーん、変わった話だね。普通は夢を応援するものなのに」
メランドは右足を上げて水面に出し、その足を曲げて片膝を立て、前屈みになって手を組んで抑えた。
「私は託された夢を叶えようとしたら、いつしか自分の夢にもなっていたんだ、という話好きだけどな。でも全員がそう上手く行くわけじゃないよね」
彼女は小首を傾げて優しく微笑んだ。「続きは?」と語り掛けているようで、リベンは話を続けた。
「不向きなことをしてボロボロになって、でも死んだ大切な人に託されたことだから諦めちゃだめだと思う。そいつはどうすればいいと思う?」
「無理することはないと思うよ。自分の人生だもの。でもやめなよと言うとムキになって逆効果だよね」
「そう…だろうな」
「きっとやめられない理由があるんでしょ?」
「夢を託されたからだろ?」
「そうだけど、そこを深堀すると正確な表現じゃなかったということがあるかもよ?」
「どういうことだ?」
メランドは手を離して足を水に入れ、両手を上げて伸びをして息を深く吐いてから強く吸って目をぱっちりと開いた。
「その夢を諦めたら亡くなった友との唯一の繋がりが絶たれると考えているから諦められないという理由かもしれない。もしそうなら他の繋がりを示せばいい」
「成程…。ところでお前ほんとに18歳か?」
「従業員たちから似た話を聞いたことあるもの。その話では叶える夢じゃなくて習慣で、ボロボロになるほど深刻なものではんかったけどね。これを止めたら繋がりが切れしまいそうだと続けていた。で、納得いくものを作って一区切りついて習慣から解放されましたとさ」
「へえー…」
リベンは聞きたいような、聞いてしまっては自分が揺らぎそうな、微妙な感覚となり、曖昧に相槌を打つにとどめた。
「私はそういう託された経験はないから想像することしかできない。私が家業を継ぎたいのだって、好きでやっていることで、今は亡き両親に託されて…というわけでもないからね。でも少しは悩む人の力になれると思う」
今その力になれている。変に勘繰られそうだからそれを言えないのはもどかしい。
「…ねえ、リベン。一つ聞いていい?」
「何?」
「もし、未練を残して死んだ人がいたとして、その人は報われて欲しいと思う?」
「そりゃ、できるならそれがいいと思うけど」
「でももう死んでいるんだよ?報われるってどうやって?」
「それは、死にはしたけどその死は無駄じゃなかったと思えるような…」
「うーん…例えば、恋人を庇って死んだけど、恋人はその後幸せに生きることが出来て、庇ったのは無駄じゃなかった、みたいな?」
「まあそんな感じだな。命を捨てて敵を足止めして勝つための時間を稼いだとか」
「成程。そういう考え方ね」
メランドは一応納得し、リベンの顔を伺いながら何か考えているようだった。そもそもなぜ本の話をしたのか、その真意を推し量るように。
「じゃあもし悪事を頼まれたらどうする?リベンの一族は都落ちした貴族で、当主は都から追放する原因となった相手への復讐を遂げることなく憎みながら死んだとしたら?その未練を晴らすべく殺しに行く?」
「それは…」
リベンは動揺して言葉に詰まった。自分の置かれた状況に近いからだ。本当は知っていて言い出したのか、それともただの偶然か。下手なことを言わない方がいいとは思いつつも、やり取りをすることで自分では思いつかなかったことをメランドなら思いつくのではないかという期待と、大抵のことは受け入れてくれそうな雰囲気によって、答えを述べた。
「…やるんじゃないか?」
言ってしまった。「何言ってんだよ、変なの」と笑って切り上げればよかったものを…。
「それで元当主は報われることになるの?」
「そりゃなるだろ。復讐が果たされるんだから」
「新天地で成功して見返してやるのも手だと思うよ。都に来て宮仕えしてくれと言われたら、先祖の汚名を雪ぐならいいと答えるの」
「向こうが悪い場合はな」
「向こうが悪い場合って…じゃあ逆恨みだったらどうするの?」
「さあどうするか…。…俺が話を振っておいてなんだが、もうやめよう。折角遊びに来ていつまでも暗い話をするのもな」
「……。そうだね、楽しまなきゃ」
メランドは思うところはあったが提案を受け入れ、足で水を蹴ってリベンに水をかけた。
「ちょっ、何すんだ」
「あはは、リベンも少しは濡れときなよ」
「何でだ。このっ」
リベンは片手で水を掬って仕返し、互いに水をかけあった。傾きや速さで空中に浮く水の軌跡が変わり、単純なようで意外と面白い。
「あーあ、折角乾いて来たのに濡らしちゃって。まだ帰りたくなくてやったの?」
メランドはニヤニヤと笑いながら尋ねた。その発言がブーメランなことに気づいていない。
「フフン、俺の服が乾かないからどの道すぐ帰れないだろ。俺だけやられっぱなしも癪だしな。でもこれでおしまい」
「ははっ、楽しかったよ。服を乾かしがてらちょっと歩いて回ろうか」
「そうしよう」
2人は川から出てシートを片付けて荷物を持ち、川の周囲を歩いて見て回り、最後にもう一度川に入って涼んでから、バス停に向かった。




