54話 C11
「それじゃそろそろ戻ろうか」
「あ、すみません。その前に確認したいことがあります」
立ち上がろうとするアペソンにリベンが話しかけ、彼女は座り直した。
「何?」
「もし知っていたら教えて欲しいのですが、学園長は実力で選ばれたんでしょうか?それとも元選手で業界に顔が利くから選ばれて、実務上のトップは教頭という形なんでしょうか?」
「先生たちから聞いた話では学園長は名実共にトップ。指導が上手で優秀な生徒を多数輩出したと聞いているから実力だと思う。でも業界に顔が利くという理由もあると思う。まあ両方かな」
「成程。分かりました。ありがとうございます」
ということは、仮に元選手じゃなければ学園長まで登れなかったとしても、それなりに高い地位に登れる実力はあるということだろう。ただでさえ俺の3倍近く生きている人だ。甘く見ない方がいいだろう。
2人は寮の中に戻り、廊下でそれぞれ男子寮と女子寮の方へ別れた。リベンは部屋に戻ってベッドの上に横になって考えた。
何か違和感を感じる。アペソン先輩の主観が歪んでいるような違和感。だが、もしかしたら主観が歪んでいるのは俺の方なのかもしれない。
エジンがいい人だったら心理的に復讐をしづらくなる。だから、殺されてもしょうがないクズであって欲しいと思っているのかもしれない。だから、アペソン先輩がエジンを本当はいい人のように語れば否定しようと思ってしまうのかもしれない。
…もうよく分からないな。いい人であろうと悪い人であろうと母さんの仇だ。母さんから受け継いだ復讐だ。やらなければ母さんが報われない。いい人だろうが悪い人だろうが関係ない。
リベンはそれ以上考えても分からないと思い、明日の準備をして眠りに就いた。
翌々日の放課後、アペソンは学園長室前に行き、ノックをして名乗り、「どうぞ」と声をかけられて扉を開いた。
「失礼します」
この日、直接話をする約束をしていた。学園長室でパーリラに関する話をするわけだが、学園長室の私的利用は本来は禁止である。とはいえ、一切の雑談や休憩、仕事に関係のない装飾の持ち込みなどを禁じるほどガチガチに厳しくはなく、度を越えていなければわざわざ問題にされない程度のものだった。
そのため、30分もかからない程度という条件付きで学園長室で話をすることを許可された。本腰を入れて話すのであれば改めて時間を取ることもできたが、アペソンはそこまで大事にするつもりはなく、この条件で話をすることにしたのだった。
2人は応接セットのソファに向かい合って座って話を始めた。
「パーリラから聞きました。エジンさんに競技性選手を諦めないと伝えたと」
「困ったものね。私やリベン君の言うことは聞かない。リベン君にそんなこと言わせるなと怒ってたし、やはりあなたが頼りだわ」
「そのことなんですが…」
エジンはアペソンが拒否するのかと息を飲んで耳を傾けた。
「本当はパーリラの夢の後押しをするためにああいう言い方をしているんですよね?彼女の反骨心を煽って」
「え?」
エジンは予想外の言葉に驚き、つい声が出た。
「もしかしたら、考えが変わってそうしたのかと…」
「そんなことないわ。昔と同じよ」
「本当に?」
「あなたは勘違いしているわ。どうしてそう思ったの?」
「それは、パーリラの頑張りを見たり、私が演技性選手を目指しているからそれで良いのかと思って…」
アペソンは話しながら相手の不思議そうな顔を見て自信を無くしていった。
「演技性選手になる代わりの人がいれば十分だと思うのなら、教師である私はこの学園の卒業生を沢山見て来ているのだから、それで満足すると思わない?」
「そう…ですね…」
その言葉でアペソンは目を覚ました。自分のことを過大評価して舞い上がっていたということに。
同じ頃、リベンは順位狙いの決闘を受けて、あっさり勝利して順位を守っていた。一桁台とそれ以外での力の差は歴然だった。
圧倒的な差だ。ああ、そうか。違和感の正体が分かった。アペソン先輩の仮説は、自分がエジンにとって大きな存在だという前提に基づいている。パーリラと一緒に姉妹のように過ごして来たことから自分もエジンと家族のように感じているかもしれない。
しかし、果たして本当にそうだろうか。エジンからすれば親戚の子であって自分の子ではないのだ。そのことを抜きにしても、基本的に自分の感覚で考えるため、自分の存在を過大評価しがちだ。
そしてもう一つ。エジンのことを親ならみんな同じだろうと誤解しているのではないか?アペソン先輩は実家の母親に写真を送るといったやり取りをするように親子仲は良好だ。それに慣れて皆が同じようだと考えて、分かってくれるものだと思っているのだろう。だがチェリィエル家の親子の常識はベルウッド家の親子の常識と同じとは限らない。
再び学園長室。エジンとアペソンの話は続いていた。
「すみません、私の勘違いだったみたいです…」
アペソンは脇役の演技に優れる。そのため、自分は主役ではなく自分の存在感はあまりないということをすぐに理解した。
「そういう訳だから、パーリラを演技性選手を目指すようにあなたからもお願いね」
「善処します」
「あの子の父親は優れた芸術家よ。素晴らしい才能を秘めている。演技の道に行くべきよ」
「同時にエジンさんの優れた運動能力も引き継いでいます」
「私の運動能力なんて所詮は頂点に立てない程度のもの。だけど、そこそこの運動能力と高い芸術性を組み合わせた演技であれば素晴らしいものになるわ」
「芸術性のある競技性選手になるというのは…」
「それは絶対に駄目!」
エジンは食い気味に拒絶した。その力強い声での拒絶にアペソンはたじろいだ。
「ああ、驚かせてごめんなさい。昔学園に狂気を宿した教師がいたのよ。彼女は競技性ケンランを今のすぐ忘れられる商業主義的なものではなく、歴史に残るような芸術作品にしたいと言ってたわ。その後で事件を起こして学園を追放になったわ。彼女の二の舞は避けたいのよ」
芸術性を優先すること自体に問題はないのだが、彼女の起こした事件がエジンにとってのトラウマとなっており、自分の娘がそうならないように恐れているのだった。しかし同時に芸術に対して怪しい魅力を感じることにも繋がり、芸術家の遺伝子を求めたのだった。
「長々と話してたら良くないわね。そろそろ終わり」
「はい。貴重なお時間ありがとうございました」
「よろしくね」
話は終わり、アペソンは部屋を後にして寮へと帰っていった。エジンは学園長の椅子に戻って座り、溜息をついて仕事に戻った。
エジンは本当にパーリラのことを想っていた。しかし、想っているから好きにさせようというものではなく、想っているから傷つかないようにしようというものだ。その姿勢もパーリラを傷つけるものだが、火に飛び込んで大やけどをする前に頬をぶって止めて済ませるような、大事に至らないための必要なダメージとして考えていた。だから簡単には止まらない。
寮の一階でリベンが風呂から出て食堂に向かっていると、ちょうど寮に戻って来たアペソンを見つけた。その覇気のない雰囲気から直接話して現実に打ちのめされた様子を察することができた。
「アペソン先輩、こんばんは」
「…こんばんは。この前言ったこと、私の勘違いだったわ…。私はなんて小さい存在なんだろう」
「ああ、そうなってしまいましたか…」
「何だか分かっていたみたいじゃない?」
「後で気づいたんですよ。あの時は違和感しか分からなくて」
「そう…」
アペソンは一応聞いてはみたが、その真偽はもはやどうでも良くなっていた。
「空腹だとどんどん悪く考えてしまいます。一旦忘れて食べましょう。デザートに先輩の好きなケーキも付けて。ショートケーキの花言葉は先輩の奢り」
「クスッ…真面目な顔で何言ってんの。そんなわけないでしょ。ありがとう、励ましてくれて。一旦部屋で制服から着替えて…いや、このまま行くわ」
存在感を過大評価していたことに気づいたアペソンはその反動でどんどんと過小評価に陥っていた。それを避けるには一度流れをぶった切ることが有効だった。
リベンはユーモア重視のアペソン相手に慣れないボケを振ってみたがちゃんと反応して貰えて一安心し、穏やかな夕食を迎えることができた。




