50話 B18
亜綿郎は壁となり、人間の肉体から解放されたことで、人間の悩みからも解放されていた。余裕が生じた今となっては、若人の悩みは微笑ましく思える。心や体の反応に思考が振り回されている様子のパーリラは見ていて微笑ましい。彼女はリベンにほれ込んでいるようだが、彼の真の目的を知ったらどうなるのか気になり、よく見るようになった。
土曜日の朝、パーリラはやる気に満ちていたがその気力を持て余していた。前日の夜にエジンとの電話でやる気が湧いたのは良いが、金土日の3日は筋肉の回復のためにトレーニングをしない日と決まっていたためだ。部位を分けてトレーニングすれば部位ごとに3日空けつつけつつ毎日できるが、剣術の練習ではそうはいかない。
理論を学んだり、分析を行ったりするという手はあるが、この昂った状態をまずは落ち着かせないことには集中できそうになかった。急がば回れ、まずはこのエネルギーを別の大事なことに有効活用することにした。
土曜の9時頃、リベンは目を覚まし、一度シャワーを浴びに部屋を出た後、また部屋に戻ってダラダラと過ごし、11時半の開いた直後の食堂にやって来た。彼は夜型で休日の朝はのんびりしていることが多いが、今日はいつにも増してやる気の無い様子だった。
注文した料理を持ってまだガラガラの席に着き、朝食兼昼食を食べ始めようかと思っていると声をかけられた。
「前いいかしら?」
「…ああ、いいけど」
リベンがテンションが低いまま前を見ると料理の乗ったお盆を持ったパーリラが立っていた。彼女は緊張している様子だが、今のリベンにそれに気づく余裕は無かった。
「昨日は悪かったわね。うちの学園長が面倒ごとを…」
「お前が謝ることじゃない。それに命令されたわけでもないし」
「そうだけど…。でも安心して。電話ではっきり断ってやったから」
「…そうか」
リベンが食事から目を離して視線を上げ、パーリラの顔を見ると、彼女は照れてとっさに顔を少し動かして目を逸らし、再び目だけ動かしてそっとリベンの顔を覗き込み、すぐに目を逸らして料理の方に視線を移した。
あの後、電話で断ったのか。仲が悪いからエジンに言われても無視するだけで終わりかと思っていたが、電話をかけて断るんだな。思ったよりも仲が悪くないのか?それとも文句を言わずにはいられなかったのか?
何にせよ、相手が生きていれば嫌だと伝えられるからな。いや、生きていたら断れずに嫌々従うこともあるか。むしろ相手が死んでいる方が一方的に言うだけで済むか…?やめやめ、食事中に考えることじゃない。
「どうした?」
パーリラはリベンの昼食を見て何か考えているようだった。意中の相手のことを知り、効果的なアピールをしたいという気持ちがあった。
「あ、いや…あんたって愛鳥家よね?野鳥観察部に入っているくらいだから」
「うーん…どちらかと言うとそうだと思う。でも、例えば…カモ。カモは丸々としていてかわいいけど、一方で農作物を食害する害鳥でもある。追い払ったり駆除したりすることになってもまあ仕方ないと思う」
「ふーん…必ず鳥の味方ってわけではないのね」
「そうだな。でも鳥は虫駆除しているとか、種子散布しているとか、大事な役割があるからできる限り共存していきたい」
「鳥肉は普通に食べるわよね?平気なの?」
リベンの昼食には短冊状にカットされたチキンステーキがあり、それを箸で食べていた。焦げ目がついて香ばしい香りとソースの酸味のある香りが唾液を分泌させる。青々と瑞々しい葉物野菜や、茹でた赤や黄のカラフルな実物野菜が添えられて彩り豊かで美しかった。ただし、今は7割ほど食べてそこまで綺麗ではない。端から順に食べているので、綺麗な部分は一応残ってはいるが。
「ああ。鳥好きだからといって鳥肉が食べられないわけじゃない。食事は命を奪うこと、仕方ない。まあ…さっきまで観察していた鳥をすぐ食べる気にはならないが」
ただし、人間社会に生きる人間である俺が人間の命を奪うことと、人間社会の外にある動植物の命を奪うことでは意味が違う。際限なく同族を殺せてしまえばその種は滅ぶ。だから人殺しに忌避感があるように出来ているのだろう。
「ニワトリでもアヒルでも食べられるのよね?」
「ああ。そういう一般的な食材で特に食べられないものはない。珍味は食べたことない物が多くて分からない」
「ふーん…それなら…その…」
パーリラは言い淀んだ後にぐっと拳に力を込めて勢いに任せて声に出した。
「今度料理部で作ったのを分けてあげるわ。夕飯が一品…場合によってはもっと増えるわ」
「いいのか?」
「部活で作った物を友達に分けるくらい普通のことよ」
「そうなのか。ありがとう」
今日は優しいな。どうしたのだろう?俺が元気ないように見えるというか、実際元気無いからか?待ち合わせたわけじゃなく偶然食堂で居合わせて何かの縁と思ったか?もしかして俺のことを…?でも前に父親がいなくて憧れがあって、俺を父みたいに思ったと。でも年上じゃなく同年代、それも面倒見がいい訳でもない俺にそんなことあるのか?父親像は千差万別だから無いとは言い切れないか…。とはいえ、こいつは本心を隠しがちだから言葉通りに受け取れないこともある。
「誤解しないで。学園長から面倒な頼み事を受けさせてしまったお詫びよ」
「ああ、成程。そういうわけか。さっきも言ったがお前が気にすること無いというのに」
「いいから!」
「はいはい。それじゃ楽しみにしてるよ」
パーリラは約束することが出来て口角が上がった。相手に気づかれると恥ずかしいため、気持ちを抑え込んで何でもない風を装った。それでも纏う雰囲気に嬉しさがにじみ出していた。
その後、2人は昼食を食べ終えて食堂を出て、それぞれ自分の部屋へ戻った。リベンは人と話をすることで少し元気が出たが、依然として気分が晴れず、気晴らしになるかもと閉じた携帯電話から宙にウィンドウを出してイヤホンをし、ケンランのプロ選手の試合を見た。一体何が足りていないのか、彼にもよく分かっていなかった。
パーリラは部屋に戻ると、緊張の糸が切れてベッドに倒れ込み、嬉しさが溢れてクッションを抱きながら転がり回った。自分が今まで関係ない寄り道だと思っていた、こういう心の動き、感受性の高まりこそが、視野を広くして強くなるために役立つのだと感じた。今なら上手く行ける気がして、彼女もケンランの試合を見た。ただし、視聴前後に解説や分析を読み、リベンのように気分転換に眺めているものとは少し違った。
休日でも2人とも自然と競技性ケンランが身近にあり、根付いているのだった。
競技性ケンランについて改めて考える。
競技性選手は頂点を目指す者たち。エジンのような惜しいところまで行ったが頂点に立てなかった元選手は悔しさが強く心に残る。
しかしそれは選手側の事情。観客側の事情としては面白い試合を求め、運営側は観客がお金を出したくなる面白い試合を作ることを求めている。つまり選手と運営の思惑は一致しない。
つまりは、運営としては頂点争いでなくとも実力の拮抗した選手が面白い試合をすればそれで構わないのだ。このことはケンラン協会会長も公言していること。本音はそうなのだが…と隠すわけではなく、あえて公言することで門戸を広く開いている。
パーリラの実力では頂点に立つことができないからやめておけというエジンの考えは、頂点を目指す選手としては理解できる考えではあるが、運営としてはあまり歓迎されない考えである。頂点を目指さずに気の抜けた試合になるのは困るが、かといって頂点に立てそうもないからと面白い試合になりそうな有望な選手候補を切り捨てるのも困る。
なぜ運営がそうも幅広い選手を求めるのか。強いだけでは駄目なのか。それにはケンランの仕組みそのものに関わる理由がある。




